なぜトイレ便座の自動開閉の先にボクたちの夢があるのか

pikarrr2009-03-12

トイレの進歩


最近、トイレの便座が自動で開閉するものがある。あれっている?手でパタパタとするだけでしょ。ボクはウォシュレットよりペーパー派なのだけど、日本のトイレ回り技術は世界で突出している。日本にきた外国人アーティストが日本のトイレのすばらしさに驚いて自宅に取り寄せたと聞いたことがある。

トイレ掃除用品に関しても日本製品は特別だろう。洗剤はトイレ専用で便器の裏まで洗剤がかかるように入り口が湾曲している。ブラシも同様な理由でその枝は絶妙な曲線を描いている。また便座回りは拭いてそのまま捨てれば水に溶ける使い捨ての「トイレクイックルがある。

要するには、手を便器に触れずにかつ楽な姿勢で簡単にトイレ掃除ができるように考えられている。現に手を汚さず実に楽に掃除ができる。ここまでトイレ掃除する人にやさしい製品をそろえているのは日本以外にはないだろう。

ここに高度な資本主義の一形態があるのではないだろうか。このような使う人にやさしく用途に分岐した商品は、トイレ関連だけではなく、日本製品の特徴の一つである。家電製品などあまりに機能が詳細に分岐しすぎて操作が複雑になり、逆に使いにくいと言われるほどである。




社会的分業−貨幣交換

商品価値の商品体から金体への飛躍は、私が他のところで名づけたような、商品の「命がけの飛躍」である。この飛躍が失敗すれば、商品は別に困ることはないが、商品所有者が恐らく苦しむ社会的な分業は、彼の労働を一方的に偏せしめすと同時に、彼の欲望を多方面にする。まさにこのゆえに、彼の生産物が彼にとって用をなすのは、交換価値としてだけであることになる。しかしその生産物が一般的社会に通用する等価形態を得るのは、貨幣としてだけである。そして貨幣は、他人のポケットの中にあるのである。これを引き出すためには、商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。すなわち、この商品にたいして支出された労働は、かくて社会的に有用なる形態で支出されていなければならない。あるいは社会的分業の一環たることを立証しなければならない。P188-189


資本論(一)」 マルクス (ISBN:4003412516) 1867

この文章にマルクスが考える下部構造としての資本主義の様式が的確に表現されているだろう。ボクたちは資本主義社会に生まれ落ちることで、自給自足するための生産手段をもたず、社会的分業に参加することを強いられる。そして社会的分業に参加し貨幣を手に入れる。その貨幣と交換で社会的分業によって生産された様々な商品を購入する。このことによって自らの生存を保障することができる。




シンメトリーとシンクロとコンベンション


このような社会的分業−貨幣交換という資本主義様式は、単に経済活動の様式であるとともに物質的な社会環境との関係に依存している。ボクはこのような社会環境の特徴として「鉄鋼社会」によるシンメトリー化を上げた。

鉄鋼材の影響によるシンメトリー環境が空間だけではなく、時間を分割し分業をシンクロさせ、生産性を向上させる。商品依存社会は自給自足の安定性を越えるだけの高い生産性がなければ成立しない。

ボクたちはこのような社会に生きるしかない以上にその環境にすでに生まれ落ちて生きている。すなわちこれは現代のコンベンションである。

ただ洗剤ではなく、トイレ便器用の洗剤、便器専用のブラシ、そして自動に開閉する便座。ここに究極的な現代のコンベンションがある。だからトイレの便座がゆっくりと自動開閉するとき、笑ってはいけない。そこにボクたちのこれからを占う夢があるのだ。

産業革命とはなんだったのか。これは歴史家を悩ませる問題である。教科書で語られるほどに、産業革命前後に断絶はない。産業化への変革は長い時間をかけて行われてきた。むしろ産業革命とは一つのイメージに支えられているのではないだろうか。

それは木材社会から鉄鋼社会への変容である。それまで建材の主流は木材であった。建物、乗り物、生活用品などが主に木材で作られていた。木材でもシンメトリーが基本であっただろうが、手作りで均一化には限界があった。また強度が弱く長期的に形態を維持することが困難であった。

それに対して、鉄鋼は、強固であり、精確にシンメトリーを形成し、さらに長期にわたり形態を維持する。鉄鋼の普及は構造物を一変し、そして生活空間の様相を激変させた。この鉄鋼の革命性は外装、骨組みなどの構造物としてだけではなく、工具として普及したことも大きい。たとえば現代では、鉄鋼は重いのでアルミや、プラスティック、あるいは木材もまだ使われているが、これらがシンメトリーをもって製造されるのは、金型や加工工具として鉄鋼が使われているからだ。

そしてこのような鉄鋼材の影響は、巨大にそして微細にシンメトリーを配置することで、剥き出しの自然を一枚の外装で覆いつくした。さらに変化は空間だけではなく、時間にも当てはまる。精確なシンメトリーが組み合わせられた機械の動作は、正確に反復活動することで、時間さえもシンメトリーにする。労働時間の管理、分業、すなわちプロレタリアートを生み出した。


「なぜ権力はシンメトリー(対称性)なのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090303#p1


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