なぜ池田山形論争はおもしろいのか   経済学の彼岸 その4

pikarrr2007-02-21

なぜ山形氏は経済学のマスターたちへ質問状を送ったのか


池田山形論争は終演しつつあるが、その終わり方は実に象徴的である。山形氏が経済学のマスターたちへ質問状を送ったことは異常な行為であるのだろうか。正しすぎる故に異常である。(「クイズ:経済学者3人にきいてみました。」 http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070219))

この論争のおもしろさは「経済学」の限界にむけてのチキンレースであるからだ。池田氏がたえず「普通の経済学」という境界を見極め、とどまり続けたのに対して、山形氏は池田氏よりもより経済学的であろうとして、踏み越えていってしまった。経済学のマスター以上に経済学の「真実」をしるもの者がいるだろうか。そしてこのもっとも「正しい」行為が、経済学そのものの限界を露呈してしまった。そこにしか経済学の「真実」はない、ということを。




なぜ池田氏「経済学は役にたつか」と言ったのか


これが山形氏のネタであろうが、そこに行き着いたことに意味があるだろう。そして経済学に開いた穴に対して、池田氏に残された言葉は、「経済学は役にたつか」(すなわち「それでも経済学は役に立つ」)以外にないだろう。

経済学って大したもんじゃない。昔から「憂鬱な科学」としてバカにされているように、それは自然科学のまねをしようとしてできない中途半端な学問である。では、まったく役に立たないかというと、ないよりはましだろう。変ないい方だが、経済学が役に立つのは、それが日常的な実感に合わないからなのだ。

・・・だから公平にみて、学部レベルの経済学はかなり役に立つ。・・・しかし大学院以上の経済学となると、急に役に立たなくなる。複雑な現象を厳密に議論しようとすると、ますます非現実的な仮定を加えなければならないからだ。


池田信夫 blog 「経済学は役に立つか」 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/95d3adf9ab70ecda6604c71a807eedaf

ボクも先に書いたが、重要なことは、経済学という道具の限界を知ることだろう。「経済学は役にたつか」と問い続けることである。

ボクは個人的には、経済学というのは、合理的な「効用」へ還元し、理想的な状態を記述することを目指す方がもっとも有用であると考えています。なぜならどこまで複雑にしようが、「経済学の彼岸」としての現実との差異は残り続けるからです。 そして「経済学の彼岸」とは「科学の彼岸」です。「科学の彼岸」とは、科学技術とは一つの参考モデルとして活用するとともに、その限界を知ることが重要であるという、倫理的な次元です。


[議論]なぜ経済学で「幸福」は語れないのか  経済学の彼岸 その3 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070219

ブログ界隈にしばらくいるが、ぶっちゃけ、本当に読むほどのものなどほとんどない。当然、ボクも含めて。しかし今回の論争はブログでしか見ることができない醍醐味ではないだろうか。このような楽しく、勉強になるものを見せて頂いたお二人に感謝します。
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