なぜマクロ思考は現代最強の倫理なのか その2 マクロ思考としての国民の誕生

pikarrr2013-03-08

マクロ思考は近代国家の成長とともに発達した

「十分なマクロ領域において」というマクロ思考は現代最強の倫理である。
マクロ思考は西洋近代の市場経済という貨幣の一元的な価値の流通にあらわれた。
マクロ思考は社会の流動性が上がる中で人間社会にも適応された。
「十分なマクロ領域」では人は均質的な1単位でしかなく、人の創造は偶然でしかない。
マクロ思考は人が生き残るための自然の自浄作用であり経済的に合理的な現象である。


http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20130227#p1


現代の最強の倫理である。マクロ思考を語る上で一番重要なことが抜けていた。西洋近代化をルネサンス(ヒューマニズム)、大航海時代、科学革命、産業革命、市民革命と語られるが、これらを通して重要であるのが近代国家の時代ということだ。これら近代化は富国強兵という国家成立のドライブがすべてひっぱってきた。

マクロ思考は近代国家の成長とともに発達した。




世界中を巻き込んだパワーバランスの時代


なぜルネサンスはイタリア都市で起こったのか? 大きな要因は豊かであったからだ。十字軍以降に開かれた欧州からインドへの奢侈品の交易を担ったのが航海技術に長けた彼らだった。そこで生まれた豊かさ、または伝わった文化を背景にルネサンスは起こった。

大航海時代とは欧州各国がイタリア都市国家の地中海航路に変わるインドへの航路を探すことに始まる。マスコダガマもコロンブスも目指したのはインドである。これらが国家事業であったのは費用の支援ともに略奪が一般的であった航路には国家の軍事力による保護が必要であったためだ。

やがて資本、軍事力にまさるスペイン、イギリスが交易路、さらに貿易先(植民地)を支配されていく。国は封建主義的な諸侯群による統治から巨大な富を集めた一者による絶対主義王政へと移行していく。このような統一された国家の治安のもとで安心して富は流通し、巨大な連動市場が生まれる。


さらなる富を求める絶対主義王政国家同士は衝突を生む。富が増えるとともに新たな破壊兵器そして巨大化する軍隊が必要になり戦争の規模は大きくなる。交易、植民地政策を有利に進めて富を得るためにはより多くの富を戦争へ投入する必要があるというスパイラルが、世界中をパワーバランスの時代に巻き込んでいく。




個人(理性)論から集団(人間群)論への転換


科学革命とはニュートン力学を基本としておこった。科学化は政治の世界へ取り入れらえた。政治を科学化することで「正しい」政治を設計する。ここでの「正しい」とは国家の富国強兵である。その時代、政治は経済一体だったが、いかに富国強兵を進めるかが政治科学の中心な課題となる。

ニュートン力学をモデルにする場合には、その基本単位として理性が用いられた。正しい精神=理性を基本単位として合理的な設計によって、正しい政治が行われる。しかし富国強兵を重視する中で、理性を基本とすることは限界を生む。代わりに導入されたのが理性も欲求もすべて引っくるめた「人間そのもの」である。人間そのものを単位にすることで質的なものが解除されて量的な単位へと還元される。

それを進めたのがヒュームの「因果律の否定」である。原因−結果という因果律に論理的根拠がないというラディカルな経験主義は理性主義を解体する。ヒュームが理性の代わりに導入したのが生活様式(慣習)である。正しい生活様式(慣習)によって社会秩序は維持されている。そして生活様式(慣習)を改良することで社会は豊かになることができる。ヒュームの慣習主義では重要であるのは個人の理性ではなく、社会の生活様式(慣習)である。ここには個人(理性)論から集団論への転換がある。




富国強兵のために自由主義


ヒュームはアダムスミスに先駆けた自由主義論者として、富国強兵のために生活様式(慣習)としての自由主義を奨励する。自由主義経済の父を言われるアダムスミスの「国富論」もその名のとおり、富国強兵のための自由主義である。国内産業を育成するためには、身分制度を基本とした様々な制度を解体し、新たな民主的な法を整備して、自由な経済活動を推進する必要がある。すなわち重商主義から自由主義産業革命)への移行にはより自由で平等な国民の活動が必要と考えられたからだ。

たしかに理性を基本として合理的な社会設計は理念的な民主主義や、経済的な社会主義へと引き継がれていくが、実際には世界を先導したのは富国強兵のための自由主義である。現に早々と民主化を進め自由主義化を進めたイギリスが成功する。だから民主国家になっても戦争は終わらなかっただけでなくより激化していった。




マクロ思考の単位として国民


ここに生まれてくるのが国民である。国民は特別な存在としての理性的な主体である必要はない。国民は統一的な言語文化の学び労働力としてそして軍事力として教育、規律を学び愛国心を持つ人間群である。近代国家は競合する隣国との関係で国家であり得るために、国家群として欧州地域を各国民で満たす。

国家のもとでの均質した国民という存在。これがマクロ思考の基本である。この時代、国家によって国民の管理として人口統計が多くとられていく。マクロ思考は国家によって国民単位として浸透していく。
*1