なぜ美人を前にするとあんなにドキドキするのか

pikarrr2015-01-31


美人を語るのに美を語り出したら敗北だ。美を前にしたように美人を前にできるのか!ということ。美人を語ることが挫折するのは、美を語るように客観視できないからだ。

美人を語る上に一番重要なことは、なぜ美人は若く見え、ブスは老けて見えるのか、ということ。ここに、美人と美を分ける分岐点がある。若さを望むのは、より健康な子供を作るという生殖本能につながるからだ。だから若く見えることの方が根元なんだろう。そのためには顔だけじゃなく、体型、仕草、衣装、規律などがあって、時代、文化で、その重要さは変わる。

顔に重点がおかれたのは、近代の映像メディアの発達からだろう。映像メディアでは特に視覚で美人を表現することが求められる。だから現代の「美人」がなにかと言えば、キリスト教の純愛主義を原型にしてハリウッドでつくられたヒロインという物語の商品ということだろう。若さを、キリスト教の純潔主義により、そして視覚メディアのために顔の均整としてデフォルメされた表現。

最近は、日本人は「美人」よりも「かわいい」が好まれる。それは「かわいい」がいまの日本人の美人ということ。

それでもそれらに人類普遍のイデアとしての美人はないのかと思ってしまう。美人を前にするとあんなにドキドキするとき、そこに神的な美人のイデアが感じてしまう。





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