なぜ日本人は第三次産業が苦手なのか 奴隷とサービス業

pikarrr2012-02-06

奴隷制と職の体系

(ローマ人の)法学者によれば、あらゆる人間は自由人であるか奴隷であるからである。奴隷とはみずからの意志を否認された者であり、人間というよりも道具であった。ローマ人は農場の道具を三つに分類する。はっきりとものを言うもの、あいまいにものを言うもの、まったくものを言わないものに分けられる。それぞれ、奴隷、家畜、鋤鍬(すきくわ)の類に対応する。奴隷は人間ではなく、ものであり、動産の一つにすぎなかった。

もともと奴隷は、共同体間の戦争のなかで敗者が勝者に隷属するという過程でつくりだされる。しかし、いったん奴隷制が社会のなかに定着すると、奴隷の供給源は戦争捕虜にかぎらなくなる。・・・いったい平和な時代に奴隷はどこからやって来たのだろうか。この問題について、嬰児遺棄と奴隷供給源とはことのほか深い関わりがあった、と私は考えている。日本などでは間引きと呼ばれる子殺しが通例であったのに比べて、古代地中海世界では捨て子の慣習が広く見られるのも興味深い。


世界の歴史〈5〉 ギリシアとローマ (中公文庫) 桜井万里子 ISBN:4122053129

近代以前は農民が生産手段を自らもち自給自足が基本であったが、西洋では奴隷労働が基本であった。奴隷は道具でしかない。それに対して日本人は「幸せな島国」に育ち、征服された経験がなく、基本的に奴隷制がない。身分制があったが、奴隷制と異なり、またよくある農民が搾取され貧困にあえいでいたイメージとも異なり、農民は自治をもち自主的な改善によって生産性を向上させ暮らしてきた。

また近代化で労働が第二次産業へシフトすると、西洋でも奴隷制はなくなっていくが、その系譜は継続されて、(左翼がいうような)苛酷な労働と搾取があった。日本でも近代の始めには苛酷な労働と搾取があったが、終身雇用型によって雇用が安定し労働者は自主的に改善を行った。

西洋では旧約聖書に、原罪として労働が付加される。労働は神からの罰なのであり、奴隷のすることである。一番の理想は労働から開放されること。しかし日本にはそのような考えはない。将軍だろうが天皇だろうが社会的な役割としての職を担うことは当たり前である。日本において職とは、生活の糧をえる手段であるが、社会の成員としての役割であり、さらには道徳を学ぶ手段、存在意義である。縦の身分制とともに、横の「職の体系」があった。




奴隷とサービス業


現在、第二次産業から第三次産業へシフトしている。第三次産業においても、西洋では奴隷制の系譜を継いでいる。西洋ではサービスはマニュアル的であって当然であり、またコストと深く関係する。高いサービスを求めるなら高い金をだす。そして安く抑えるなら低いサービスでよい。さらにはコストを抑えるためにセルフサービスをする。

日本のサービス業の系譜は商人にたどれるだろう。商人は職業であり、「おもてなし」などのようにサービスの技術への洗練があった。商業を営むのは一分の身分ではなく、日本人は農業を基本としてきたが、島国であるために農地は少なく、海、川が近いために商業が発達している。農民でも副業をもって多様な産業を営んでいた。

このために日本ではサービスする側は相手への「おもてなし」を礼儀と考え、受ける側も「おもてなし」されることを当然とする。日本ではサービスはマニュアル以上のものであり、またサービスをコストに還元することは失礼である。たとえば日本人が西洋のチップ制になれないのは経験が少ないだけではなく、チップがサービスをコストに還元すること、サービスする相手を道具のように扱うことが失礼に感じるからだ。




日本のサービス業の効率が悪い理由


日本の内需もいまでは第二次産業よりも第三次産業の方が大きくなったが、日本の第三次産業の生産性は西洋のそれに比べて低いと言われる。その理由の一つは日本人が西洋人のようにサービスをマニュアル化して、コストに還元化することをできないからだ。日本人の慣習では受ける側はコストに還元できないものを求め、与える側も還元できないものを与えようとする。

製造業において、日本は垂直型、すりあわせ型といわれ、西洋では水平型といわれる。ここにもサービスに関する考え方の違いがある。日本人は西洋のように下請けを道具のように使いコストに還元することをしない。系列のような関係を結び、コスト以上に共に考える関係を作る。

たとえばケータイがガラパゴス化することの問題としてメーカーが技術を抱え込み閉じてしまうが上げられるが、それは単にメーカーだけの問題ではなく、ユーザーも開放されて自己解決(セフルサービス)されることになれていないからだ。ユーザーへ「おもてなし」するためには技術を抱え込み自己管理下いておく、そこに付加価値を求める。

さらに日本人が家電、自動車産業に比べて、IT産業に弱いことも同様の理由がある。従来の人によるサービスに比べて、ITを活用したサービスの有用性は道具的(マニュアル的)なサービスによって人件費を下げてコストを削減できるところにあるが、サービスに関する日本人の慣習が適応を妨げる。




第三次産業化と貨幣依存


さらに第二次産業から第三次産業へのシフトは、西洋に比べてさらに日本で多大な影響を与えている。日本の第二次産業では、終身雇用によって単なる労働力以上の改善力として働くとともに、安定した雇用を手に入れることができたが、サービス業ではマニュアル仕事と知的労働では、第二次産業に比べてずっと大きな格差を生む。また第三次産業では商品サイクルが早く、時間単位で変化するために、雇用も流動化する。当然、サービス業では労働者の生活に責任など持たず、長期的に保証されない。

先進国では日本の失業率は低い方だが、失業率の世代差をみると若者が高い。労働組合が強くて既存の正社員の雇用を守っていることもあるが、新たに就職する若者の雇用先は当然、第三次産業が多くなる。

日本企業は社会保障だけでなく共同体としての繋がりも支えてきた。このために雇用が不安定化すると繋がりも失ってしまう。すると頼るものが貨幣しかなくなり、将来の不安をすべて貨幣によって補おうとする。

日本では、実質的に社会保障は企業の終身雇用が担ってきたが、第三次産業へシフトする中で、企業による社会保障からあぶれた人々に対して、国が同様な社会保障を行えば、当然、社会保障費は増大する。民主党はこのような不安を票につなげたために金をばらまきつづける。

日本では、雇用の流動化は将来への不安を生み貯蓄を増やし、消費をおさえる。内需が増えないから経済が停滞する。また企業収益が上がらず、さらに雇用が不安的になる。そしてその不安は貨幣依存を生み、目先に生活苦なくても国の社会保障費を求め、国の債務が増大し続ける。




すでに変化ははじまっている


変化にはいつも不安がつきものだ。とくに第三次産業へシフトは日本人にとって大きな価値変換をともなう。かつての第二次産業時代の幸福をベースにして比較が行われるために、失業率が高いからダメ、終身雇用のように将来が保証されていないからダメ、雇用が流動化しているからダメ、給料が低くなっているからダメという言説が溢れて、人々の不安をあおっている面が強い。

すでに変化ははじまっているのではないだろうか。たとえばトフラーによると、第三次産業へのシフトは単なる産業転換ではなく、人々の生活を変えていくという。その一つが、積極的なセルフサービスの活用である。非貨幣経済貨幣経済と同じだけの経済規模があり、それを活用する「生産する消費者」の存在が重要になる。

貨幣経済へアクセスしリソースを活用することで、貨幣経済への依存を抑える。これは、低賃金で楽しく生きる清貧生活ではなく、新たな生活スタイルであり、従来の高い時間拘束の雇用形態からの開放でもある。まだ社会的な評価は低いが若者の生活スタイルはこのような方向に変化してきている。




生産消費を職の体系へ


しかしこのような若者の新たなライフスタイルは、干渉されない自由とベーシックインカムのような社会福祉の充実として語られることが多いがそれでは回らないだろう。西洋では奴隷制の補完として、キリスト教的博愛主義も、イデオロギー的な平等主義が根付いたが、日本人にはそのようなイデオロギー育っておらず、現世利益重視で、社会倫理的には低く利己的である。いまの政治をみても日本人はなるだけ金をださずたくさんもらいたいと必死だ。

逆にいえば、日本人は職(役割)をとおすことで社会秩序を維持してきた。だから第一次産業第二次産業でも成功させた、日本人の強みである「職の体系」へとつなげていく、生産消費を社会的な役割として体系化していく・・・

金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費活動」と呼ぶものに基づいて世界的で巨大な非金銭経済から提供された価値に依存している。

・・・経済統計の対象になっているものだけから富が生み出されているという想定、「価値」が生み出されるのは金銭経済のやりとりがあったときだとする想定などである。これらの想定を捨てて、もっと大きな「富の体制」に注意を向けるべきである。金銭経済が生産消費者の提供する「タダ飯」に支えられて存続しており、生産消費者には金銭経済に挑戦する力すらあることに注目すべきだ。P370-374

・生産消費者は貴重な情報を営利企業へ提供している。「口コミ・マーケティング」を行うなど、さまざまなサービスを無報酬で行っている。
・生産消費者は金銭経済で消費者の力を強めている。何を買い、何を買わないかの情報を交換している。
・生産消費者はイノベーションを加速している。無報酬の「グル」として、案内人として、助言者として、生産消費者は最新の技術製品が登場すると素早く使い方を教えあい、金銭経済での生産性を高めている。
・生産消費者はインターネットで急速に知識を生み出し、広め、蓄積して、知識経済が利用できるようにしている。P371-374


富の未来 上 アルビン・トフラー (2006) ISBN:4062134527


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