ドラマ「鈴木先生」はなぜ面白いのか  学校という心理劇場

pikarrr2011-06-08


緋桜山中学で国語教師をしている鈴木先生長谷川博己)は・・・2年A組で自分なりの教育理念を試す実験をしようとしていた。一見普通に見える生徒たちほど心の中には鬱屈したものを抱えていると感じる鈴木先生は、「大人しくて優等生が多いクラスはつまらないクラスになり、不良や問題児がいてこそクラスは活性化する」――そんな教育現場の常識を打ち破り、彼らの心の中を改革することにより、理想のクラスを作り上げようとしていたのだ。その為にはクラスの中心にスペシャルファクターが必要であり、それが小川蘇美だった。

そんなある日、家庭科室で1年生が作ったクッションが切り裂かれるという事件が発生。前日最後に家庭科室を使ったA組の生徒たちは、家庭科担当の足子先生(富田靖子)から心当たりを聞かれることに。すると、成績も優秀で人望も厚く、健康優良児タイプの藤山高志(桑代貴明)がバタフライナイフを持っていることが判明。藤山は必死に失くしたと弁解をするが、教室に微妙な空気が流れる。鈴木先生は、この場で真偽を追及するべきかどうか必死に頭を働かせるが、足子先生は突然藤山を信じるかどうかの多数決で場を収めようとする…。


ドラマ鈴木先生第一話  http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/




普通の生徒のドラマ


正当な「先生もの」のドラマとは毎回、クラスでその世代を反映した問題が発生し、先生がその問題を解決していくために奮闘する、というものだ。最近はマンネリもありそこから派生して様々な亜流の学園ドラマが作られている。

ドラマ鈴木先生http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/index.html)は正当中の正当な中学校の先生ドラマである。だがそれでいて新しい。新しさの理由は、劇中で語られる鈴木先生の教育方針に象徴されている。通常、先生は問題のある生徒に多くの労力をさく。このために普通の生徒は問題が起こして先生に負荷をかけないように自制している。このことに気が付いた鈴木先生は普通の生徒の自制をケアーすることの重要さに気が付く。

この考えがそのままこのドラマのコンセプトにもなっている。一般の先生ドラマでは問題児が中心にドラマが展開される。しかしドラマ鈴木先生のクラスにはいままでの学園ドラマで典型的な暴力、いじめなどのような派手な問題はなく、みなが普通にものわかりがよい生徒たちである。




「反省」する中学生


普通の生徒が起こす「小さな問題」をドラマとして面白くしているが、内面描写である。このドラマでは鈴木先生の内省の場面が多い。場面場面で鈴木先生はいかに対処するべきか、心の声で状況を分析し、次の作戦を練る。

そしてこのような鈴木先生の内省は策士家ということではなく、生徒たちも「反省する者」であるという考えから来ている。(ここでいう「反省」とは自分が悪かったことを認めて考え直すという意味ではなく、「自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること」。)

普通の生徒は問題が起こして先生に負荷をかけないように自制している、ということは、生徒は自らが置かれている「生徒」という状況を知り、そして「問題がない生徒」であろうと演じている。このようなメタ認識できることが他の動物と「人間」を分ける特徴と考えられる。学校はすでに高度な社会環境であると言うことだ。




学校という心理劇場


生徒が問題と起こしても、子供だから分別がなく問題行動を起こしたということではなく、その行動が衝動的だとしても行動の後に反省を行い、自分が悪いことを行ったことを知っているし、なぜそのようなことをしてしまったのか、繰り返し問うている。

だから問題を起こした生徒に対して鈴木先生「なぜ〜した」とか、「〜してはいけないだろう」というのではなく、「悪いことだとわかっているんだろう」と問いかける。ドラマの中では、他の先生や生徒の親が「まだ子供なんだから教えなければならない」という従来の低次元の対処しかできないと描かれ、鈴木先生は生徒自らの反省を引き出し、一緒に考えて、納得されていく。

ドラマ鈴木先生では生徒の中学生はすでに「反省する者」である。そして学校はすでに大人と同様に、あるいはそれ以上に「場の空気」「かいま見える狂気」の場であり、「反省する者」たちの心理劇場として展開していく。




学校は異常な場所


そのように考えると、学校とは実はとても異常な場所であることが浮き上がってくる。たとえば普通の社会人が中学生のような環境に囲われたらどうだろうか。単に中学校に通うだけでなく、様々なルールと制約を課せられたら。考えただけでもぞっとする。その環境で正気を保てるだろうか。その「密室」でいかなる心理劇が繰り広げられるか。

ドラマ鈴木先生では現に生徒だけでなく先生たちも壊れているのだ。そして鈴木先生も女子生徒と抱き合う妄想に取りつかれるギリギリな状況にある。単なる性欲ではなく「救い」のために。




参考 ドラマ「鈴木先生」視聴率低迷…高評価とギャップなぜ? http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/tnews/20110609-OYT8T00731.htm