なぜ日本人は高い品質を望むのか?


木村岳史(東葛人)   https://twitter.com/toukatsujin/status/844486491690565633


日本のゲーム会社の人が話していたが、世界一律サービスが可能なオンラインゲームでも、日本ではなく米国などで先行させるのが賢明だそうだ。日本の客は少しのバグも許さないし、ボコボコにされる風評リスクも高いからだ。これは企業向けでも同様で、米国ITベンダーにとって日本の優先順位は低い。




みんながサービス残業を奉仕しあう質の高い日本社会


なぜ日本人は高い品質を望むのか?これは日本人の一人当たりのGDP、生産性の低さとも関係する。一つは、日本人の勤勉性による。高い通俗道徳が高い質を求め合う。二つめは、サービスの問題。日本人はサービスを、おもてなし、ただと考える。だからクレームも言いたい放題。三つめは、戦後にそれが成功し、達成されたこと。一人当たりのGDPが低くても、一人当たりのGDPに現れない質の高いサービスを提供しあえば、みんながサービス残業を奉仕しあえば、日本全体はとても豊かでコンビニエンスな社会になる、そしてなった。外国人にとやかく言われることはない。

それが、最近いろいろ問題が出ている。一番は、中国など人件費の安いところで作られた質が悪いが安いものが流入しはじめて、日本人のみんなで維持してきた質の高い社会が、グローバルの波でさらわれ始めていること。あとは、アメリカのIT化。IT化は、サービスの自動化、セルフサービス化による低コスト化が目的だから、サービス業の質は落ちて、コストは下がる。日本人の質の高いサービスは解体される。

終身雇用などある程度の賃金、生活の保障があったから、みんなで奉仕しあえ、社会をよくしようという通俗道徳による経済的国家総動員体制が維持されたんだが、それが困難になってきている。奉仕する余裕がなくなり、質が低下している。

ようするに、一人当たりGDPという単純化された指標では測れない日本人の質の高い豊かさがあって、それはそれでいい。しかしそれとともに質の高さを維持することの限界も来ている。アジアからの低コスト品の輸入、IT化によるセルフサービス化、そして少子高齢化による勤勉の限界など。




IoTは日本人並のIT化を実現するか


IT関係の日本人の、 ガラケー呼びに始まる日本人バッシングは、彼らの情弱に対する選民思想がある。日本人のおもてなしは情弱を排除しない。情弱にこそ優しく。それはキリスト教の慈愛と仏教の慈悲の違いだ。簡単に言えば、キリスト教の慈愛は弱者救済。最底辺を助けることが基本。だからわかりやすくて直接的。日本人の慈悲に強者も弱者もない。皆が等しく弱者であり、皆で一緒の解脱を目指す。これがほんとに高度で面倒くさくい。簡単に助けたらダメなんだよ。助けると言うことは、相手を弱者にするわけで、相手の恥になる。おもてなしとは、もてなしています!はだめで、もてなしていないようにもてなす気遣いが大切。面倒くさいだろう。でもこの繊細さが、GDPでは現れない日本人社会の豊かさを支えているわけ。

空気を読むという日本人特有の繊細さも、ここから来ている。助けないように助ける。主張しないように主張する。好きじゃないように好きになる。ほんと日本人って世界一面倒くさい。西洋人はこれを外面と本音、裏表がある、二枚舌とかバッシングする。あいつらにはわからんよ。そうじゃないんだよ。高度な配慮なんだよ。

この慈悲の繊細さはいかに作動しているか?みなが配慮し合っているという暗黙の了解で作動する。一人でも配慮しなければ、配慮しているものが馬鹿を見るから配慮しないものは排除される。弱者が叩かれるのではなく、配慮を欠いたものが叩かれる。空気を読まないものが叩かれる。それは強者、弱者に関係ない。それが江戸時代から続く、日本人独自の世間というシステムだ。近代の法による社会とは違う。日本では法に触れなくても、世間が許さない。世間が法の判決さえも変えてしまう。ホリエモン、舛添、ベッキーなどなど。

明るい流れとしては、IoTだろう。いまのアメリカのIT化は、アメリカ人のおおざっはなサービス概念をもとにしている。すなわち悪いサービスなら自分でやった方がましだ。おもてなしの日本人がこれに耐えられるわけがない。IoTによって初めて日本人クオリティのサービス概念が自動で実現できるまで技術が追いついてくる可能性がある。おもてなしのIT化。



なぜ日本の街にはゴミ箱や灰皿が少ないのか 「世界でもっとも清潔」だと、日本の街並みは外国人から高く評価されている
Newsweekjapan:http://www.newsweekjapan.jp/nippon/mystery/2017/03/188670.php


<街中にゴミ箱も灰皿も少ないのに「世界でもっとも清潔」だと、日本の街並みは外国人から高く評価されている>

「ゴミひとつ落ちていない!」や「世界でもっとも清潔な国だ」、そして「歓楽街ですらキレイなんて!」など、訪日外国人をインタビューするテレビ番組やネットの投稿などで、日本の清潔な街並みを賞賛する声を聞くことが多い。世界最大手の旅行クチコミサイト「トリップアドバイザー」の「旅行者による世界の都市調査」(2014年)でも、2位のシンガポール、3位のベルリンを抑え、街の清潔度で東京が1位を獲得と、その評価は世界的なようである。

驚きの声と同時に彼らから上がるのが、「街にゴミ箱は少ないのになぜ!?」という疑問だ。確かに、1995年の地下鉄サリン事件以降、テロ対策を名目に首都圏を中心に街中のゴミ箱は閉鎖・撤去されていったが、それ以降、コンビニエンスストアの店頭を除けば、現在もその数は大幅に減ったままだ。また、灰皿に関しても、以前は東京・銀座の中央通りに等間隔で置かれていた灰皿がすべて撤去されるなど、2002年以降に各自治体で制定されていった「路上喫煙禁止条例」を機に、路上の喫煙環境は大幅に縮小されている。

一方、欧米ではどうか。アメリカではニューヨークなどの大都市では1ブロックごとに大きなゴミ箱が配置されているものの、つねにゴミが溢れている状態だという。ヨーロッパ各国でも灰皿付きのゴミ箱が多く設置されているが、フランクフルト在住のマリア・ドイチュさんによれば、「ドイツでは歩きたばこがごく普通のこと。街中に灰皿もありますが、吸い殻のポイ捨てもあたりまえです」といった実情だ。

ゴミ箱も灰皿も少ないのに、なぜ日本の街にはゴミも吸い殻も落ちていないのか――。多くの訪日外国人は日本の街、そして、日本人の清潔さを賞賛する一方で、あまりの清潔さにある種の畏怖にも似た不思議な感情を持っているのだろう。