なぜ日本人は西洋人のように陰気になってしまったのか
陰気な西洋人と陽気な日本人
聖書とは簡単にいえば、マイノリティの自らがいかにメジャーに虐げられたか。そしてそれに正しく対処した。だから最後は我々が勝利する、という物語だ。なんと西洋人はこんな陰気な話を何千年も読み、考えてきたという。日本人にはとてもじゃないが、陰気臭くてついていけない。
現に虐げられたマイノリティのユダヤ人から生まれたこの陰気な物語は、下層の人々に共感されたのだろう。民族闘争が日常する西洋では、破れた民族は下層となり、生まれにまでつながる徹底的な格差と搾取が生まれる。
それに対して日本も中国という大国の周辺のマイノリティと言えるが、島国のために征服された経験がなく、独自の王国を築いてきた。また豊かな環境から農業また商業が発達し、比較的豊かに暮らしてきた。天皇を頂点とした階級性はあったが西洋の場合と違った。日本では天皇を頂点とする縦の階級性はまた、天皇を中心とした横の「職の体系」でもあった。擬似的な単一民族の日本人として互いに役目(職業)を分担しあう。だから職においてそれぞれが等しく役目を負っている尊重があった。
たとえば武士は実質的な支配層になったあっとも、天皇から授かった治安維持、政治という職業面を維持しつづけた。将軍とは征夷大将軍職である。農民層は環境に大きく作用されるために飢饉など苦しい時期はあるが、村の自治は農民自身ににまかされているし、年貢さえを収めれば仕事そのものは自由であり、努力代は自らの懐に入る。
このような自主性から日本の農民は自ら文字を学び本を読み、法に精通し、また農作業を研究した。彼らは全般的に自由で陽気であった。このような傾向は強く縦の支配下にあった西洋の農民には見られないだろう。
近代化で日本人は陰気になり、西洋人は陽気になった
日本人がこのような陽気さを失っていったのは明治時代以降の近代西洋化からだ。国民一致の規律体制、場所、時間を拘束する機械労働、またキリスト教的禁欲倫理、儒教的な厳格さが導入された。さらにいままでの日本文化は否定され、西洋的価値が美化されることでコンプレックスが植え付けられる。日本人は国際ルールに該当しない半未開人と見下す西洋人の見方がそのまま、日本人自身の中に移植されていく。
そして互いに監視し合い、西洋化しなければ世間の恥として集団からのけ者にされた。日本人は勤勉、厳格な家長制度、男尊女卑、集団主義、恥の文化、大和魂、西洋のものまねがうまい、日本の農民は虐げられてきたなど日本の陰なイメージはこの時に生まれた。
職に高いプライドを持ち、また金がたまれば仕事を休む、自分のペースで自由に働く。外から家の奥まで筒抜けで、人前で裸体をさらすことも気にせず、複数とセックスを娯楽として楽しむ陽気な日本人は失われた。
そして西洋人の明るいイメージは日本人を見下す優越感から生まれた。日本人はコンプレックスがない中国、韓国などアジア人に対して、特別日本人が陰気だとは考えないだろう。そしてこのような西洋人に対する日本人の抑圧された陰気さはいまも継続している。
もう1つの西洋人の明るいイメージはアメリカ人による。アメリカ人の陽気さは新大陸という開放性からくるのだろう。その意味でアメリカ大陸とは大国コンプレックスのキリスト教徒が見つけた「約束の地」なのかもしれない。日本人のアメリカ人好きは日本人の本来の陽気さと共鳴するからかもしれない。
現代の陽気な日本の若者
しかし一方で日本人の本来の陽気さはそう消えるものではない。たとえば子供、若者である。キリスト教圏では子供は厳しく躾けられるのに対して、日本人はいまも子供に寛容であり、自由奔放に育てられる。日本ではいまも「職の体系」の文化が継承されており、大人になることは職をえることを意味する。だから逆に就職するまでは子供、若者は甘やかされる。
たとえば日本の女子高生や男子大学生を西洋のそれらと比較すればいかに社会から寛容に扱われているかよくわかる。このために彼らは「かわいい」や「オタク」など日本独特の陽気な文化を生みだされている。
また彼らの文化が性に開放的であるのも特徴的である。最近、オタク文化の性表現が西洋からの圧力で規制されようとしている。またCNNが秋元康にAKBに関する性倫理についてきびしい発言をして話題になっている。日本人からすると気にもしないことだが、彼らのキリスト教的禁欲倫理からは奔放すぎるのだろう。
しかし一方でその若者たちのセックス離れが社会問題になっている。これは彼らがセックスをキリスト教的な「純愛」の先の崇高なものへ結びつけているからだ。彼らもなんでもいいからセックスを経験することが簡単だろう。それでは彼らのプライドが許さないだの。
このナイーブさはキリスト教徒以上かもしれない。が、またクリスマスを一年でもっともセックスする日へと結びつける日本人の安易な西洋化という陽気な一面でもある。西洋人に対して陰気にふるまいながら、日本人は唯一の非西洋人として、この陽気さで西洋人と渡り合ってきた。
秋元康に米CNNが厳しい追及 「性的搾取に関与しているのか」 http://www.j-cast.com/2012/01/16118991.html?p=all
AKB48総合プロデューサーの秋元康さん(55)に、米CNNの記者が「若い女の子たちの性的な搾取に関与しているのか」とただしたことが話題になっている。秋元さんはすぐに否定したが、ネット上では、記者の質問に賛否両論のようだ。
女性記者のアンナ・コレンさんは、秋元康さんとのインタビューで・・・歌詞のいくつかは性的表現が過ぎると批判があるとし、メンバーにまだ13、14歳の女の子もいると指摘した。秋元さんは、「批判はないですね」と反論し、ストレートな性的表現はなく、歌詞でロマンティックな風に変換していると話した。不埒な遊びをしたいなどの表現がある曲「制服が邪魔をする」については、リアルな言葉をつづった日記を読んでいるわけではなく、メンバーたちがお芝居のようにただ演じているだけだと理解を求めた。
十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうであろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさら、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征のさい下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。
ティリーは一八五八年からロシア艦隊に勤務し、五九年その一員として訪日した英国人であるが、函館での印象として「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」という。英国聖公会の香港主教ジョージ・スミスは一八六〇年に来日した人で・・・幻想や読み込みなど一切縁のない人物だったが、その彼ですら「西洋の本質的な自由なるものの恵みを享受せず、市民的宗教的自由の理論についてほとんど知らぬとしても、日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかに流れてゆくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されゆくことに満足している」と認めざるをえなかった。
一八六〇年、通商条約締結のため来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。また一八七一年に来朝したオーストリアの長老外務官ヒューブナーはいう。「封建制度一般、つまり日本が現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。」
オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとして」出会わなかったというが、これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人びとの特徴だった。ボーヴォワルはいう。「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」。
一八七六年来日し、工部大学の教師をつとめた英国人ディクソンは、東京の街頭風景を描写したあとで次のように述べる。「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感でないらしい。西洋の都会の群衆によく見かける新郎にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。駆られ老若男女を見ていると、世の中には非哀など存在しないかに思われてくる。」むろん日本人の生活に哀しみや惨めさが存在しないはずはない。「それでも、人々の愛想のいい物腰ほど、外国人の心を打ち魅了するものはないという事実は残るのである。」P74-77
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺京二 ISBN:4582765521
明治から大正にかけての時代、工場や鉱山で働くことは、自分の社会的な評価を落とすことになるような人生の経路であった。牛馬のようにこき使われる労働者は、社会の下層のなかで極貧の生活を余儀なくされ、生産的な活動を通して社会の発展に貢献しているにもかかわらず、その栄光はほとんどすべて企業家の上に輝き、労働者は対等の権利も社会的な評価も受けられなかった。・・・
日本人が工場の労働にしめしたこのような反応は、おそらく「働くこと」に関して、工場の労働が、それまでとはまったく異質の要素を持ち込んだことに敏感に気がついていたからではないかと思われる。伝統的な社会では、自作農民にしろ職人にしろ、彼らの労働の形態は、主人のいないものであった。農民たちは、自然条件に左右され、たえず災害の発生に気を配り、作物の育成状況や天候に応じた農作業を間断なくこなしていかなければならなかったが、それをどういう順序でいつやるのかの判断は彼自身の意思にかかっていた。労働の主人は彼自身だったのである。生きていくためには生活のほとんどの時間を使い、肉体をすり減らさなければならなかったけれども、それを決めるのは農民自身であった。
・・・働くために必要な金を得るのが仕事であり、自らがその仕事の主人であれば、長時間働くことは必ずしも必要なことではない。だから、生活に追われていた農民たちといえども、金回りがよくなると、ばくちに手を出したりして、必ずしも勤勉とはいえないような生活態度を示した・・・P205-207
日本人の経済観念―歴史に見る異端と普遍 (岩波現代文庫) 武田晴人 ISBN:4006031742