なぜ日本人のおもてなしは西洋のサービスと違うのか その1 

pikarrr2013-11-02

西洋人と日本人の仕事観の違い


西洋人と日本人では仕事に対する考えがまったく違う。たとえばギリシア時代、ギリシア人は市民による議会を開き、民主主義的な政治運営を行ったと言われるが、市民は仕事を奴隷にやらせていたわけだ。

多民族で戦争による征服が頻繁に行われていた西洋では、奴隷が安定的に供給されて、奴隷に仕事を任せることができたという背景もあり、仕事は下等な行為とされてきた。あるいはキリスト教においても、仕事は原罪により失楽園した人間に背負わされたものとして考えられた。

ウェーバーがいいように、プロテスタンティズムの天職、職業は神に与えられたものという考えが資本主義の成功に働いたという考えもあるが、またこのように仕事蔑視の思想が、資本主義を産み出すことを可能にした。すなわち労働を商品とするという、とんでもなく割りきった発送ができた。社会主義もまさにこの西洋中心主義的な仕事蔑視史観からでているのはいうまでもない。




なぜ日本人はIT産業が苦手なのか


この割りきりが現代でも生きているのが、現代は商品が情報化する、すなわちサービス化する中で、その人間関係時代も商品として、すなわち貨幣と等価交換できるものと割りきれる。よいサービスを求めるから金を払え。笑顔で対応してほしいなら金を払え。仕事は金と等価なんだと。

ITかなぜ日本人より西洋人が得意かといえば、この割りきりができるからだ。IT産業でのサービスの悪さ。商品が欠陥であるのは当たり前、サービスに金をもらっているわけではないから、情弱は淘汰されろ。こんな対応が、おもてなし国民にできるだろうか。おもてなしとサービスは似て非なるものだ。サービスは貨幣交換の世界、おもてなしは贈与交換の世界。




現代はいかなる商売感情労働の軋轢を生んでいる


最近、感情労働という言葉があります。たとえば医者が売るものはなにか?一番は病気を直す治療です。しかし医者は自動車の修理のようにいかない。相手が人であることで、精神的なケアも求められる。簡単にいえばサービス業でもあることを求められる。これが感情労働です。とはいっても、営利目的であり、一人の患者に時間をかけてはいられない。ここに信頼関係の軋轢を生む。

現代はいかなる商売もサービス業化して、感情労働の軋轢を生んでいる。その一番が、教師なんでしょうね。教師が売るものはなにか。一番は知識です。しかし塾の講師とは違う。教師は知識だけでなく、人間全般の教育を求められる。まさに感情労働の最たるもので、モンスターペアレツの問題などストレスがすごい。

そもそもモンスター化とはなにかと言えば、孤立した不安ですね。少し前の世代家族や近所付き合いがあれば、様々な不安を相談して緩和されたものが、核家族化などで孤立すると不安が直接、医者や先生などに向かう。医者や先生はかたやマクロコンテクストな存在なので、あまりぶっちゃけた話はできない。下手にまあまあなんとかなるよ、とは言えない。より孤立化して不安が高まることでヒステリックにモンスター化する。




日本人のおもてなしと西洋人のサービス


特に日本人は感情労働のトラブルに巻き込まれやすい。面白いのは日本では、「サービスする」の意味が、おまけする、ただであげるとなる。サービスはただだと考えるというか、貨幣交換ではなく贈与交換の対象と考える習慣がある。だから海外でサービスにチップを払うことに違和感を覚える。金を払うのがいやなのではなく、信頼関係の対象を貨幣交換することに、相手に失礼になるという後ろめたさを感じる。まさにおもてなしの国である。

海外ではサービスはまさに商品である。よりよいサービスを求めるならより高いチップを払う。金をだしてエコノミークラスからファーストクラスへ移ればよい。だから金持ちと貧乏人に対する態度もあからさまで、そのように社会が暮らすわけされている。




日本人の家業主義


西洋ではサービスはなんでもコストと結び付く。ファーストクラス、エコノミークラスの差は飛行機だけでなく、社会全般を構成する。日本ではサービスはそこまでコストと結び付いていない。コストに関係なく、客をもてなす。それが「おもてなし」の精神の一つだ。これは日本には西洋のような社会全体を支えるような奴隷労働力が生まれなかったことがあるが、さらには日本では職が特別な意味を持つからだ。

古くは職はすべて天皇から与えられた役割という考えがある。疑似単一民族日本では、職は日本人として社会を支える役割と考える家督主義がある。だから将軍でさえも天皇から与えられた職の一つとして、天皇からの任命を重視する。

たとえば中国には一族主義があって、血を重視する。日本では一見似ているようで、実は家族、血よりも家督、家業、すなわち家族が担ってきた職を重視する。家業を守るために血縁以外に託したりする。




家業主義の歴史


もともと日本人の家業主義は、奈良時代以前にさかのぼり、日本人の公平な関係を支えてきた。身分制はあるとしても、職業においては社会の役割を担っている。概念的には天皇を頂点として、それぞれが任された職業である。それは家業として引き継がれる。日本人の公平な関係を支える精神的な仕組みである。近代に入り、西洋から平等が取り入れた際にも、職業主義は継続する。

江戸時代など階級があり虐げられた史観があるが、これは西洋モデルを当てはめたもので、実際は日本の農民にしろ、自治権をもち、職としてプライドを持って改善にいそしんだ。職は武士に言われてやる労働などはなく、自らの社会的な役割としてやっている。そもそも武士には利益蔑視があるので、税の取り立ても結構雑だった。たとえば日本の農民は農耕以上の副業が盛んだったが、このあたりからの徴収は無頓着だったなど。




現代も残る家業主義


このような家業主義はいまも残っていて、日本人が職を得ることは、賃金をえる、やりがいをえる以上に、社会的な役割を果たす意味がある。ニート、あるいは非正規社員に対する蔑視はこの当たりの感覚からきているんだろう。

日本の貧弱な社会保障制度も、会社が社会保障の一部を担っていることからきている。たから日本では正社員であることが経済的に有利なだけでなく、社会的な立場として重要である。西洋のキリスト教の代替をしていると言えるほどに日本人の精神性を支えている。

はたして日本は平等がわかっているのか、民主主義を理解しているのか、といわれる。そこには個の尊重が重要であり、キリスト教文化をもとにしているといえる。日本人は個の尊重というラディカルな原理を理解しているのか。平等であるようにみえて、いまも職業主義による公平をベースにしている。だから平等のストレスを被りにくい。

だからこそ日本において非正規雇用の問題は、経済的に以上に深刻だといえる。非正規雇用者は社会的な疎外をうけて、精神的な公平感をえることがむずかしい。極端にいえば、一人前の市民ではないと見られてしまう。




日本人の甘えの構造

日本精神分析再考(講演)(2008)-柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html

結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴史について、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文字の問題を通した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったのです。(柄谷行人『日本精神分析再考(講演)(2008)』)

明治維新前後に日本を訪れた西洋人たちはこの不思議な日本人に対する手記をたくさん残しているが、その中でも比較的多い意見の一つに、子供が大切にされ、いつも楽しそうにしている、というものがある。この近代化の時代、西洋ではプロテスタンティズムの影響が強く、人々は禁欲的倫理的な生活を送っていた。そこから考えると子供にもきびしいしつけが行われていたのだろう。

去勢という概念はキリスト教的である。キリスト教では、大人は自立的個人であることがもとめられる。このために子供は未熟な大人であり、自立的な個人になるために教育が必要と考えられる。それが去勢である。

そもそも日本には自立した個人という考えがない。だから子供は未熟な大人とは考えない。子供に教育するのは自立より、協調性だろう。日本では子供は集団の中の子供という存在なのである。子供らしく、無邪気で、にぎやかで、それが集団をなごませるという意味をもつ。

日本人が去勢されないことをネガティブに語った有名な本に「甘えの構造」がある。精神分析家の著者は日本語の甘えるに相当する英語がないこと、さらに日本語には、すねるなど甘えに関する言葉が多いことに気づく。日本人は、西洋人のように自立的個人になるための去勢がなく、社会全体が甘えの関係でできている。これを江戸時代の逸話も交えて説明している。




なぜ日本人は大学生に寛容なのか。


日本人は、個人として自立せず、甘えの関係、想像界にいることは問題か。これは明らかに自立した個人が正しいという西洋中心主義である。問題は日本人がいかに社会的秩序を維持しているか、そこで想像的関係が有効に活用されているかである。

日本人の想像的関係とは、贈与交換である。贈与交換は特定の相手と継続的な信頼関係を維持する助け合いの関係である。これは基本は小さな集団の中で行われる。日本人は疑似単一民族からこれを日本人全体に広げている。この関係を具体的に支えるのは職の体系である。概念的に農地は天皇からの預かりもの、職は天皇から与えられた役割。これは農民から将軍まで体系化する。縦の身分制度があっても職の体系上は横の関係である。だから日本人は職においてはブライドをもち自立していた。

甘えの構造の中で、義理人情を甘えの関係として批判しているが、まさに広域の贈与交換の現れである。いまはやりのおもてなしとか。日本の子供の話にもどれば大人になるとは家業を覚えること、すなわち一人前の仕事をできることをいう。だから子供は未来の職人であり、いまは元気であればよい。遊びをかねてお手伝いをしていればよいのである。このような感覚はいまも日本人にあるだろう。たとえばなぜ日本の大学生に寛容なのか。大人として認められるのは、就職したときであり、大学生は卒業すれば大人になることがわかっているから、最後の子供だからだろう。




武士は営利を嫌う禁欲的な支配者


武士は不思議な支配者層で自ら倫理的に営利を抑止していた。領地をもちそこから上がる税を収入とした。しかし領地の直接の運営には関わらずそこに住む農民、商人に任せる。農民は自治運営し、自ら学び生産性を向上させ、また日本は流通が発達していることから商売の副業にも勤しんでいた。税は基本、土地の広さに比例したので、効率向上や副業までは管理されない。

武士は支配者層ではあるが、土地の管理を任された行政の面が強かった。すなわち一つの役職だった。正式にも実質の支配者であった将軍でさえ、天皇から任命された役職である。このような傾向の理由の一つが元々、武士が下級貴族、あるいは農民であったからかもしれない。平安時代には貴族の護衛する下級貴族であり、また農民からの成り上がりである。特に江戸時代に入り、戦がなくなった中で、武士層を管理するために家康は大々的に儒教を取り入れた。質素で節制な生活、高い禁欲的自己管理、管理者としての人民のための徳ある振舞い。




日本の悲惨な農民像は西洋史観により作られた


江戸時代に江戸は世界有数の大都市であった。経済活動も活動で、物価連動するマクロ経済もあり、インフレ対策などの経済製作も行われていた。このような市場を活用していたのが商人などで、武士はそこから利益をとることに熱心ではなかった。商人は身分が低かったが、市場の発達とともに、大きな富を得ることができた。また農民の多くが副業により収入を得ていた。これらの富に対する武士の管理は甘いものだった。

たとえば定期的に飢饉が起こり、厳しい武士から税の取り立てにより食べるものもなく、飢餓にあえぐ、農民像が語られるが、実際はそう単純ではなく、マクロ経済の影響が大きかったと言われる。飢饉になると、市場での米の買い占めが起こり、市場に出回らなくなり、一部の人々に出回らなくなる。マクロ政策が不十分な時代に経済のコントロールは不十分であった。

支配者がすべてを自らの所有物として実質的にも支配していた西洋と、支配者が職として任された管理していた日本ではかなり異なる。日本で武士支配により農民があえぐ悲惨な像は、多くにおいて、明治以降に西洋文化が入り、西洋のサヨ的に史観を日本にも投影したものである。実際に一揆などのピークは明治に入ってからである。




村の知的コンサルタントとしてのお坊さん


農民による自治は当然、幕府の法のもと運営されていた。農民は法に基づき話し合い、方針を決め、武士と文書のやり取りを行った。また民事的な裁判も活発であった。また農民は農業書を読み、みずから学び、改良を行った。

これらの知識理解に重要な役割を果たしたのが坊さんである。村に寺をたて、坊さんを囲い、知識を学んだ。特に坊さんは全国的なネットワークをもっていて、各地の情報も入ってくる。坊さんは村のコンサルタント的な位置付けにあった。それとともに、坊さんは商業ネットワークを持っていた。流動性が高い坊さんは商業を行い、活動の収入源にしていた。村を越えた大きな一揆が坊さんのネットワークをもとに起こっていることは有名である。




仏教の現世利益にしかない興味がない日本人


仏教は聖徳太子の時代に中国から伝来したわけだが、当初は新しい高度な文化として上流階層を中心に需要された。特に仏教に求められた高度な超越論的体系ではなく、天災などの祈祷としてある。空海のエピソードにしても祈祷の成功により認められる。

その後、平安末期、鎌倉時代と、仏教は民衆に受け入れられていくが、そこでも日本人が求めたのは現世ご御利益である。本質的に仏教な救いの教えよりも、祈ればなんか良いことがあるのか。このような宗教に対する日本人の軽さは現代までかわらない。

このような日本人だから、親鸞にしろ、ただ唱えれば救われると、ある意味簡単な方法に至ったのだろう。このような環境の中で、仏教は全国的なネットワークを利用して、情報提供、語学教育、商業の手伝いなど、様々なサービスを提供することで、庶民に溶け込んでいった。




中国の周辺の島国


やはり日本人というものを考える場合には島国という環境が大きいんでしょうね。ただ島国ではなく、中国の周辺の島国ということ。縄文時代から西日本は韓国との交易が活発で、文化圏を形成していたが、その中心は中国から伝わる文化である。その時代から中国の世界最先端の文化を吸収していた。

また卑弥呼が魏に使者を送ったように、権力者にとっても中国はとても重要だった。その巨大な権力にお墨付きをもらえること、さらには中国の最先端の技術が日本国内の権力闘争に有利に働くからだ。銅、鉄、それらを使った武器や、作物に関する技術を獲得することで、決定的に有利に働く。




征服されたことがない日本人にとって外来文化は友好的なもの


このような中華文化圏の一部でありながら、日本の決定的な特徴は中国権力に征服されたことがないということだ。それは単に島国ということだけでなく、間に韓国があるが重要だった。中国から日本を目指すためにはまず韓国を征服しなければならない。もっとも中国が迫ったのが元だか、フビライが数回に渡り日本を目指したのは、イスラムから欧州までも遠征したモンゴル帝国の拡散の執着といえるだろう。その労力に見合う対価が見込めるとは思えない。

征服されたことがないということは、日本人にとって決定的な特徴だろう。逆に征服されるということがいかに決定的な経験を生むか。多民族に支配され、従属をしいられ、自文化を排除される。これにより、日本人にとって外来文化は友好的なものとなる。

このような経験もあり、現代に至るまで日本人にとって外国文化にかぶれることは重要なものであり、日本の歴史は年輪のように重なる外来文化へのかぶれの歴史といえる。ラッキーなことに最初は中国、その後欧州、最近ではアメリカという世界最先端の文化にかぶれることができた。




現世利益を重視する日本流


日本人はとにかく外来文化好きで、すぐにかぶれるわけだか、もうひとつの特徴として、単に受け入れるだけでなく、自分なりにアレンジして、日本流にしてしまう。では日本流とはなにか?日本人の特徴と言われるのが、超越論的より現世利益を重視すると言われる。理念や理想よりも、いまここになにができて、いかなる効果がえられるのか。

この世界の構造や社会のあり方の理想など超越論的思考は、仏教やキリスト教など、世界的には高い文化水準の特徴の一つである。日本に最初にこのような文化がもたらされたのは仏教だろう。その重厚な体系、深淵な理想を目指す高い理念など。しかし日本において仏教の受容はもっと現世利益だった。手を会わせれば何のご利益があるのか。いかに祈りは災いを排除してくれるのか。それは日本に土着する豊作を祈り、災害を緩和する自然信仰とも融合していく。




世代間かぶれ闘争による新陳代謝システム


自然信仰、現世利益と、日本人はある意味で、高度な文明へ展開する前の、素朴な土着性を維持している。この素朴さの理由の一つが征服されたことがないということであり、疑似的に単一民族の感覚を残しているからだろう。ならば、遅れた文明の素朴な島国民でも良かったんだろうが、最新の文化が比較的身近にあり、素朴にかぶれ続けるというところだろうか。

その理由を想像するに、島国故の閉塞感があることが想像される。たとえば年輪のように次々新たな外来文化にかぶれるんだが、そのサイクルが世代間競争の様相がある。ある世代が新たな文化にかぶれるとき、先の世代を古いと否定する契機がある。そしてさらに次の世代は新たな外来文化にかぶれて先世代を否定する。外来文化へのかぶれはこのような世代間の差異を産み出す。この運動は、島国、疑似単一民族という日本がもつ閉塞を打破する文化的な新陳代謝の役割を持っているのではないのだろうか。この運動は現代に至るまで日本人の特徴としてかわらない。




下層の職の大系による助け合い、上層の外国文化かぶれによる世代間対立


では日本人の特徴まとめてみよう。固定的な下層にあるのは、島国で征服されたことがなく残存する土着性として、疑似日本人的な贈与の集団性。贈与が卑近のみでなく、日本人全体へ張り巡らすための天皇を中心とした職(役割)の体系。

この職の大系は、通常、基本は小さな集団の中で行われる贈与交換を疑似単一民族的に日本人全体に広げている。義理人情、おもてなしなしなどを支えている。

それに対して流動する上層として、その集団性からくる閉塞性と海外への低い警戒心からくる国外文化の吸収欲。閉塞を打破するための新陳代謝としての世代ごとの新たな海外文化へのかぶれ。かぶれた文化は深層に到達されアレンジされ、流行り廃れていく。面白いのは、情報速度がかわったが、この構図は聖徳太子の時代から現代まで変わることがない。



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