なぜこのさき日本人に脱原発はむずかしいのか 東日本大震災

pikarrr2011-04-11

フクシマが世界へ与えた衝撃


フクシマ後、各国の原発政策が問われている。チェルノブイリアレルギーがある欧州先進国では脱原発議論が活発化するだろう。すでにドイツでは州議会選挙が行われ、フクシマの影響で環境政党が大躍進を遂げたという。

スリーマイルショックから立ち直りつつあったアメリカの原発建設再開も難しくなるだろう。リーマンショックからの復活のためのグリーンエネルギー計画の目玉はまさにこの原発復活にあった。原発による電力を中心にスマートグリットとして、分散化電源を、さらに家電やインターネットまでもつないだ一大電気ネットワークを構築することで、多様な需要を生み出すことを狙ったものだ。

グーグルやインテルのIT企業もこのような流れを次の流れてとして投資している。オバマが多額の補助金を投入している電気自動車にしろ、このような電力量増加と安定供給体勢があってこそだ。




中国は原発大国を目指す


このような自粛傾向に対して、対照的なのが中国だろう。中国には今後2020年までに60機近い原発建設の計画があるそうだ。フクシマの影響で見直しという話もあるようだが、止めることはないだろう。なぜなら急激な経済成長に対してすでに電力不足に陥っているからだ。

中国はすでにアメリカ次ぐ世界第二位のCO2排出国である。国際会議では削減に非協力的だか、このまま増やし続けることができないことがわかっているので、削減の国内政策には積極的である。そしてクリーンな電力供給としても原子力は必要不可欠である。

共産党によるトップダウンの戦略から原発計画を見なおすことはないだろう。むしろフクシマは失敗例としての重要な手本となる。同様に、グローバリズムの中で経済発展している国々が発展を継続させるには原子力発電は必要不可欠になる。

中国は単に先進国に追い付く域を越えて、さらに先をいく電気社会、そして環境社会を目指している。いまの流れで行けば太陽光発電につづき、電気自動車導入台数でも世界一になるだろう/せざるおえない。

太陽電池などでもそうだが、そこで生きるのは日本の技術、技術者である。良い技術が花開く場所を目指すのは仕方がないことだ。




脱原発の日本の長く苦難な道


現在の問題がいつ落ち着くか見えない。仮にこのまま軟着陸しても、廃炉するには数年がかかり、その間日本人に不安を与え続けることは避けられない。原発付近の住人は戻れる日がくるのか。

最近は地震があるたびに付近の原発の状況が報告されるようになった。原発とはもはやそのような存在となった。このショックはそんなに簡単に変わらない。そして新たに建設はありえず、原発そのものの存続議論が活発に行われるだろう。脱原発が一つの大きな潮流になることは間違いない。

しかし脱原発といっても解は見えない。温暖化対策から火力発電を乱立させることはできない。また今後、分散化電源は増えるだろうが、簡単に安定した供給元と成りえない。

フクシマ前から日本の経済活動、特に消費は勢いを失っていると言われていた。様々な理由が上げられているが、大きな理由は世界で唯一の「超高齢社会」だろう。高齢化し成熟した社会では活力ある若者が減り、緩慢な高齢が増えて消費欲は冷え込まざるをえない。

そこにさらにこの震災である。長期的に電力不足は国内の生産を抑制せざるをえず、ものの値段は上がる。それ以上に電力不安は人々の経済活動を冷え込ませて清貧生活を指向される。産業革命以来、経済成長することで社会を維持してきた中で、経済活動の停滞に解はない。いかに生きていくか解が見つからない長く苦難の道にならざるをえないだろう。




ほんとに日本人に脱原発ができるのか


ほんとに日本人に脱原発はできるのか、疑問である。たとえば日本の近代化とは、欧米のように市民革命を経ずに、上部の武士階層によって欧米に軍事的・産業的に追いつけという、上からの改革として行われてきた。この流れは世界大戦の敗戦も継続された。軍部の解体後も、産業が中心となり政府中心の護送船団的によって、進められた。

たえず政府と産業界は密接な関係があり、政治は産業界を中心に行われてきた。日本の社会保障は会社の終身雇用によって補われてきた。人々は会社員として仕事に専念し、政治へのコミットは企業に任せる。政治活動は市民としてではなく、会社を通して行われる。規制の多くは企業に課せられて、会社人としての国民へ負担する。たとえば省エネの努力は規制として企業に課せられ、人々はその企業の製品を買うことで間接的に貢献する。

このために日本人は基本的に保守派である。日本の経済が活性化することが日本人の目指すことである。日本人は運命共同体であり、政府もその一部であり市民として反抗する文化はない。脱原発とは実質的には脱産業化に近いが、脱産業化した日本人になにが残るのだろうか。 

それでもそれでも、今回のショックは生半可なものではない。そう簡単に脱原発を忘れることなどできないだろう。はたして解はどこにあるのか。日本人が今後の方向性をめぐって、混迷し続けることは間違いないだろう。

ジャパンブランドは傷つき、すぐに国際的な信用を取り戻すは難しいだろう。そして世界的に、日本は中国経済圏の隅にある貧しく汚染された国になる・・・それでも脱原発を貫き通すことなどできるのだろうか。

・・・本日、石原都知事の再選が決まった。これはすでに脱原発が最大の焦点ではない、ということだろう。

外国人記者が見た「この国のメンタリティ」「優しすぎる日本人へ」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2372


パリー氏は、被災地で取材をするなかで、ある日本語をよく耳にした、という。「なぜもっと要求すべきことを要求しないのか、なぜ忍耐強くいられるのかと尋ねたとき、彼らは『仕方がない』と口々に言いました。この言葉は普段聞くと、諦めのようなニュアンスがありますが、しかし彼らは希望を持ってこの言葉を使っていたように思います」・・・「仕方がない」という言葉を胸に、ピンチのときこそひとつになろうとする日本人の姿は、外国人記者の心を打ち、世界中で驚きと賞賛を呼んでいるのである。

しかし、一方で日本人は地震で起こったあらゆる物事を「仕方がない」の一言で片づけようとしてはいまいか

古い情報を小出しにし、明確な説明を避けるかのような枝野官房長官の姿勢は、自分の国ではあり得ないことだ---。海外の記者は口々にそう言うが、おそらく彼らからすれば、そんな姿勢を許してしまっている日本のメディア、ひいては国民の姿も奇妙に映っていることだろう。

政府や東電の対応の遅さが原発被害の拡大を招いた以上、これは天災ではなく人災である。それを政府も東電も「想定外の災害だったから」の一言で片づけようとしている。他国であれば決して許されることのない強引な論理を、日本人はなぜ許してしまうのか。なぜもっと不満の声を上げないのか---。海外メディアの記者たちは、その「優しさ」と「仕方がないの精神」に驚くと同時に、戸惑っているようにも見えた。

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参考

なぜ災害時、日本人に治安の悪化が起こらないのか
 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20110318#p1

東芝廃炉に10年程度の見通し、東電にプラン提出−福島第一原発
 http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=aaM4MuDoafcA

原発緑の党が大躍進=与党、歴史的敗北−独州議選
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201103/2011032800039

原子力推進国、方針変化なし エネ研が事故影響分析
 http://www.shimbun.denki.or.jp/news/energy/20110408_01.html