アウラな世界 その1 偶有性と単独性

有機構成


生命とはなにか?生物学において生命を示す概念として有機構成」があります。有機構成とは「物質的要素が複合体をなすさい、要素の特定の配置が維持されているような、同一性を保つ構成化の水準」*1を示します。これは要素が配置をなし、その配置が維持されることにより機能が保もたれることを表しています。

たとえば機械製品は、要素が配置をなし機能を保っていますが、一部が破壊された場合には配置が再生され、機能を保つことはありません。しかし生命は、自己再生し、機能を維持しようとします。この場合、要素は細胞であり、有機構成が生命です。しかし有機構成の概念は、要素を生命とし、コミュニティを有機構成として考えることができる。ここに細胞と生命とコミュニティという階層構造を見いだすことができます。



偶有性と単独性

人においても同様なことが言えます。細胞を要素として人は機能を維持しています。これは生理システムです。生理システムとしての私には強い単独性を見いだすことができます。それは私の内的な力として、私を私として維持しようとすることです。このような延長線上に「私は私である」という自己は見いだされると考えられます。自己とは生理的な人内部の力ということになります。

しかし「私は私である」という内的な力があるとして、人を要素としたコミュニティの場合には、人は偶有的な存在でしかありません。人の生理システムは限りなく同じであり、もしコミュニティの一部が破壊された場合、それは要素としての人が欠落した場合に、コミュニティは再生される、すなわち要素としての人は代替されるからです。

人は、偶有的なコミュニティの配置において、単独性を見いだすことになります。私の意味は、私の代わりはいくらでもいるわけではなく、コミュニティにおける私の配置は私でしかあり得ないという単独性に見いだされる必要があります。ここでは私の意味とは、コミュニティにとっての私の意味、または他者にとっての私の意味が重要となります。人は、このような単独性と偶有性のパラドキシカルな状況において、そのバランスをとり生きています。