試論

日本人の慈悲エコノミー論

1 資本主義経済と3つの交換様式 2 日本人の慈悲のエコノミー 3 慈悲のエコノミーが格差を緩和する 4 IT産業における慈悲エコノミーの弊害 1 資本主義経済と3つの交換様式 1−1)3つの価値交換様式 互酬(贈与と返礼)、再分配、等価交換 まず価値交…

なぜ日本人の精神は「阿弥陀」によって覚醒したのか

自然に対する絶対的な無力感 哲学思想を学んでも回帰するボクの考えの元にあるのが、「自然に対する絶対的な無力感」である。これって日本人の精神性の原点ではないだろうか。日本的な自然主義はこの無力感、そして自然への恐れ、敬意から始まる。そして理論…

自由と平等へ根絶されない敵対関係の次元を導入する 闘技的自由主義の可能性

自由と平等の同根 「不確実性」 自由と平等は対立で語られる。「集団内の平等は個人の自由を疎外する。」民主主義を重視する左派と自由主義を重視する右派など、これらの軸によって政治的立場が決まる。ただ一方で、自由と平等は同じ根を持つ。それは「不確…

身体の政治的な「環境-調和図式」 <環境-調和図式>1

以前から環境と人の関係を考慮したわかりやすい図式が必要だと考えていました。それで、を考案してみました。横軸は環境で人間が重視されているか、縦軸は環境が人間と調和しているか、を表します。 A.領域・・・人が環境にされる関係の領域は、先に環境が…

資源管理−「負の配分」の時代

人口管理時代から資源管理時代へ フーコーは生政治について、領土を管理する国家から人口を管理する国家への移行したことを指摘した。しかしいま環境問題の時代において新たな領域に入ったようだ。それは資源管理の時代である。いつも管理は有限性に対して行…

脱構築を脱構築する(全体) ラカン的、デリダ的主体論

*所々、未完成です。しばらく完成を目指すほどの時間がないので、とりあえずおきました。ご興味のある方はどうぞ。 1 収束(主体)−拡散(動物) 2 否定神学/脱構築 3 マクドナルド化と動物化 4 収束−発散構造論 5 終わりなき連鎖としての否定神学−脱…

脱構築を脱構築する その2  倫理論編

ラカンの否定神学的主体論 ラカンはフロイトの一部、「快感原則の彼岸」と重要視し、展開した。簡単にいえば、人間は快感原則=動物とは違うということだ。どのように違うのか。動物は先天的な遺伝子情報によって、多くが決定されているが、人間は後天的な教…

脱構築を脱構築する その1 主体論編

デリダの構造論と倫理論 たとえば「日本人」を考えましょう。日本人は、「日本人」に対して、「われわれ日本人というのは・・・」「日本人だから・・・」と、そこに共有された意味があるように語ります。デリダはこれを形而上学と呼びます。「日本人」という…