なぜ日本人の「現実」はテレビでつくられるのか 東日本大震災

pikarrr2011-03-25

地震のときみるメディアは


ボクは出張からの帰宅途中の電車の中で今回の地震に遭遇した。電車は地震直後で急停車した。停車中の車内は長時間大きく揺れ続けた。揺れがおさまったあとの窓の外の街に変化はみられなかった。電車は1時間近くその場で停車後、近くの駅まで徐行して本日の全ての運行は中心になったと見知らぬ駅で放り出されて、帰宅手段を失ったボクは近くの旅館で一泊することになった。

いままでに経験したことがないよう大きな揺れから、これは大変なことになったのではと考え、まず始めに見たのがケータイから2ちゃんねる地震情報板である。そこは速報性が高く、大量のレスが集まる。次々にすごい地震だったという感想があがり、テレビ情報として震度7以上震源地は東北という情報がのせられた。レスの中の東北からのものはほとんどなく、大丈夫かと心配するレスが次々にのせられた。その後、ケータイでニュースサイトを見て回ったが、速報で大地震発生以上の情報は見られなかった。

次に見たのが、ケータイからのワンセグだった。テレビでは各チャンネルで緊急特番が始まっており、画面にはいつもの地震時にまず流される地方テレビ局内の地震時の場面や、遠くから火事が発生している様子を流れはじめていた。そしてニュースキャスターがあわただしくヒステリックな声で叫び続けているのを見て、はじめて大変なことが起こったことを実感した。




テレビが切りとる「現実」


実際には日常で事件そのものの臨場感を味わうことはそうそうない。事件の現場はだいたい小さく、少し離れるだけですぐにいつもの日常がある。テレビニュースはまさにその小さな現場をとらえて映し出す。それが嘘と言うことではないが、その切り取りによって「現実」がつくられていることも確かだ。

不謹慎な話かもしれないが、今回の地震報道でもテレビで繰り返し流れる凄惨な場面と、死者行方不明者2万人という数字がどうも結びつかない。そんなに少ないのか、という感じでしまう。東北地方の沿岸部が壊滅ならば少なくても10万人規模ではないのか。

ネット情報伝達には多様な情報を速く伝達するなど、テレビにはない多くの利点があるが、このような「現実」をつくりだすことはないだろう。「現実」をつくりだすためには、場面を臨場感をもって切り取るだけではなく、より多くの人が共時的に共有しているという状況が必要だ。コストを考えれば今後もネットはテクストが中心であり、テレビほどに多くの人に同じ臨場感を伝えることはできないだろう。この「現実」を作り続ける能力故に、地震報道はテレビ中心であり続けている。




ワイドショーがつくる「現実」


「現実」を作り出すことにおいて、さらに重要であるのがその情報の読解である。ネットには多くのノイズと共に、テレビで伝えられない多様な情報と意見が溢れる。その中から何が正しいのかと判断する必要がある。そのような判断よりも、まず基本とするのはテレビが伝える「現実」である。それがあって、ネットの多様な情報が相対化される。

特に今回は地震だけではなく、原発の問題がある。地震だけならば事件としては終わり、いかに復興するかに集中できるが、原発によっていまだに事件が継続している。その中で不安を感じる人々はテレビにかじりつく。

最新の情報を知りたいというだけではなく、そこに表れる政府や原子力についての権威者たちの「大丈夫だ」という言葉を待っている。特に権威者たちの言葉を重視するニュース番組がワイドショーである。単にニュースだけではなく、それに対してわかりやすい解説を加えながら、価値判断を提示する。




運命共同体「日本人」


このような傾向は、運命共同体という意識が強い日本人に特に強いのではないだろうか。ワイドショーは「日本人」とはいかなるものかの基準を生み出して、日本人の「現実」をつくりだしている。

ネットがあれば十分で、テレビを見ない人が増えていると言われるが、今回の地震の中でもテレビを見ていないのだろうか。見ていないとすれば不安にならないのだろうか。今回の震災はいまも「日本人」にとってテレビが重要な装置であることが明らかにした。

このような状況は、日本に滞在している外国人にはつらいだろうか。日本の報道は、運命共同体としての安心のための広報の面が強く、外国人には客観的に判断する情報が不足しまた疎外感を感じるのではないだろうか。



東日本大震災:東京脱出のイタリア人記者、日本人は政府を信じ過ぎ
http://mainichi.jp/select/world/news/20110324dde003040061000c.html


「日本の政府当局や東京電力、専門家は放射能汚染の危険を過小評価している」−−。福島第1原発事故で、東京は危険とみて大阪を拠点に報道しているイタリア国営放送RAIの特派員アレッサンドロ・カッシエリさん(50)は毎日新聞の電話取材に「日本人はイタリア人と正反対で、政府情報を信用し過ぎる」と話した。

東日本大震災発生直後に初来日したカッシエリさんは、イタリア外務省やRAI本社から「東京に危険が迫るかもしれない」と言われ16日に大阪に移った。イタリア有力紙の記者たちも大阪にいる。

カッシエリさんは放射性物質の汚染情報が毎日出てくるが、発表は遅い。原子炉内で何が起きているかについても、政府はパニックを防ぐためなのか、真実を隠しているか公表を遅らせているとしか思えない」と語った。

日本メディアの報道にも不満があるという。「(政府や原発関係者が)問題を低く見積もるのは日本だけでなく世界の慣習だ」と断りながらも、「特にテレビがひどい。感動や希望話を前面に出し、世界が知りたい事故や汚染の状況は後回しの感がある」と指摘した。


*1