なぜ資本主義は生き残るのか 

pikarrr2009-03-11


129 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2009/03/10(火) 15:07:19


市場からの的確迅速な撤退等、ポートフォリオ理論に基づくリスク管理と、新規の有望産業に資本資源(ヒト、モノ、カネ)の展開を、ある程度、長期に可能にさせていくことができる規模になったものが産業資本であり、金融資本。

そして、その資本を有し、それをオペレートするプレイヤー(資本家)も絶えず入替る。資本家も産業/商品市場を大きく読み違えれば、ありふれた債務者として葬られていく。市場において、永続可能な資本家などという神話などないよ。



「経済の裏面」としての社会的、政治的


富が偏在しているという事実があります。そして持っている者は、思いの外入れ替わっていない。誰かが成功したとき、凋落した時は表に出るが、継続しているときは静かにしているものです。リスク管理など言っているのは、独占の経済的な面でしかなくて、そこにはいつも社会的、政治的な面があります。たとえばインサイダーまがいなどは、日常茶飯事でしょ。

たとえば民主党小沢事件の問題でおもしろいのは問題が二重化していることです。一つは政治献金規制法に則っているか。小沢は守っているから問題ないといっているわけです。しかし報道や人々が持ち出している問題はルールをまもっているかより、献金収賄の働きをしているかどうかです。これは小沢が悪いかどうかより、制度自体への不信感です。

しかしいってしまえば社会はグレイゾーンでできています。そしてそれはいつも経済の裏面なのです。経済学が語るほど社会は青いケツではできていない。今も昔も資本がもっとも有効に力を発揮するのは「経済の裏面」です。だから資本主義は成立から独占(寡占)しかない。




流動性?豊かさの底上げ?モチベーション?


それでも封建的社会や、(腐敗した)共産主義社会より、独占は緩和され、流動性があるだろうことが資本主義が生き残っている理由でしょう。

でもそれはほんとにそうか?確かにアメリカンドリームは起こる。しかしそれはほぼ起こらないが、あまりにPRされすぎている。チャンス、希望が見せ金になっている?

あるいはかわらず富の独占、社会格差はあるが、社会全体として豊かさの底上げが行われていることが、資本主義が生き残る理由と考えられるかも知れません。懸命に報道される北朝鮮の貧しさをみて、あれよりもずっとましだろうと。

しかしこれって国際的な格差の上に成り立っているのではないか?途上国からの搾取により先進国の豊かさの底上げは成立している。

しかし確実に世界的な経済は成長しているわけで、格差が偏在していても、資本主義は世界そのものの豊かさの底上げしているのでしょう。

資本主義の特徴は、社会的、政治的に埋め込まれた経済的なものが、それまでよりも浮上し、主導した体制にあるのでしょう。そして社会的、政治的に埋め込まれた人々の生活に経済学的なリスク/リターンというひとつの光を照らした。もっとも簡潔に言えば、固定された社会に博打を取り込み、大衆に夢を魅せてモチベーションを引き出した。

実際に豊かさの底上げが行われているかどうか、はおいておいても人々のモチベーションを引き出したことが資本主義が生き残っている理由ではないでしょうか。




市場経済が浮上した奇跡


現代ではあまりに当たり前になった市場経済を重視することは、実はかなり難しい。なぜそれが可能であったかが、世界史の不思議であるわけです。太古より、社会的な横、そして政治的な縦のつながりは強力です。それは暴力ではなく、生きるために必要不可欠なものです。そこから切り離されれば、ほぼ生き残ることは難しい。

資本主義へ至るのはまず中世後期の、農作物の豊かさを背景にした欧州の爆発的な人口増加によると言われます。都市化による人口密度の増加が、社会的な、政治的なつながりから切り離されても、生きていける生活環境を生み出した。人の移動の流れが活発になれば、自然とつながりは緩み、緩んだ状態で生きていける体制、すなわち市場経済を人々が求めるようになります。

さらに初期の市場の多くは行政に管理されていました。人々が大量に集まる市場という場はそれだけで体制には脅威ですし、あと管理し徴収することで大きな行政収入になります。

それとともになによりも、商品を貨幣で等価交換するという行為はかなりの高度な行為です。売り手は高く売りたいし、買い手は安く買いたいという緊張があり、その緊張は簡単に暴力による略奪、不平等取引に転倒する。だから行政によって価格は統制され、市場の治安は管理されていました。




市場経済の繊細さ


そのように考えると、市場経済を中心に生活を保障することは、いかに難解なことであるか。必要なものがすべて商品で、それも安定、安全な形で提供されている必要があります。基本的にはこのような高度な社会が可能になったのはほんのここ最近でしょう。

そのために国家による法、都市構造、そして教育などが気の長い整備が重要でした。それでもそれが中央集権すぎれば、国家主義国家社会主義のように容易に、流動性を抑圧してしまいます。自生的な秩序を保ちつつ、管理するこの絶妙なバランスが必要になります。自由主義というように簡単に規制緩和することではなく、緩和しつつ国家統制を保つという微妙な調整です。

ここには「暗闇での跳躍」があるわけです。統制されすぎて「暗闇」をなくしてもいけない。かといって、自由すぎて「暗闇」が深すぎて飛ぶことを萎縮してもいけない。「暗闇での跳躍」を促す絶妙なバランスが必要です。




「経済の裏面」というセイフティーネット


だからこそ人は「経済の裏面」を決して手放さないのです。これは多くの資本を持つ豊かな者は当然ですが、貧しい者にも強く表れるでしょう。たとえば企業のコンプライアンスについて厳しくなっていますが、零細などはそれよりも生き抜くことに必死です。食品衛生・偽装などの問題も屋台レベルから考えると取り締まりコストの方がかかって放置するしかない。貧しい者にとって「経済の裏面」とは生きのこるために不可欠などん欲さです。

逆に市場経済の純粋さ、最近ならば新自由主義イデオロギーを鵜呑みにするのは、とても危険な行為です。それは市場主義が悪いということではなく、あくまでマクロな学説であって、現実には繊細なバランスの上になりたったいるというアイロニーが必要です。

現在の派遣社員などの格差問題では、とくにナイーブな若者が動物化などの楽観的な言説とともにガチで新自由主義を鵜呑みにしてしまい、「経済の裏面」というセイフティーネットをおろそかにしたことで起こっている面が多々あるように思います。




「経済の裏面」は豊かな者へは寛容で貧しい者へは厳しい


いわば、「経済の裏面」は、豊かな者へは厳しく、貧しい者へは寛容であるべきですが、資本主義ではそのはじめから、逆に働きがちです。貧しい者へは、経済的に、合理的に、効率的に、あることを強いて、高い経済性をもとめ、豊かな者たちは、表面は経済的でありつつ、「経済の裏面」をうまくつかって、豊かさを吸い上げる。資本主義のはじめから、そして現代の企業社会でもこのような二重構造は健在です。

生産現場では身振りに及ぶまで徹底的に合理化、効率化されています。そしてこのような作業の合理化のさきにバイトや派遣労働により数十円単位の人件費の削減があります。そして企業の上層部では数百億円の予算が、経済的とともに、それ以上に「経済的な裏面」をもって配分計画が作られる。これが国家予算になるともっと大きくなります。巨大なお金が公共事業など権力闘争のもとに配分されています。
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