資源管理−「負の配分」の時代

pikarrr2008-08-04


人口管理時代から資源管理時代へ


フーコーは生政治について、領土を管理する国家から人口を管理する国家への移行したことを指摘した。しかしいま環境問題の時代において新たな領域に入ったようだ。それは資源管理の時代である。

いつも管理は有限性に対して行われる。人口管理では資源は無限であり、人口は簡単には増えないと言う意味で有限だった。この有限な人口を質よく育てることで、国力は強化され、グローバルな世界を優位に進めることができた。

資源管理の時代では資源の有限性が問題なる。管理される資源とは石油や鉱物、農産物、水などの自然資源であるが、さらには重要になるのはCO2排出削減量である。CO2排出削減量は規制されることで有限になる。これは「ない」ことをみなで負担し合うという「負の配分」といえる。欧州などすでに排出権として市場価値化されはじめている。




「負の配分」は貨幣重視する


資源管理の時代は、自然資源を持つものが優位になるが、それほど単純ではない。すでに高度の発達した資本主義社会においては、より高度な商品が求められる。すなわち市場を介在しなければ、資源も価値を持たない。

だから資源の量が人口を規定するような単純な比例関係ではなく、貨幣が介在する。資源管理時代の平等は環境資源の「負の配分」、税金方式がとられる。そしてお金を多く払う者には多くの負を負担してもらうということであるが、またお金を持つものはより多く資源を使用することができるということを意味する。




「負の配分」とは労働を時間配分する


人口管理の時代は、生政治として身体が労働力として重視されるなど疎外論が語られたが、それでも労働力を重視することで、最低ラインとして身体の生存を維持する賃金は確保された。しかし資源管理の時代は、人口の位置付けは低くなる。身体は「負の配分」を受ける者として存在するが、より貨幣が重視されることで貨幣を持つ者が負債を払えばよく、必ずしも身体の数量(人口)そのものは重要でなくなる。

身体の維持そのものが重視される必要はない。むしろ労働にも「負の配分」がかかることから、労働そのものも配分される。すなわちパートタイムによって管理される。人の生存ではなく、必要なときに必要な時間の労働力が求められる。このような傾向は、派遣や、フリーターなどですでに始まっているが、資源管理の時代が進むにつれて、さらに広がる可能性がある。
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