溢れる余剰 その9 つながりへの欲望

おしゃべり好き


2ちゃんねるはネットユーザーの「出会いの場」をうまく演出し、集客力を勝ち得た。そして大衆の野蛮性が露出し、いまや2ちゃんねるの反「大衆」性は、大衆の一面を担うまでになってきている。このような2ちゃんねるの原動力は、「コミュニケーションのためにコミュニケーションする」、なにか話したい内容があるから話すわけではなく、話したいから話す。すなわり「おしゃべり」である。

対面のコミュニケーションにおいて「おしゃべり」はとても普通の行為である。それは暇つぶしであるかもしれないし、寂しさを埋める行為かもしれないが、ネットコミュニケーションによってあらわになったのは、人はこんなにもおしゃべりが好きだったのかということである。



携帯メールという娯楽ツール

人の「おしゃべり」好きの傾向は、世界中に見られる携帯電話の驚異的な普及にも現れている。それは先進国のみならず、後進国においても携帯電話が普及しているということにも現れている。その中でも特に日本において爆発的な普及に結びついたのはメール機能の付加によってだろう。

個人で所有し、どこでもコミュニケーションできる携帯電話の電話機能も「おしゃべり」のツールとして携帯電話の普及を進めたが、携帯電話のメール機能はさらにそれを押し進めている。電話機能とメール機能を比べると、電話は他者に即答性を求めるという脅迫性がある。他者の日常に突然飛び込む。このために電話するためには往々にして用件が必要になる。それに対して、メールは電話のような即答性を求めない。

電話よりメールは雑談的で、おしゃべり的なのである。「今、なにしてるの?」とは、「用件」を伝えるのではなく、コミュニケーションへの合図である。特に良く知った相手とのメールは、文面は用件でなく、遊び的である。それは絵文字の多様に現れているし、意味を正確に伝えるよりも、今の気分を伝え合うゲームである。そして写メールは絵文字の延長にある。今の心象を伝える記号である。通信料の問題もあるが、メール機能は電話機能をさらにコミュニケーションそのものを楽しむ娯楽ツールとして普及を進めたのである。



コミュニケーション依存

このような目的化されたコミュニケーションは単に娯楽とはいえないのかもしれない。それはコミュニティの帰属意識に支えられていると考えることができる。私の知らないところで、コミュニティ内のコミュニケーションが密接に行われ、自分が排除されるのではないかという不安から、コミュニティへとアクセスし続けるのである。

これは「おしゃべり」そのものの本質であり、人は多重にコミュニティにコミュニティに帰属し、自己価値を形成している。しかしあるコミュニティへの過剰な帰属意識は、コミュニケーションし続けないと、コミュニティから排除されるのではないか、排除されると自己価値が保たれないのではないか、という強迫観念化し、それがメール依存症へつながる。

これはネット中毒においても同様である。ネット中毒は、ネット上のコミュニケーション場において起きやすい。ネットは24時間開かれたコミュニケーション場であり、自分がコミュニケーションをやめたあとにも、だれかがコミュニケーションし続けている。そしてそこで楽しいことが、大切なことが行われて、そこから自分が疎外されるのではないかという不安からくるのである。



記号コミュニティ依存

現代、人々は現前の他者との社会的なコミュニティから、記号コミュニティへ帰属意識を移している。記号コミュニティとは、マスメディアなどの情報によって、そのようなコミュニティが演出される。たとえばシャネル好きは、「シャネラー」という記号コミュニティに所属するのであり、それによって自己価値が形成されているのである。記号コミュニティは明確な組織ではなく、他の「メンバー」とコミュニケーションするわけでなく、雑誌、TVなどを通して、主体がそのようなコミュニティが存在し、そのようなコミュニティに帰属しているという意識によって支えられているのである。これは消費と強く結びついている。現代において消費することは、記号コミュニティへ帰属するためのパスを意味するのである。

このような記号コミュニティの発達は、テクノロジーの発達に支えられている。そしてテクノロジーによる利便性の向上が、人への負荷を増幅させることはよくあることである。たとえば、交通が便利になれば、今まで時間がかかっていたものが、短くなって、時間的な余裕ができるわけではなく、便利になったからより移動する回数が増えて、時間的な余裕がなくなるというようなことである。マスメディア的テクノロジーの発達は、最新情報を手に入れよう。新しいファッションを知りたい。映画は新しいものをみたいなど、記号コミュニティへのつながりへの欲望を増幅させ、新しい消費への欲望を増大させている。



ネットコミュニティ依存

このような記号コミュニティにおいて、携帯電話やインターネットの登場はさらにつながりへの欲望を加速させている。それは記号コミュニティの「メンバー」と直接コミュニケーションすることが可能になったのである。携帯電話によってアクセスが容易になったために、だれかがコミュニティへアクセスしているのではないかという不安が増幅した。またそれはメール、掲示板だけでなく、出会い系や、パーソナルなHPの作成などにも言える。

メールや、ネットへのコミュニケーションの増大は、単に記号コミュニティの「メンバー」と直接コミュニケーションすることが可能になり、人の「おしゃべり」好きが暴露されただけでなく、つながりへの欲望を増大させているが故に、より人は「おしゃべり」をするという面は否めない。