なぜ女子は男子以上におかしくなっているのか?

pikarrr2013-07-11

女の子という労働


あついっすねー。プールにいきたいところです。プールにいくと女子の水着だらけて感動しますね。でも1時間もすれば慣れてきますね。逆にみんなスタイル悪いですね。日頃、水着と言えばグラビアを見慣れているからでしょうか。当たり前なんですが、みんなド日本人の体型で、乳はふつうで寸胴で。それがみんなどれも同じなんですね。だからプールが終わって外にでると、着替えた女子たちがおしゃれな服をきてでてくると、みんなそれぞれおしゃれでかわいいと思ってしまいます。

それでも女の子は水着にむけて、スタイル調整がんばってるんでしょうね。ほんと女の子は大変ですね。日頃でも化粧やファッション、かわいくあるための仕草などなど。女の子である、ということはひとつの労働ですね。




主婦という就職先


でもよい点もあって一番は主婦という就職先があることですね。日本は先進国であるけど、女性の社会進出は他に比べて極端に遅れている。これは遅れているというより日本の特徴だ。

農業の時代には女性は重要な労働力だった。子育て、家事は家に残るおじい、おばあの仕事だった。そこに専業主婦が生まれたのは近代化のサラリーマン化からだろう。このような流れは先進国であまり変わらないのだろう。しかし日本ではその後の女性の社会進出が進んでいない。

理由のひとつは労働の場が男性に独占されている。日本の仕事は個人の能力主義より集団主義なので、男性だけの方が運用しやすい面があるんだろう。もうひとつは専業主婦自身が社会的に認知されている。西洋などでは個人の存在意義を問われ、専業主婦という家族のために働くことは個人の放棄と見られる。だから主婦であってもボランティアなど社会活動を含めて活動して、個人としての意義が求められる。

それに対して日本では専業主婦はひとつの労働として認知されている。夫が外で働き、主婦はそれをサポートする分業としてりっぱな仕事である。さらには家を守る、役割がある。日本はイエ中心社会だったので、核家族になりかつての家督のような看板はなくなっても、家重視の傾向があり守ることの意義が残っている。




日本人を嫁にするのは幸せ


いろいろ異議はありながらも、いまも主婦という就職先は認知されている。だから良い就職先を見つけるためにも、女性が魅力的であることは正しい戦略である。以前、日本人の嫁をもらうのが幸福というワールドジョークがあったが、それはいまでもある意味で継続している。

世界的にみても日本の女性は小綺麗で優しい面はある。特に海外で女性に接するとそれぞれの性格以前に当たりがきついと感じる。というかそれが普通である。逆に日本女性のあたりの柔らかさを改めて認識する。社交辞令として笑顔がたえなず習慣化されている。




男子以上に女子がおかしくなっている


とはいっても、良妻賢母の女子などもはや絶滅しているだろう。ボクの個人的な感想では男子がオタク化して萌えに傾倒しておかしくなっているように、いやそれ以上に女子はおかしくなっている。男子はなんだかんだ言ってまだ会社社会にかろうじて基盤を持っている。そこへの依存度を減らしているだけだ。

しかしそもそも女子はなにを基盤に人間形成を組み立ているのだろうか。主婦といっても、これだけ便利に自由になれば、基盤になりえないだろう。ただ子供ができると基盤にはなりえるかもしれない。子供は学校を中心に様々な社会コミュニティシステムに組み込まれている。だから母親のまた組み込まれる。

ラカンは「女は存在しない」といった。要するに生物学的にメスはいても、女子は社会的な構造物ということだ。その社会の文化が男性とは違う存在としての女性をつくる。その意味で現代日本の女子は若いときから主婦という安定の就職先をもつが、もはや主婦はなにものでもなく、なにものかになることを抑圧されているが、愛想よく笑うよう体が反応せずにはいられない。おかしくならない方がおかしいというものだ。

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