なぜ江戸時代に儒教は左派化したのか

pikarrr2015-06-18

儒教右派と儒教左派


よくある誤解が、武士道の理屈抜きの忠義が儒教だという考えだ。日本では世界大戦を経て儒教とはこのようなものだと考えられているが、実際の儒教はもっと合理的である。儒教は忠義を重視するが、「なんでも忠誠」ではなくそこには理屈がある。だから理屈なく、とにかく忠誠という美学は儒教にはない。

江戸幕府儒教朱子学)を導入したときの対立点もそこにあった。戦国時代を通して発達した「なんでも忠義」を、合理的な忠義で管理したい。いわば儒教右派に対する儒教左派の導入である。

左派とは、改革的、主知主義、合理的
右派は、伝統的、主意主義、情緒的

日本人の儒教右派は、理屈ではなく、忠義に美学を見いだし、また語れないサイファを見いだす。それが安易に神国信仰に繋がる。対して儒教特に朱子学は、自然界から人間社会までひとつの統一理論を見いだそうとする。忠義にしても、なんでではなく、経験則としての理屈がある。




社会の空気は儒教右派


江戸初期には、殉死問題があった。主君がなくなったあとに、家臣が後追いで自決する。当然、左派的にはありえず、法で禁止するが、禁止した幕府で家光がなくなったときに殉死が起こるという根深さである。このような右派傾向に下手に対立すると暴走しかねない。

現に由比正雪の乱が起こる。正雪は右派のカルト的な指導者であった。時代は第3代の家光死後でやっと幕府の体制が落ち着いてきた時代である。その時代、どこにも登用されない貧しい浪人難民がたくさんいた。彼らは体制への不満をくすぶらせ、その中の一人、正雪を指導者にクーデーターを企てる。各所で町に火を放ち、幕府の重役たちを暗殺する。しかし計画は事前に漏れて未遂に終わる。社会の空気はまさに儒教右派でありパワーがまだくすぶっていた。

またよく例に出されるのが赤穂浪士だ。儒教右派的には死をかけて主君の仇討ちを果たした美学を称賛するが、儒教左派的には、吉良はなにもしていない。単なる逆恨みの犯罪である。これが許されれば社会秩序は維持されない。さらに葉隠などの極右派は、忠臣蔵は仇討ちに一年もかけて考えすぎる。武士とは策を練るなどせずただ死をかけるものだという。




儒教左派 朱子学


それでも第5代綱吉の頃には、右派の時代は落ち着いてくる。綱吉は儒教が趣味でみずから講義をしたりした。悪政の生類憐れみの令も儒教的な精神から来ていると言われるが、まさに左派素人が陥りそうな幼稚な政策である。将軍の儒教好きにあわせて各藩は儒家を雇い入れる。政治への参加というより、家庭教師、文献整理、そして将軍対策である。そして新井白石荻生徂徠のように、政策に影響を与える儒家もでてくる。

朱子学はそれまでの儒教より、リベラルな特徴をもつ。朱子学では、自然則から人の則まで、「理」という一つの理想的な法則を持つと考える。だから誰の心にも理はある。それが「気」により肉付けされることでこの現実世界ができており、肉付けのされ方で善悪などの差が生まれる。だからいかに理に到達するかが重要になる。そして理に到達するために、論語などのかつての儒教本を学び、また経験の中から理を身に付けていく。

教えの基本はかつての儒教本を学ぶことだから、いままでの儒教として本質はかわらないが、理は一つであり、それは誰の中にもある。そして学べば誰でも「聖人」になる可能性はあるという。階級主義的な面を持つと言われたいままでの儒教のより左派より、すなわちリベラルな特徴をもつ。




朱子学の右曲がり


しかし日本の儒家は、輸入された朱子学を基本として、正当派、陽明学派、古学派などに多様化しながらも、全般的に右寄りに改良を加える。その大きな特徴の一つが朱子学のリベラルな面への反発である。

自然則と人間則の統一を解体し、人間則=道徳を重視することで、かつての儒教に回帰しリベラルを緩和する。強い一理を否定することで、人間の心の中の一理も弱まり、学ぶことが重視されるとともに、階級主義が回帰する。武士は武士の理があり、農民は農民の理がある。さらに武士は率先して理を学び、下位の者に教える指導的な立場を確保する。

これは江戸幕府の階級体制を維持するためというよりも、武士の世という世の中全般が右によっていることによる自然な改善といえる。それでも武士以外の理を想定しているなど、以前の儒教よりリベラルに振れている。




朱子学ナショナリズム


もう一つの特徴が、現実主義的な日本人には、理という形而上学が実感しにくい面があったのだろう、朱子学において理とは天理であるが、天は神道、神国信仰、皇族信仰等のナショナリズムと結び付く。日本人は天の系統にあり、理を知る人びとという選民思想である。革命により皇帝がかわる中国より正当であると言い出す者まででてくる。ほぼすべての儒学者ナショナリズムを語るところから、一つの時代の空気だったのだろう。

このようなナショナリズムは反幕府を意味する訳ではない。逆に、江戸幕府征夷大将軍として、天皇から正当に認められた体制であるとことを意味付けする。しかしやがて幕府の弱体化とともに右寄りが進み、尊皇攘夷へと繋がっていくことになる。

マルクスしかり左派は思弁的で実働面にかけるが、現状分析とプラットフォーム作りには長けている。思想の前提としての土台を与え、議論を活発にする。朱子学も、儒教左派としてそのような役割を果たし、日本の思想界を活性化した。そして儒教左派からの右曲がり、リベラルへの反動とナショナリズム化には、当時の日本人の時代の空気が反映されているんだろう。
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