なぜ老後はみじめに描かれるのか 「無縁死の衝撃」

pikarrr2010-02-03

NHKスペシャル無縁社会」の衝撃

誰にも知られずに死に、遺体の引き取り手もない「無縁死」が増えているようだ。NHKがこうした「無縁死」の特集を放送すると、「とても他人事とは思えなかった」「精神的に辛くなったわ」といったコメントが巨大掲示板2ちゃんねるに殺到したほか、個人のブログにも取り上げられた。

反響を呼んでいるのは2010年1月31日放送のNHKスペシャル無縁社会〜『無縁死』3万2千人の衝撃〜」「身元不明の自殺と見られる死者」「行き倒れ死」といった国の統計では出てこない「新たな死」が急増し、NHKの調べによると年間3万2000人にのぼる。このうち1000人が身元不明のままだ。


NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到 http://www.j-cast.com/2010/02/02059322.html

NHKスペシャ無縁社会の反響が大きいですね。ボクも見たときにショックを受け泣きそうになりました。しかしなぜそんなに衝撃的だったのか。悲惨な場面があるわけではない。たとえば介護問題や失業問題のドキュメントの方が絵的には悲惨でしょ。

無縁死した人々は死ぬまでは自立し普通に生活をしている。無縁死は必ずしも貧困と繋がりません。豊かでもあって老後が孤独な状況はありえます。女優の大原麗子のように豪邸に住みながら発見されるまで数週間かかる場合もある。無縁と言わないまでも老後の孤独は誰にでも訪れえる現実でしょう。だから普通に生きる多くの人が現代の孤独の延長線上として明日は我が身として実感されたということでしょう。




「無縁死に口なし」


それでもどうも腑に落ちないのは、現代は子供のいじめから老人の孤独死まで、多くの孤独問題がありますが、今回のような無縁死が特別に大きな問題ということではない。それでも番組が心に訴えかけたのはとても叙情的な面によるのではないか。と考えると、この番組って実はかなり演出のうまさに支えられているのではないか。

今回のように、死んだあとの痕跡からその人を描き出すという手法はとても映画的です。仮に一人でもどんなに楽しく過ごしていたとしても、悲しい人生として描き出せてしまう。「無縁死に口なし」です。

彼らが結婚せず、両親が死んで無縁であったからといって、ほんとうに卑近の社会と切り離されて生きていたのか。たとえば宗教的な救いはなかったのか。番組で登場した人はきちんと定年まで仕事を勤め上げて老後も自立して、真面目に生活を営んでいた。彼らは自分の死後にこのように、悲しい人生であったと描かれることを喜ぶだろうか。無縁だから悲しい人生だったというのはあまりに強引な演出ではないか。




「無縁死」による幸福な老後像


人類史上例を見ないほどに豊かなで長寿社会であるいまの日本において老後が惨めであるなら、いままでいかなる老後があったのだろう。封建社会ではみなが大家族で老人を敬い、死ぬまで手厚く見守り幸福であったというのだろうか。そしてそれほど長生きしない時代がよかったというのだろうか。

現代社会は多かれ少なかれ誰もが個人主義で孤独である。そして長寿で少子、未婚社会では当然、血縁が薄くなる確率も高くなるだろう。この番組はいかに真面目に働いても、経済的に自立できても、将来があたかも孤独で惨めなものになると予言しているかのようである。メディアはあまりに老後を惨めに描きすぎるのではないだろうか。そのために人々は絶えず老後におびえて、過剰に貯蓄して、経済的、社会的な閉塞を招いている。

現代において、孤独は本質的な問題であるが、また自由で気ままな生活という面ももつ。そろそろ現代にあった「幸福な老後」像を造り出すときではないだろうか。たとえば生活に困窮せず、一人のんびりテレビ見てウェブを楽しみたまに老人オフ会で集う気楽な無縁社会を現代の幸福な老後像にしてはダメ?
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