佐藤雅美の江戸時代歴史小説


佐藤雅美は、江戸のフィクション小説をたくさん書いてるんだけど、一方で、史実を調べて、ドキュメント風小説を書く。主に、江戸中期から末期までこれは佐藤史観というもので、その史観の中から、中心人物を選んでいくつかの小説を書いている。

だからこれらの数冊で書かれているエピソードはかぶっている。たとえば「十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯」は家斉を中心に書くけど、前半に田沼意次が出てくる。「田沼意次―主殿の税 佐藤雅美  人物文庫」これとかぶっている。そのように重なりながら、一つの史観を作り上げている。で、その史観は、江戸時代の経済史を主題に書かれている。吉宗の享保改革、松平定信の寛政改革、水野忠邦天保改革よりも、田沼意次、水野忠成らの、市場経済を活用する政策が成功し、革新的だったと。

ようするに、何冊も読んでるというよりも、佐藤史観を学んでるということ。で、江戸の経済史について、書いている本って少ないよね。こんなに体系的に経済史を書いているのは、佐藤雅美ぐらいでしょ。

佐藤雅美の江戸時代歴史小説


知の巨人 荻生徂徠伝 佐藤雅美 ISBN:4041107555
十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯 佐藤雅美 講談社文庫 ISBN:4062768208
田沼意次―主殿の税 佐藤雅美  人物文庫 ISBN:4313751653
大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 佐藤雅美 文春文庫 ISBN:4167627078
調所笑左衛門薩摩藩経済官僚 佐藤雅美 人物文庫 ISBN:4313751467
官僚川路聖謨の生涯 佐藤雅美 文春文庫 ISBN:4167627027
幕末「住友」参謀―広瀬宰平の経営戦略 佐藤雅美 講談社文庫 ISBN:4061847317
開国―愚直の宰相・堀田正睦 佐藤雅美 講談社文庫 ISBN:4062636565
覚悟の人 小栗上野介忠順伝 佐藤雅美 角川文庫 ISBN:4043925026
将軍たちの金庫番 佐藤雅美 新潮文庫 ISBN:4101360510

田沼時代はいろんな商品が大量生産されるようになり、商品経済活動といわれる経済活動が活発になった時代だといわれている。歩調を合わせて金融、流通、海運、造船などの経済活動も活発になった。そうであるならそちらに目をむけ、財源をもとめるという租税徴収の動きがでていいということになる。この時代はそういう動きがでてきた時代で、ほかならぬ田沼が率先しておこなった時代といわれている。これは事実とは異なる。田沼意次は歳入増こそ懸命に模索したが、商品経済活動に目をむけ、そちらに財源をもとめるという動きをしていない。田沼だけではない。この時代の政治家も、あとの政治家も全員そうだ。幕府は幕末にいたるまで商品経済活動に積極的に財源をもとめるという動きをしていない。

江戸時代はとうとう商人に決算させ、利益を税金にかけるという発想がうまれなかった。売上高(扱い高)に応じて税金(役銀)をおさめさせるという発想がこの時期進行中だったが、それとても・・・商いの内容をばらしてしまうようなものだといって商人は抵抗した。以後これもやはりおこなわれなくなる。

幕府はもともと商人に税金をかけるというのを想定していなかった。商人には自然発生敵例外敵に課税していたにすぎない。それゆえに整理しにくいのだが、商人への課税は大ざっぱつぎの三つのタイプに分類することができる。

一つは個人や団体がなにがしかの特権をあたえられて、みかえりに税金をおさめるというタイプのものだ。明礬会所、石炭会所、長崎会所などがなにがしかの特権をあたえられた団体で、おさめる税金を運上金といった。しかしこのタイプの個人や団体には公儀が隠し売女の尻持ちをした御上納会所や、一揆まがいの騒動をおこした生糸・絹織物等改会所のような、あやしげなうさんくさい団体がおおく、ろくろく税金などおさめていなかった。まともに活動して税金をおさめていたのは長崎会所くらいである。長崎会所にしても後年、幕府の目が行き届きかねるのをいいことに、関係者が個人的な利益をむさぼるというあやしげな動きをはじめる。

第二は朱座、竜脳座、鉄座、真鍮座、銅座などという座が商品統制をみとめてもらうかわりに税金をおさめるというタイプのものだ。座もしかしろくろく税金などおさめていなかった。座は税金をおさめるというより、関係者および関係団体の利益を擁護することに活動の主眼をおいていた。本質的に会所とかわりなかった。

第三はこのころさかんに結成されていた株仲間という同業者仲間が税金をおさめるというタイプのものだ。この種の税金をとくに冥加金といった。

冥加金というのはしかし、冥加金という名のニュアンスからもうかがえるようにこれこれの仕事をさせていただけるのもお上のおかげ、有難いかぎりです、「冥加至極に存じます」という気持ちでおさめる金だ。五十両、百両と金額もわずかなもので、それもだいたいおさめる側がきめた。幕府もおさめるのならもらっておこう・・・・・というさりげない態度で懐にいれた。そんな種類の税金だ。活発な商品経済活動に財源をもとめる−−−−といっても、第一と第二のタイプはうさんくささがつきまといすぎる。

第三のタイプは株仲間と額をふやしていくということでは可能かもしれないが、冥加金という趣旨からずれてしまう。こういうところは幕府は気分的にガツガツするのをきらった。

おもに西国の諸藩は専売制、商品統制としいて利益をすくいあげていった。幕府はそういう動きをしなかった。綱吉時代がおわるとともにこれは撤廃されたのだが、以後幕府は酒税に類するものも徴収していない。酒税の徴収などというものも、ガツガツしているようで幕府は気分的にきらったようだ。

結局のところ幕府は商品経済活動に手をださなかった。いや、だからこの時代も、後年も、財源に苦しみ、のち文政期に通貨をいじくりはじめるのである。田沼にかんしていうなら商品経済活動に手をだすもださないも現場をしらない。手のだしようがなかった。


P153-155 田沼意次―主殿の税 佐藤雅美  人物文庫 ISBN:4313751653

徳川幕府は全国支配を確立していく課程で、全国のめぼしい金銀鉱山の採鉱権を一手におさめた。時をあわせてゴールドラッシュがおこり、爆庫にはうずたかく金銀がつまれた。金がありすぎて必要ないと思ったか。それとも諸大名を刺激したくなかったか。多分両方だろう。結果として幕府は支配地以外で租税徴収権をもたなかった。公儀としての幕府は支配以外で租税徴収権をもたずに天下の政治をとりしきった。一種の行政上の過剰サービスをおこなっていた。・・・吉宗時代の末期から幕府は「御手伝普請」という治山治水の工事を諸大名におしつけていった。これもおなじことだろう。無意識裡に行政過剰サービスの帳尻をあわせていたのだ。

この、支配地以外で租税徴収権をもたずに天下の政治をとりしきっているという幕府の、変則的な課税の矛盾はしかし幕末になって露呈する。幕末、外圧におされて開国したとき、幕府の外交・軍事費の支出は急増した。

外交・軍事費は全国的なことにかかわる公的な費用である。だから応分の負担をせよとは、もうそのころの力のおとろえていた幕府は諸藩に強要できなかった。これも財政難の一因となり幕府は財政に苦しんでのたうちまわるように倒壊した。


245-246 田沼意次―主殿の税 佐藤雅美  人物文庫 ISBN:4313751653

田沼がめざしのたは「大名の領土の略奪」と「変則的課税矛盾の解決」である。・・・吉宗の享保改革、松平定信の寛政改革、水野忠邦天保改革を世に三大改革といっている。そのうちでいちばん高く評価されているのが享保改革であるが、享保改革は年貢の収納率を高めることに主眼をおいていて、抜本的にはなんらの改革もなしとげえてなかった。締めつけのたががゆるむをもとの状態にもどってしまっているように、むしろつけ焼き刃的でその場しのぎだった。

田沼の「大名の領土の略奪」と「変則的課税矛盾の解決」は志なかばではなく、志を立てたところで挫折してしまった。しかしその志の高さは(あくまでも幕府的立場に立っての志の高さだが)、吉宗や定信らの改革をはるかに凌駕していた。

・・・田沼の一連の法令ではいわゆる管財人には幕府がなる。幕府が管財人になって藩経済のやりくりをつける。つまり実質的に藩を支配し、領土を支配下におさめる。


P333-334 田沼意次―主殿の税 佐藤雅美  人物文庫 ISBN:4313751653

町人というものには、その営業所得にたいしては直接に税がかからない。・・・農民は粒々辛苦して作り上げたものの半分は年貢にとられるのに、これはまた大きな相違である。封建諸侯は、農民の貢祖をその経済的な基盤としていた。物を作らず、品物を動かすだけの商人のごときから税をとるのは賤しむべきこととした。しかも、交通の発達、都市の発展、産業の進歩、貨幣制度の整備、どれ一つ商業につながらないものはなく、商人の力が増さないものはなかった。・・・町人の実力は日々年々に増大した。

とくに寛文より元禄にかけて、幕府や諸藩の放漫な財政政策、貨幣の改鋳、諸藩の紙幣発行などは、その勢いを助長した。諸藩の財政窮乏と、それにもとづく年貢増徴、さらには百姓一揆の頻発がみられる。そうした抵抗の結果、年貢率もほぼ一定の線に抑えられることになり、そこで特産物の奨励、専売制の実施などへ傾くとともに、商工業者にたいする課税がとりあげられる。

酒造業者や質屋にたいする運上の創始などがそのあらわれであるが、一般の商業利潤を直接に対象としてはいない。・・・勘定奉行所のわずかな人員で、個々の商人に課税することはできない。それゆえに、多くの運上は請負制で、ある商人が何両の運上を納めるからということで請け負って、税の取立てはその請負人がする。これは、のちの田沼時代にいたって乱用され、大きな問題を生ずるのである。

いずれにしても、商業利潤そのものにかけられることはほとんどなく、冥加金または献金のごとく、商人の側から差し出すという形で、したがって、株仲間の結成を認めるなど、なんらかの特権を与えて、その代償として税を納めさせたのである。元禄時代には、まだ冥加金や献金制度も一般化していなかった。商工業者としてはもっとも好都合の時代であった。そこで多数のものが富をたくわえ、また多くのものがそれを散じて、そこに一種独特の時代風潮が生じたのである。江戸封建制度の大きな矛盾は、この租税制度の欠陥にあって、重圧をかけられた農業部門の発達はいちじるしく抑えられ、都市の消費生活のみが異常な発達をとげて、それが元禄期にもっとも華麗な面を示したといえよう。


P457-459 日本の歴史〈16〉元禄時代 児玉幸多 中公文庫 ISBN:412204619X