なぜAKB河西の“手ブラ”写真が性的に問題になったのか

pikarrr2013-01-12

AKB河西の“手ブラ”写真は児童ポルノか……フィフィが警告「国際問題になってもおかしくない」
http://www.rbbtoday.com/article/2013/01/11/100988.html


過激な“手ブラ”写真で話題となっているAKB48河西智美の写真集「とものこと、好き?」(2月4日発売、講談社)について、外国人タレントのフィフィが「国際問題になってもおかしくないレベル」などと警告している。

写真集は、一糸まとわぬ河西の胸を、背後から白人少年が手を回して隠すという衝撃的な写真を表紙に採用して話題となっている。これについてフィフィは、自身のTwitterを通じて、「この様なコンテンツに子供を巻き込むとか…」「日本大丈夫か?モラルやばいぞ」と苦言。さらに、「国民的アイドルだっけ?あえて外国人らしき子供でこんなポーズの写真を撮るなんて国際問題になってもおかしくないレベル」と警告した。

同写真集をめぐっては、誌面で告知を予定していたマンガ週刊誌「週刊ヤングマガジン講談社)が11日に公式サイト上で、「1月12日(土)発売予定のヤングマガジン第7号、『河西智美写真集』 告知ページにおいて不適切な表現がありました」として、同誌最新号の発売延期を発表。また、一部メディアによると、講談社が同写真集の表紙写真も差し替えることを決めたと報じるなど、物議を醸している。

フィフィはさらに、Twitter上で「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」について触れ、「ちなみに児童に乳房を触らせる行為は法に触れるらしい。以前、児童に乳房を触らせたカップルが逮捕された事例がある」とコメントしている。




西洋の正常な性


AKB河西智美のグラビア写真が問題になっている。幼児に乳首を触らせると児童買春、ポルノらしい。このあたりの倫理はオタクのロリ表現が氾濫しまくっている日本人には今ひとつピンとこないだろう。

アメリカは日本よりも性が氾濫していると考えられがちだが、性倫理が日本とはかなり違う。たとえばタイガーウッズの浮気が一種の病気とされたように、正常な性と異常な性ということが一番重要な判断基準なのだ。

正常な性とは大人の男女の恋愛による性関係だ。そこにあるのは、純愛、結婚、すなわち生殖を基本とした性がもっとも正しいということだ。このような正常な性=大人の男女の恋愛による性関係というのは、性関係に厳しいキリスト教に根をもって、現代の自由な表現との間での、合理的な妥協点なのだろう。




異常な性関係は病気


正常な性の範囲であると、比較的自由な性関係が許される。日本人には過激と思われる性関係も正常であるかぎり、許される。

タイガーウッズの浮気が一種の病気で治療が必要とされたのは、正常な性=大人の男女の恋愛による性関係から大きく逸脱しているからだ。(恋愛でなく)浮気で多数という異常であり、異常とは病気なのだから治療が必要なのだ。

西洋の性関係は自由なようで、正常からの逸脱にはとても厳しく、法で明確に規制されている。だから映画などで段階的な年齢制限によるR指定が作られた。大人ならエロいものをみても正常だが、子供が見たり、見せたりは異常なのだ。ロリコンもまた大人の恋愛から逸脱するから病気である。




日本の「局部を写してはいけない」という性倫理


日本人も明治以降に、西洋の性倫理が導入されたが、もともと性に寛容であり、キリスト教からの性倫理の根がないので、性倫理基準がいまも今ひとつよく分からない。たとえば日本の「局部を写してはいけない」という性倫理はどこからきたのだろうか。なにかとってつけたような倫理だ。

おそらく明治時代に西洋人が来日し始めて、日本人が露出の多い軽装で街をあるき、また混浴や庭先での行水など裸を露出することに寛容だったことが、野蛮であるとして西洋人に非難されたことから来ているのだろう。その流れで、日本人は露出度を性倫理の基準として重視し、その後の表現の自由との妥協点を性器が写るか、写らないかに求めた。

だからそれさえ守れば、大人であるとか、男女であるとか、公であるとか、には寛容だ。日本では電車の中などの誰もがふれる公的な場で、漫画などの子供がみるようなメディアで、性表現が氾濫していると、西洋人から非難されている。西洋からの圧力でオタクの性表現文化が規制されたのはこのような背景による。




日本人の純愛文化


また日本人の性倫理では貞操が重視される。日本人からみれば、アメリカ人は容易に男女交際し、すぐにセックスする。自由な恋愛、セックスの貞操がゆるい性に寛容な文化だと思っている。さきにもいったように、アメリカではこれらは大人が楽しむ正常な性関係の一部だと考えられている。逆に、日本でこれほど貞操が重視されたのはなぜだろうか。

これも明治以降の日本人の性倫理である。明治に重視された倫理は、武士の儒教と西洋のキリスト教と言われる。これらから特に女性は結婚するまで貞操を守るべきという性倫理が生まれた。貞操を捨てるのは、結婚のとき、すなわち純愛によってであると。純愛はまさにキリスト教的性倫理の文化である。それがもともと西洋よりも厳しく残っている。

おもしろいもので、純愛主義は現代では男性にまで広まり、若者の童貞率が上がっている。純愛で童貞を捨てることが理想とされている。そうすればなかなか童貞を捨てることができないのは当たり前である。そうそう少女漫画のようなシチュエーションは落ちていない。かつては地方ならば筆おろしのための行事があり、街ならば合法的な売春があり、いわば社会集団の中に初体験の装置があり、童貞に価値などなかった。




AKBの純愛マーケティング


AKBは純愛主義の童貞ファンたちを相手に成功している。彼らが好む幼児的な性表現を重視している。それ故に西洋の性文化から見ると彼らの正常な性に対してやや異常に見られる面がある。

AKB河西の“手ブラ”写真が公表されたときにファンに大きな反響があった。それはメンバーがここまで露出したことへの反響である。まさか後ろで押さえていたのが子供だから問題などとはつゆほども思わなかった。AKBの幼児的な性表現に比べて、そこになんの性的なものがあるのかと。

それはファンだけでなかった。だから発売に向けて大々的に広告したわけだ。それなりのプロたちの判断を経て。