儒教とはなにか その2


 天の思想と民意
 禁欲主義、ヒューマニズムとしての礼
 ヒューマニズムとしの失敗と管理技術としての成功
 仁の贈与論
 反精神主義
 礼により精神がつくられる
 孔子の美学


 その1 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20150804#p1

 農業経済での最強統治技術
 儒教に潜む暴力性




縦社会・・・仁、孝、祖先崇拝、忠、徳、聖人、天の思想


儒教孔子が体系化した思想である。儒教の最も重要な概念の一つが「仁」である。仁とは他者への愛、思いやり。キリスト教の他者への愛に近いようだが、キリスト教の愛が最大公約数的に純化されるとすれば、儒教の仁は最小公倍数的に広く、また具体的だ。孔子は仁とはなにかを定義しなかった。事例によって語るのみだ。

仁の一つとされ、儒教の基本とされるのが「孝」である。孝は親への愛である。儒教ではまず親への愛が基本とされ、家族に広がり、そして親の親・・・と祖先崇拝へ広がる。また親のように目上を敬う「忠」へと展開される。

さらに儒教の起源に関係する概念に「徳」がある。孔子は「述べて語らず」と言った。みずから創作したのではなく、すでにある知を語っているだけだという。孔子は周の時代の建国に関わった周公を理想の一人として、聖人と読んだ。儒教とは聖人周公が語り、行ったことを伝えているだけだと孔子は言う。中国には「天の思想」がある。天が認めた徳のあるものが天下を修める。聖人は私欲を律して民衆への思いやりもって教化し、国を修め、民衆を幸福にする。それが徳による政治である。孝から始まりその頂きに聖人を置く縦社会である。




農業経済の統治技術・・・礼、敬、最適な配置


孔子はこれらの実践すべてにおいて「礼」を持って行うことを強く言った。精神論ではなく、聖人が実践し、様式化された礼を学び実践する。気持ちから行為するのではなく、行為が気持ちを先導する。さらには礼を持って行うとは「敬い」である。敬うとは、親であろうが直接愛を語るのではなく、馴れ合わず節度をもって接する。

これらのことから儒教に大切なことは、配置である。適切な状況に適切な行為。縦社会とは適切な役目と適切な人材である。このように区画され適切に配置されることが基本である。これは空間にもあてはまる。孔子を継承した孟子が明確に語ったが、土地を区画化し、人材を配置することで、農業の生産性があがり、人々が豊かになる。儒教は漢代に国教になることでその後、千年以上中国の、また東アジアの統治技術となった。この成功の多くは、農業経済において区画と配置による縦社会が統治として有用だったためだろう。




日本の儒教的中央集権国家


日本の統治技術の始まりとして有名なのが、白村江の戦いで唐に破れたあと、唐の儒教的統治技術を導入して、中央集権国家体制を作ったことがあげられる。区画された都、官僚制、律令制、検地と徴収、役の賦役、すなわち儒教式統治技術による農本主義の導入である。しかし儒教の細かい儀礼などは導入されなかった。その理由の一番は唐時代の中国は仏教の全盛期であり、仏教文化が取り入れられた。また農本主義も限界があった。農本主義は中国のような広大な大地による農業経済を想定しているが、平地だけでなく、山海が豊かな島国日本は、すでにより多様な産業により経済が成り立っていた。特に海は交通として便利であり、古くから商業が盛んである。検地は最初だけ行われ、中央集権も不十分であった。ある意味で、秀吉の農本主義により真に日本の統治技術は完成したと言える。太閤検地士農工商身分制、刀狩り暴力の独占。家康はこれを継承する。




武士・・・武力は職、権威を求める、地方とのネットワーク、人気重視


武士の一つの起源は、治安部隊、今で言う警察の下級貴族と言われる。特に上級貴族の護衛である。貴族が地方へ役人として赴任するときに、護衛としてお供する武闘を生業とする家督である。下級貴族の彼らが台頭するのは、平安中期に地方が豊かになるなかで、中央集権とはいえ十分な治安が保たれていない地方で、地方豪族たちが自衛的に武装化し互いに争うようになる。地方に赴任した貴族の護衛武士たちは、彼らを調停しまた癒着していく。ある者は任期を終えても都に戻らず定着する。この中で大きな権力を持つものが現れて反乱を起こす。また都では、地方の反乱を治めるための武士による部隊が編成される。そしてみごと討伐し凱旋した武士は一躍ヒーローとなる。このような地方を巻き込んだ運動の中で、武士は力を付けていく。

ここにすでにその後の武士の特徴が現れている。武士にとって武力は職であり役目であること。下級貴族であり正当性に権威を必要とすること。地方との強いネットワークを持つこと。そしてさらに庶民の人気に支えられること。その後の彼らの衣装が派手で行為がパフォーマンスティブであるのはそのためだろう。




儒教に潜む暴力性


孔子が理想としたのが、法さえ越えた仁(愛)による社会秩序である。確かに孔子は精神性より、礼による様式化を重視したが、その根底には仁(愛)がある。考えてみればそれはなかなか恐ろしいものだ。約束なく信頼で社会を作る。約束では足りない、強い愛。それは最後には死をかけざるをえない。これはまさに混乱期の考えである。中国において儒教が形成された時代は、統一にむけての争いの時代だ。儒教の中には、闘争の精神性が隠されていると思う。中国でも、唐など貴族化するときには仏教が好まれている。仏教は争いを嫌い、寛容であり、救済を基本とする。

日本に儒教や仏教が伝わったのは同じ時代であるが、日本は仏教国となった。しかし儒教と仏教が対比されて語られるのはおかしい。日本に伝わった中国仏教は、儒教化された仏教である。確かに儒教の特徴的な儀礼のような様式は行われず、江戸時代まで儒教は前面にでないが、いつも仏教の中に潜んでいた。たとえば仏教の慈悲に忠義孝悌のような具体的な精神性として儒教の仁が紛れ込む。武士が貴族より儒教的なのはなんらかの思想的転回があったわけでなく、仏教社会の中で、自然と儒教的な忠義を選んでいったのだろう。武士は孔子の原儒教の精神性へ回帰したと言える。