なぜ考えていることをストレートに筆記することがナショナリズムを生み出すのか

pikarrr2013-06-29

近代は考えていることをストレートに筆記する


考えていることをストレートに筆記する。こんな当たり前のことができるようになったのは近代です。口語に近い文語が開発され広まってからです。日本だと明治以降で、それ以前は漢文が標準で、です、ます調を基本とする国語は落語などが参考にされたと言われています。さらに大きな役割をはたしのが先に口語小説を開発していた欧州啓蒙期の文学の翻訳です。これらを進めたのが小説家たちです。近代文語の発明はいまでは当たり前の日常を平易に描く小説とともに開発されていきました。

このような展開の前には印刷術の普及があるわけですが、誰もが小説と言うメディアを発信でき、庶民が普通に娯楽としての小説を楽しむ。当然、小説はメッセージ性を持ちます。そこにジャーナリズムが誕生します。これを最初に活用したのはヴォルテールといわれています。反体制的な啓蒙思想を演劇や小説を通して発信し庶民を扇動する。それによってフランス革命の前に既に庶民による「炎上」が起こっていました。共通の言語、メッセージ、想像の共同体。これはまたナショナリズムの形成でもありました。

ヴォルテールの死後にフランス革命がおこり、欧州は革命の時代へ入っていきますが、マルクスの時代は印刷術の民主化が進み、やたらあちこちで新聞社が作られる新聞ブームが来ます。このころにはジャーナリズムの力がより広く人びとに広まっていました。




パロリチュールの世界のナショナリズム


ワープロが普及するまでは活字には力がありました。活字化されている文章は、コストがかかり希少で大手メディアしかできない信用できるものというイメージがありました。パソコンで誰もが簡単に活字をつくり印刷する。さらに最近はネットで発信できる。もはや活字化の信用なくなりました。

活字離れとも言われながら、いまはみながテキスト世界のネットに没入しています。メールもツイッターもラインもテクスト世界です。ただ会話をテクストでしてるだけといっても、実は口語から文語変換が行われているわけで、そこに口頭とは違う思考形態が生まれ、人間関係のあり方が生まれています。すなわちパロリチュールの世界です。

たとえばボクはネットウヨという存在もその一つだと思います。ネットという国境のない世界で確実に人びとの中にグローバル化が進んでいますが、それとともに逆にナショナリズムが立ち上がる現象が起こっています。ネット上ではコミュニケーションが可能な自国語と不可能な他国語が近接し、その差異が意識されます。これは他国語の人と対面した場合には言葉以上の身振り手振り、表情などのコミュニケションが可能であるのに対して、テクストのみという限られた情報のみに接することで、より強い疎外感が感じるんだと思います。

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