なぜマスメディアは麻生叩きを続けるのか

pikarrr2009-03-28


麻生首相はメディアの攻撃の犠牲者となった 2009年2月20日 ストレーツ・タイムズ(マレーシア紙) http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-384.html


麻生首相は明らかに、4つある日本の民放TVネットワークの犠牲になっている。これらの民放は政治の話題を、何か別な形態の番組と区別せずに扱っているように見える。つまりテーマが面白おかしくなければならないような種類の番組と、そうではない番組ということである。

・・・4つの民放にとっては、麻生首相のマンガ依存症を攻撃することから始まり、5つ星ホテルの会員制バーで息抜きをする日課をあざ笑うことまで、すべてが格好の攻撃対象である。このようなレポートは、単調になりがちな政治ニュースを盛り上げるために添え物として時々報じられる分には、多分それほどの害はない。しかし、一人の政治家を過小評価することを目論んで、一日中際限なく、早朝5時半から深夜かなり遅くまで終わることなくこのようなレポートをニュースショーで取り上げたとしたら、政治家は破滅させられる。

・・・すべての民放ネットワークを通じてテレビのスクリーンから見えるのは、首相に対して同時に行われる集中攻撃だ。・・・日本経済を救うための麻生首相の景気刺激策も歪曲して報道され、今まで、表面的な少しのことしかしていないように見せている。

民放ネットワークに秘密の協定などなく、すべての偏向報道が純粋に視聴率アップを目論むテレビ制作者の身勝手な行為の結果だと考えるのは、もちろん純朴に過ぎる。実際のところ、民放キー局は日刊の全国紙を持つメディア会社が所有している。その政治的な視点は右から左まで実にさまざまである。つまり、民放ネットワークの政治的視点は、それぞれのオーナーや編集者の政治的なイデオロギーを反映している。・・・ここのところ放送されている反麻生のうねりの陰には、政治的野心を持つメディアの権力者と、舞台裏で糸を引く勢力が存在すると信じる理由があるのだ。




ニュースのエンターテイメント化と陰謀説


この記事にすでに多くのブクマがついて賛同を得ているが、ボクも同じように感じていた。麻生だけではなく、次々と首相がかわることの一因はこのようなバッシングにもあるだろう。ここでは麻生叩きの二つの理由が上げられている。ニュースがニュースショ−となって、難しいことを伝えるよりも、叩くことで視聴率を稼ごうとしているということ。もう一つは、マスメディアの裏にいる反麻生権力による陰謀説。

どちらも否定できないが、ボクはニュースの作り手が単に世界の変化についていけていないのではないかと疑っている。テレビ東京のPM11時からワールドビジネスサテライトhttp://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/)をよく見る。新聞で言えば、日本経済新聞のようなもので、他の普通新聞に比べて、経済、ビジネスに特化したニュースを行っている。

最近の最大の問題が経済問題であることもあるのだろうか、他の民放のニュースを見た後に、ワールドビジネスサテライトを見ると、同じ国のニュースとは思えない。ニュース番組にはそれぞれの特色があるのだろうが、もはや経済状況・対策を抜きに語れない状況で、他の民放のニュースはあまりに政治的な問題、それも多くが政治家などの人格攻撃に特化した報道が多い。





報道文化の硬直


確かに事実を客観的に伝えるよりも、関わる人物に焦点を当てた説明の方が人は感情移入しやすく、理解しやすいだろう。そういう意味では、ニュースはエンターテイメント化しているといえるのだろうが、それとともに、ワールドビジネスサテライトと比べると、古い報道表現方法のように見えてしまう。

そこにあるのは、政治家は悪巧みをする監視すべき人たちであって、マスメディアの使命は彼らを監視することである、というようなことだたしかにいまもそのような面があるだろうが、これに固執するのは時代遅れな表現方法ではないだろうか。

もし仮にテレビ局や報道がネットに押されて斜陽産業であるなら、視聴率を稼ぐためにエンターテイメント化する必要があるだろうが、それとともに、人材、価値観などの文化面での硬直がおこっているのではないだろうか。「報道はかくあるべき」という古いスタンスが、社会の変化について行けなくなっているのではないだろうか。麻生叩きというのはそのような空回りが表出しているのではないだろうか。

彼らは、本当に世界で起こっていることを理解できているのだろうか。世界の変化に対応しようとしているのだろうか、と疑ってしまう。




ほんとに起こっていることが伝わらない


このような硬直は、宮台がいうようにマスメディアというアーキテクチャがもつ限界、あるいは勉強不足なのだろうか。それ以上にコンベンショナル(慣習的)な世代論の面も大きいように思う。 たとえばビックブラザーに立ち向かう市民の味方のジャーナリズムという古いサヨ的なイメージにあぐらをかいているように見える。

奇しくも、小沢の政治資金が問題になっているが、僅かな抜け道も非難され、もはや政治家はかつてのような大きな権力を持っていないだろう。ここ数年のグローバル化の波は、日本国内の古い制度を解体しつつ、公開性を高めて、政治家はかつてほどの特権を享受できなくなっている。それでも同じように政治家を監視すれば、ホテルのバーで酒を飲むとは贅沢だと意味不明な非難をすることが関の山である。

もはやボクたちが直面している問題はもっと掴み所がない。たとえば政治家叩きや、派遣の悲惨さを懸命に伝えられるだけでは、その先で起こっていることがまったく伝わってこないのである。

MIYADAI.com Blog
「政治的ニュースが重要になる中、テレビがメディアとして持ちうる力とは?」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=708


テレビ局のニュース解説番組の百分の一以下の製作費で回している私たちのインターネットのニュース解説番組が順調に伸びている背景にオーセンティシズム(本物志向)があろう。番組は、各学会の最先端と、海外メディア全般を、広く深くウォッチした上で、内容を構成している。

・・・私の周辺には私と同じようなマスメディアとの関わり方をする大学人や表現者が複数いる。そうした人々と話しあうにつけて、記者クラブを新聞協会と民放連で独占するファーストニュースは別にして、ニュース解説はオーセンティシズムとは程遠いと思う。

ニュース解説だけではない。政治家に話をきく番組にせよ、政治家・学者・評論家に討論させる番組にせよ、レベルが低すぎる。各学会の最先端とも海外メディアとの無関連に、浅すぎる話で終始する。だから私の周囲の専門人たちがテレビに接触しないのは全く当たり前だと感じる。

マル激トーク・オン・デマンドに招く政治家や学者やアナリストは、テレビに出連している人々だ。だから先に述べたようなレベルの低さは、政治家や学者やアナリストのレベルの低さではない。間違いなく制作側のレベルの低さなのだ。これについて私は以前から警鐘を鳴らしてきた。

欧州や米国のテレビ局では、番組が扱う分野に学会動向や海外動向を含めて精通したリサーチャーを抱えているのが当たり前で、専属の場合もあれば契約した学者や学者の卵の場合もあるが、ディレクターやプロデューサが数週間取材するだけでは到底追いつかない専門性を発揮するのだ。


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