なぜ日本人は「自民党でない」という贅沢な選択が可能なのか

pikarrr2011-06-03


「与党でいたい」だけで繋がる民主党


昨日の内閣不信任案を巡る茶番は、いまの民主党の実体をよく表していましたね。菅周辺の小さな集団が、野党に逆戻りしてもいいのかと脅し て、民主党を操る。今回も、最後に野党に戻ることにビビった多数派が結局、菅周辺にすがりついた。結局、菅に代わる頭を見つけられなかった。

政策でも、ましてや信頼でも繋がっておらず、ただ政権を維持するためだけの集団。党首脳は地方選で民主党が惨敗しようが、しったことではない。だから政策に一貫性がない。それぞれの場でそれぞれの議員が持論を展開して、場と人が変われば簡単に話が変わる。それは総理だろうがかわらない。一貫性のない無責任な政党。




自民党でない」という贅沢な選択


そもそもの経緯が国民も自民党でない」ことで選んでいる。結局、民主党も国民も自民党でない」ことだけで、合意した信念のない政治体制。菅はまさに自民党にもどっていいのか」という脅迫で政権に居座り続ける。

結局、自民党でない」という消極的理由で選択することが許される裕福な国民のゆるい政治ということでしょ。だれがやっても今の豊かな生活レベルは変わらないだろうから、嫌いな奴以外で選ぼうという、とても贅沢な選択だ。




裕福からくるネガティブな贅沢病


「失業者1000万人時代突入」などと相変わらずなマスコミのネガティブな見出しになっているが、事実関係をみると、先進国の平均失業率が8%程度とあるのと比べると、日本の「足元の完全失業率は4.6%」と良好な状態だ。

治安面でも日本は世界3位と良好で、下げている面は国内よりむしろ「中国や北朝鮮との緊張」という周辺への不安だ。

最近の日本人は「将来はダメになるはず」に取り憑かれている。それを表すのが次の記事。豊かなのに「生活に満足している日本人は40%」。平均値も高いが格差も日本は小さい。これはもはや精神的な病としかいえない。裕福すぎて将来への不安が肥大する、一種の贅沢病だろう。

失業者1000万人時代突入.

http://news.livedoor.com/article/detail/5594923/

世界平和ランク、日本は3位 1位はアイスランド

http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY201105300106.html

日本人、豊かでも生活に不満 OECD幸福度指標 満足40%どまり、加盟国平均は59%
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819694E0E6E2E2848DE0E6E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2


経済協力開発機構OECD)は24日、加盟各国の国民の暮らしの「幸福度」を新指標を使って評価した結果を公表した。日本は家計や雇用、高等教育、健康など多くの指標で平均を上回る位置につけたものの生活への満足度は低く、豊かな暮らしのなかにも不満を抱えながら生活する日本人の姿が浮き彫りとなった。

同日、パリで開いたOECD設立50周年記念行事にあわせて発表された。経済面でみると日本人の家計可処分所得OECD平均を上回り、さらに家計資産は同平均の約2倍と恵まれていた。

15〜64歳までの労働年齢人口で有給の仕事に就いている日本人は約70%。OECD平均の65%を超えた。失業率も同平均より低かった。また日本人の年間労働時間は1714時間とOECD平均の1739時間より少なく、指標からみると日本人の働く環境は悪くはない。

教育面では、日本人の学歴や読解力はOECD内の上位に入った。平均寿命は82.7歳と加盟国中最も長かった。OECDは日本について「多くの幸福指標で平均以上」と高く評価している。

一方、生活に満足している日本人は40%にとどまり、平均の59%を大きく下回った。満足度はデンマーク(90%)やフィンランド(86%)、ノルウェー(84%)など北欧で高い。日本より低いのは韓国(36%)や旧東欧諸国だった。




絶対的価値のジレンマ


このようにネガティブになっている理由のひとつが「絶対的価値のジレンマ」があるだろう。たとえば日本には約300万人もの失業者がいる。300万人というのはものすごい数である。これをどのように考えるか。失業率では約5%。これは先進国では決して高い数字ではないし、日本の歴史においても、悪いものではない。

ここで考え方は二通りある。一つは相対的な価値基準。相対的にみて5%なら良い方だろうと考える。もう一つは絶対的な価値基準。他国がどうだろうが関係がない。現に300万人もの失業者がいるというのは大変な事態だ。

それぞれ考え方であるが、どうも最近日本は絶対的な価値基準に傾倒しているように思う。絶対的な基準の問題は、いつまでたっても問題はなくならないということだ。仮に失業者が10万人に減ったとしても、10万人もの人が大変な思いをしているかもしれない・・・

問題を考え続ける、というのは一つの「正義」のあり方であるが、しかし神経症的(ノイローゼ的) で、進めなくなる。どこから楽観的に割り切って進むことで次の展開が見えてくる。行為とはそういうものだ。いまの日本は相対化する価値基準を見失い、自国の中で考え続けて、閉塞してしまっている面が強い。
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