儒教とはなにか (2015)

1)縦社会・・・仁、孝、祖先崇拝、忠、天の思想、徳治、聖人
2)農業経済の統治技術・・・礼、敬、配置、農本主義
3)天の思想という民意重視とパフォーマンス
4)社会的な禁欲主義とヒューマニズム
5)孔子の挫折と統治技術としての成功3)天の思想と民意
6)仁の贈与論
7)反精神主義
8)礼により精神がつくられる
9)孔子の美学
10)儒教に潜む暴力性

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縦社会・・・仁、孝、祖先崇拝、忠、天の思想、徳治、聖人

儒教孔子が体系化した思想である。儒教の最も重要な概念の一つが「仁」である。仁とは他者への愛、思いやりである。キリスト教の他者への愛に近いようだが、キリスト教の愛が最大公約数的に純化されるとすれば、儒教の仁は具体的だ。孔子は仁とはなにかを掘り下げ定義しなかった。事例によって語るのみだ。

仁の一つとされ、儒教の基本とされるのが「孝」である。孝は親への愛である。儒教ではまず親への愛が基本とされ、家族に広がり、そして親の親・・・と祖先崇拝へ広がる。また親のように目上を敬う「忠」へと展開され、思いやりの体制が作られる。

中国には古代より「天の思想」がある。天が認めた「徳」のある者が天下を修める。その理想が「聖人」である。聖人は私欲を抑えて民衆への思いやりもって教化し、国を修め、民衆を幸福にする。それが徳による政治である。孔子は周の時代の建国に関わった周公を「聖人」の一人とした。そして儒教とは聖人周公が語り言ったことを伝えているだけだと孔子は言う。このように孝から始まる思いやり体制はその頂きに聖人を置く縦社会を前提とする。

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農業経済の統治技術・・・礼、敬、配置、農本主義

孔子はこれらの実践すべてにおいて「礼」を持って行うことを強く言った。精神論ではなく、聖人が実践し、様式化された礼を人々が学び実践する。気持ちから行為するのではなく、行為が気持ちを先導する。さらには礼を持って行うとは「敬い」である。敬うとは、親であろうが直接愛を語るのではなく、馴れ合わず節度をもって接する。

これらのことから儒教に大切なことは、配置である。適切な体制、適切な役目と人材、適切な行為で配置された縦社会である。これは空間にもあてはまる。孔子を継承した孟子が明確に語ったが、土地を区画化し、人材を配置することで、農業の生産性があがり、人々が豊かになる。儒教は漢代に国教になることでその後、千年以上中国の、また東アジアの統治技術となった。この成功の多くは、農業経済においてこのような配置による統治技術が有用だったためだろう。

日本も儒教的統治技術を活用してきた。白村江の戦いで唐に破れたあと、唐の儒教的統治技術を導入して、中央集権国家体制を作った。区画された都、官僚制、律令制、検地と徴収、賦役、すなわち農本主義の導入である。ただし唐時代の中国は仏教の全盛期であり、儒教の細かい儀礼などは導入されず、思想として仏教が取り入れられた。また農本主義も限界があった。農本主義は中国のような広大な大地による農業経済を想定しているが、平地だけでなく、山海が豊かな島国日本は、すでに多様な産業により経済が成り立っていた。特に海は交通として便利であり古くから商業が盛んであった。検地は最初だけ行われ、中央集権も不十分であった。ある意味で、農本主義は秀吉、家康により完成したと言える。太閤検地士農工商身分制、刀狩り暴力の独占。明治になり自由主義経済の統治技術が導入されるまで統治の基礎となった。

礼記 曲礼
徳仁義も、礼に非ざれば成らず。
教訓俗を正すも、礼に非ざれば備はらず。
爭を分ち訟を辨ずるも、礼に非ざれば決せず。
君臣上下、父子兄弟も、礼に非ざれば定まらず。
宦學し師に事ふるも、礼に非ざれば親しからず。
朝を班ち軍を治め、官にのぞみ法を行ふも、礼に非ざれば威嚴行はれず。
たう祠祭祀、鬼神に供給するも、礼に非ざれば誠ならず莊ならず。
是を以て君子は、恭敬そう節退讓、以て礼を明かにす。

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天の思想という民意重視とパフォーマンス

殷王朝においては、すべての主宰者は帝であった甲骨文には、雨風や年穀、戦争や都邑の安否について、帝にと卜し、帝の佑助を求めるものが多い。帝は人格神であり、殷王はその直系者、すなわち嫡子であった。嫡とは・・・すなわち帝を祀るものをいう。帝を祀るものがその嫡子であり、地上の王であった。かれらは帝を至上神とする神話の体系をもち、その祭祀権の上に王権を成立していた。

殷周革命が行われたのは、おそらく紀元前千百年前後のことであろうと思われる。それは内からの革命でなく、外からの革命であった。異質の文化をもつ東西の勢力の交替であった。しかし殷に代わった周には、殷王朝のような神話の体系がなく、また神話継承の条件もなかった。人格神としての帝の観念はすてられて、非人格的な、いわば理性的な天の観念がこれに代わった。中国における合理主義的な精神の萌芽は、この天の観念に発している。

しかしこの非人格的とされる天も、また意志をもつ。天意の奉承者は天尹(てんいん)と呼ばれた。・・・天はみずからその意志を示すことはないが、天意は民意を媒介として表現される。為政者が天の徳を身に修めていれば、民意の指示を受けることができる。天意はそれによって動く。ここでは人民が、天意の媒介者として意識されている。政治の対象として、民衆の存在が自覚されてきたのである。このような政治思想は、天の思想とよばれる。殷周革命を契機として、天の思想が成立した。「書」の「周書」とよばれる部分には、周初に成立した文献を多く含んでいるが、そこには天の思想について述べたものが多い。・・・天意が民意によって媒介されるとすれば、それは絶対にして神聖なる王権ではない。受命によって生まれた王権は、また革命によって失われる危険をつねに包蔵する。天の思想はまた革命の思想である。
P92-94 「孔子伝」白川静 ISBN:4122041600

白川静孔子伝」によると、西洋的な神と中国の天の違いが、中国に徳治政治を産み出したという。確かに「天」という思想はほんと不思議だなあと思っていた。普通は神権政治に向かうんじゃないだろうか。アミニズム、自然信仰では神性は漠然としているが、それが時の権力者により物語となり、擬人化され意思をもち、権力者を通して実現される。権力者がその正当性を担保するためには、神の世界観を作ってしまうのではないだろうか。

しかし天の思想では擬人化された神もその世界観もない。ここで寸止めできるのはなぜだろう。正当性を物語ではなく民意に求める。そして民意を得る方法が「徳」である。中国の時代劇ではよく、「そんなことすれば天下の笑い者ですよ。」という言い方をする。権力者は民意を味方につけなければ勝てない。民意を味方につける方法は武力ではなく、民からの信頼、それが徳である。この思想を継承したのが、孔子であり、儒教である。

徳とは、仁(忠、孝、梯)であり、それを実現するのが礼である。そのように考えると、礼楽は、民意へのパフォーマンスの面も強かったのだろう。私はこれだけ、家族を、祖先、そして民を大切にしていますから支持してください。

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社会的な禁欲主義とヒューマニズム

禁欲主義は古くからある。都市化して富の遍財が起これば、快楽が広まるとともに反動的に自己救済から禁欲主義を生まれる。禁欲とは自己の管理であり、快楽により自らを見失う恐怖への救済である。多くにおいて禁欲への目覚めは、自己への目覚めであり精神革命であり、優れた人の自覚として起こり、個人の問題である。

儒教の場合、社会全体として禁欲主義への覚醒を図るところが画期的である。そのための装置が礼である。互いに敬い、その関係に節度を持つことで、社会全体が禁欲主義へむかうことができる。

礼とはなにか。相手に敬意をあらわすこと。なぜ敬意を表すのか。立場により敬意の表し方は様々だが、そこにあるのは人への思いやり、すなわち仁である。ここに孔子ヒューマニズム人文主義)がある。ただし孔子の時代、奴隷は人ではない。異民族は人ではない。女性は人ではない。

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孔子の挫折と統治技術としての成功

周公は儒家だったわけではない。その生きざま、政治手腕に感化された孔子が、徳礼主義を考え出した。しかし孔子は政治家としてそれを実行することはほぼなかった。孔子は自分が発明したのではなく、周初期に成功した制度を繰り返そうとしているだけだと、実績を訴えたが、実際遥か遠く数百年前のことなどわからないし、まあ徳治政治などなかったんだろう。さらにその時代にヒューマニズムはラディカルすぎた。

儒教が広まったのは、孔子の死後、漢で国教になったことが大きい。儒教は民衆を管理する統治技術として優れていた。孔子の発明した仁の理論では、民衆は命令するのではなく自主性に管理に参加する。

里仁13
子曰く、
能く礼譲(れいじょう)を以て国を為めん(おさめん)か、何かあらん。
能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いかん)せん。



[口語訳]先生が言われた。礼節と譲り合う精神で国を治めることができるだろうか?それは、難しいことではない(それが、どれほどのことがあろうか)。
礼節と譲り合う気持ちで国が治められないのであれば、礼が何の役に立つというのか?(いや、何の役にも立たない)。

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仁の贈与論

仁とはなんだろう。そこに働くエコノミー(経済)は贈与交換だ。信頼に基づく時間を越えた貸借り。しかし徳は単に贈与交換に還元できないものがある。そこから、仁は見返りを求めない贈与という考え方がでてくる。仁とは見返りなく施すこと愛。それが儒教の仁であると。

しかし仁は、誰にも等しい愛ではない。もっと現実的だ。親子の愛=孝、兄弟の愛=梯、上下関係の愛=忠。そしてそれを実現するための礼。そして孔子は自らが生きていけないほど施すのは間違いだという。とても現実的だ。

キリスト教などの宗教の無償の愛は、彼岸で満たされるなら現世は犠牲にすることで、無償の愛を成立させている。これに対して、現世を生きる孔子は現世で問題を解決する。だから無償の愛には至らない。仁は、忠、孝、梯そして礼という現世を生きるテクニカルなものである。

たとえば挨拶をされた人は、なにかを受けとる。だから挨拶を返さないと負債が残り気持ちが悪い。これは基本的な贈与交換の原理である。贈与と返礼は決してプラマイゼロと精算されない。そこに信頼が生まれてくる。信頼は他の行為への誘導、拘束力を産み出す。

たとえば現代、挨拶を避けたがるのは挨拶するのがめんどうくさいわけではなく、そこに生まれてしまう信頼関係がめんどうくさいからだろう。流動性が高い現代ではいちいち挨拶して関係を気づいていては精神的な負担が大きい。だから無関心が礼となる。逆に挨拶にそれだけ力関係があるということだ。

仁、具体的には忠や孝などには力関係が働く。一般的にはそれは上から下へ働くことが考えられるが、逆にも働く。礼をもって敬うとは、下からの力によって、親、上司との権力圏に巻き込まれないように、上との距離感を保つことでもある。たとえば礼とは他人行儀でもある。

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精神主義

論語 顔淵5

顔淵、仁を問ふ。
子曰はく、
己れを克めて礼に復るを仁と為す。
一日己れを克めて礼に復すれば、天下仁に帰す。
仁を為すこと己れに由る。
而人に由らんや。

顔淵曰はく、請う、其の目を問はん。
子曰はく、
礼に非ざれば視ること勿かれ、
礼に非ざれば聴くこと勿かれ、
礼に非ざれば言ふこと勿かれ、
礼に非ざれば動くこと勿かれ。
顔淵曰はく、回、不敏なりと雖ども、請ふ、斯の語を事とせん。



[口語訳]顔淵が仁についてお尋ねした。先生は答えて言われた。『自己に打ち克って礼に復帰することが仁の道である。一日でも自己に打ち克って礼の規則に立ち返ることができれば、天下の人民はその仁徳に帰服するだろう。仁の実践は自己の努力に由来するので、他人に頼って仁を実践することなどはできない。』。顔淵がさらに質問をした。『どうか、仁徳の具体的な実践項目について教えてください。』。先生はお答えになられた。『礼の規則に外れていれば見てはいけない、礼の規則でなければ聴いてはいけない、礼の規則を無視した発言をしてはいけない、礼の規則に外れた行動をしてはいけない。』。顔淵が申し上げた。『私は愚鈍な人物ではありますが、先生の言葉を実践させて頂きたいと思っています。』。


もはや現代人は、西洋近代の精神主義でしか思考できない。だから孔子の、仁は徹底的な礼の先にあるという考えを現代人は理解できない。その理由は、現代人の常識から転倒しているからだ。仁とは精神論であり、礼はしょせん行為である。現代人の常識は精神>行為、すなわち仁>礼である。崇高なのは精神で、行為は精神の従僕である。この当たり前のことが、孔子の礼楽主義では転倒されている。故に現代人には理解できない。

この精神>肉体(行為)の起源の一つのプラトン心身二元論である。プラトン主義は西洋においてルネサンスで回帰し、現代に続く近代科学主義の基礎となった。このために現代人は無意識にプラトン主義を生きている。精神は高等で肉体という動物をコントロールする。重要なのは精神である。しかし孔子の思想は基本的にこの考えを転倒している。孔子を真に理解するためにはまずこの世界の転倒を理解しないと見えてこない。

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精神を礼により管理する、礼が精神をつくる

子曰く、
質、文に勝るときは則ち野(や)、
文、質に勝るときは則ち史(し)、
文質彬彬(ひんぴん)として然して(しかして)後(のち)君子なり。



[口語訳]先生が言われた。質が文(礼)を上回ると野人となる、文(礼)が質を上回ると文士になる。表現と内容が渾然一体となったところで初めて君子となるのである。

儒教の基本は礼にある。愛ではあるがそれは儀礼化された愛である。感情的なものではなく節度あるもの。もっとも熱い親への愛=「孝」であっても、礼によってあえて距離を置く。感情を礼により管理する。感情は移ろいやすく転倒しやすい。愛情は簡単に憎しみや疑心にかわる。また感情は一方的だ。自分が好きで良かれとしても、相手からは迷惑なことは多々ある。他者を尊重し、感情を管理しつつ、愛を表現する方法が礼である。

しかしそれではまだ精神中心主義である。礼の本質は、感情という真実があり、その表現するとしての礼ではない。礼という行為により精神がつくられる。社会の様々なコンテクストの中で、節度ある他者への愛が正しく生まれる。孔子の思想では、聖人が作った礼を学び、みずから作らないという。孔子が重視した教化とは正しい礼を学ぶことで、正しい精神が作られる。あるいは正しい感情の表現の仕方を知るということだ。礼は形骸化しやすい。本心と関係なく、礼をしておけばよいというのは、正しい礼ではない、ということだ。本心は礼に先だたない。精神と行為(礼)は同時であることがよい。

儒教とは礼によって自らに向き合うこと。礼とは、自分との、それは他者との、社会との節度ある向き合い方である。過度に愛さない、過度に求めない。それは後ろ向き、消極的なことではなく、そこに求めるものがあると考えた時点ですてに過剰である。それが中庸である。 「なんのために生きているのか」、「私はなにものか」、「夢をみつける」。すでに過剰である。求めているのは私などではなく、過剰ゆえに言葉を発っさずにはおれないだけ。

中庸
喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。
発して皆節(せつ)に中る(あたる)、これを和(か)と謂う。
中は天下の大本(おおもと)なり。
和は天下の達道(たつどう)なり。
中和(ちゅうか)を致して、天地位(くらい)し、万物育つ。



[現代語訳] 喜怒哀楽の感情がまだ起こっていない精神状態はどちらにも偏っていないので、これを『中』と言っている。喜怒哀楽の感情が起こってもそれがすべて節度に従っている時には、これを『和』と言う。『中』は天下の摂理を支えている大本である。『和』は天下の正しい節度を支えている達道である。『中和』を実践すれば、天地も安定して天災など起こることもなく、万物がすべて健全に生育するのである。

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孔子の美学 礼の正しさはその美しさにある。

「形から入っても精神がない」というのは西洋精神主義である。人間、精神、思考>動物、身体、慣習というヒエラルキー。しかし人はこのような二元論でてきていない。たとえば暗黙知ということばがある。身体の慣習に高い知があるということだ。たとえば目の前のコップを口に運び飲む。これは当たり前のようであるが訓練による高度にコントロールされた行為であるが、精神は実際になにが行われているのか知らない。実際、行為は暗黙知でできている。

同様な意味で、ラカンは、無意識は言語活動のように構造化されていると言った。意思よりも、先に無意識は自ら語り始めている。ここでは本心は意思が決めるのではなく、無意識が語ったあとに、事後的に意思は作られる。精神があり行為が行われるのではなく、行為によって精神が現れる。

孔子の礼の重視は、仁は礼の結果であると考える。さらには孔子の礼楽主義で音楽を最上位においたのは美の力を重視するからだろう。礼を重視し、その音楽、詩の美しさ、韻を踏んだ漢字の並びの美しさ、読みの美しさ。論語も詩である。そこには暗黙知の最高の形態として美がある。礼の正しさはその美しさにある。人は美を求めて礼を行う。正しさとは美しさである。

論語 泰伯8
 子曰く、 詩に興り、礼に立ち、楽(がく)に成る。

論語
礼の用は和を貴しと為す。
先王の道も斯れを美と為す、
小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども
礼を以てこれを節せざれば、
亦行なわるべからず。



現代語訳 有子先生がおっしゃいました。「礼」の働きとして「調和」があります。昔の王も調和をもって国を治めることに長けていました。しかし大事も小事も調和だけに則って行おうとすれば、なかなかうまくいかないものです。調和調和と言うのではなく、「礼」を用いて調和をはかるようにした方がいいでしょう。(その結果、調和はついてきます)

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儒教に潜む暴力性


孔子は法治政治より、徳治政治を目指した。法さえ越えた仁(愛)による社会秩序である。考えてみればそれはなかなか恐ろしいものだ。約束なく信頼で社会を作る。約束では足りない、強い愛。それは最後には死をかけざるをえない。確かに精神を礼により管理する、さらに礼が精神をつくると、孔子は精神性より礼を重視し、様式化した。それでも儒教の中には、闘争の精神性が隠されている。

これはまさに混乱期の考えである。中国において儒教が形成された時代は、統一にむけての争いの時代だ。中国でも、唐など貴族化するときには仏教が好まれている。仏教は争いを嫌い、寛容であり、救済を基本とする。

日本で儒教と仏教が対比されて語られるのはおかしい。日本に伝わった中国仏教は、儒教化された仏教である。確かに儒教の特徴的な儀礼のような様式は行われず、江戸時代まで儒教は前面にでないが、いつも仏教の中に潜んでいた。たとえば仏教の慈悲に忠義孝悌のような具体的な精神性として儒教の仁が紛れ込む。武士が貴族より儒教的なのはなんらかの思想的転回があったわけでなく、仏教社会の中で、自然と儒教的な忠義を選んでいったのだろう。武士は孔子の原儒教の精神性へ回帰したと言えるかもしれない。

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(論語出展元 総合心理相談 ES DISCOVERY 「孔子の『論語』と中国古典の解説」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/confucius.html#RONGO)