マクドナルド型生権力 (2009)

1 なぜマクドナルドはくつろげるのか マクドナルド型規律訓練権力
2 なぜマクドナルド型生権力が社会を全包囲するのか マクドナルド型生権力の見取り図

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1  なぜマクドナルドはくつろげるのか マクドナルド型規律訓練権力

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マクドナルド化」はフォーディズム

ジョージ・リッツアは著書「マクドナルド化する社会」(ISBN:4657994131)において、マクドナルドの諸原理が世界中を席巻しているといった。「マクドナルド化」は、効率性・予測可能性・計算可能性といった合理化過程が生産現場から消費者とのサービスの場にも波及し、消費者の期待や行動もまた画一化、脱人間、非人格化しているという。
このためにマクドナルドでは「客は従順な家畜のように食事する」といわれ、フォーディズムの延長で捉えられる。しかしはたしてそうだろうか。現代の消費者のようなわがままな人々をこうも簡単に家畜のように従順にするには、いかなる魔法があるのだろうか。

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サービスの運動性

社会は豊かになり、消費者は商品として使用価値を求めることから、「サービス」を求めるようになった。サービスとは「売り買いした後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財のことである」とされる。しかし使用価値にくらべて、効用や満足はどのようなものか捉えられない。なぜならサービスにはこれだというようなものではなく、状況(コンテクスト)によって絶えず変化するからだ。だからサービスとは絶えず追い求める「運動」だといえる。
そしてこのようなサービスの運動性は、従来の生産者から消費者へ商品を提供するという静的な構造を解体する。生産者が消費者を巻き込んで作り出す、あるいは生産者の狙ったものを越えて消費者によって生み出されている。
このように生産と消費の境界が解体し、消費者にも生産・創造が解放される状況を保守派は「知識社会」と呼ぶ。そしてそのような消費社会をトフラーは「生産−消費者(プロシューマー)」と呼んだ。
それに対して、左派は「ポストフォーディズム」と呼ぶ。フォーディズム的な生産と消費の境界は解体され、生産者と消費者、生産現場と生活場、労働時間と非労働時間、金銭経済と非金銭経済の境界が曖昧になり、生産が生活に深く侵入し、人々は生産現場から離れた日常でも自主的に学習し創造することが求められる。

保守派(右派)・・・知識社会、生産消費者(プロシューマー)
左派・・・ポストフォーディズム

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「セルフサービス」秩序空間

マクドナルドでは、客は自ら食事を受け取り、席に運び、食後にゴミを捨てるというセルフサービスを取り入れている。これによって人件費が抑えられて消費者は安価で食事することができる。
しかし客がセルフサービスしているのは食事の運搬だけではない。狭い部屋につめられた座席で「組み立てられた」食事をする。これは家畜のようと食事すると言われても仕方がないかもしれないが、不思議なことにみなどこかくつろいでいる。この秩序は決してマクドナルド側が「店内では静かにしなさい」というように規律訓練したわけではないし、かといってマクドナルドには人々を思考停止させる装置があるわけではない。
このような店内の秩序もまた、客たちが「セルフサービス」で作り上げているのだ。たとえば電車の中で人々は好き勝手にしているようであるが、「儀礼的無関心 civil inattention / civil indifference」という規律によって高度に秩序化された空間を作り上げていると言われる。同様なことがマクドナルドではより積極的に起こっている。

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ポストフォーディズムとしてのマクドナルド

マクドナルドの店内は清潔であるが、椅子やテーブルなど内装は快適を追求したというようなものではなく、素っ気がない。マクドナルドの店員の接客も丁寧ではあるが、機械的でよそよそしい。いわば公園や駅などに似ていないだろうか。ゆったりくつろげるプライベートな空間を演出するのではなく、「公共的な空間」を演出しているのだ。それによって人々には自主的(セルフサービス)に「儀礼的無関心」という秩序を作動する。食事の配膳のセルフサービスもそのための演出として作用しているといえる。
トフラーはセルフサービスを「生産消費者(プロシューマー)」の一例としてあげた。消費者は一部生産者として組みこまれることでサービスの「運動」にも荷担している。このときマクドナルドは合理化が追求されたフォーディズムであるとともに、セルフでサービスを生産−消費するポストフォーディズムであるといえるだろう。

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「グローバル公共空間」としてのマクドナルド

知らない街にいって一人で食事をするとき、マクドナルドやファミレスがあるとホッとする。流動性の高い社会では、その場その場の(プライベートな)空気にさらされ、適応することが求められるが、それは大きな精神的な負荷となる。
それに対してマクドナルドは世界中どこへいっても、「グローバルな公共空間」として機能し、よそ者、場違いな空気を生まず、無理な適用を強制しない。このようにプライベート性を解体し「公共性」を高める環境演出方法は、「街のほっとステーション」と言われ、コンビニやファミレスなど、現代のサービスの基本の一つになっている。
ここでいうグローバルとは、経済的なグローバリズムと深く関係する。「マクドナルドのある国はお互いに戦争しない(トーマス・フリードマン)」という。資本主義経済が安定して活動するためには国家の治安、人的資本の向上などの社会秩序の一定の水準が求められる。「儀礼的無関心」というメタレベルの高度規律訓練権力によって「グローバルな公共空間」が成立し得るということが、その社会が安全な経済活動を行える水準を備えている目安となる。

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全面化する「マクドナルド型規律訓練権力」

「客は従順な家畜のように食事している」とすれば、「動物化」しているわけではなく、メタレベルの高度な規律訓練権力を作動させているからだ。逆にいえば、清潔で、過剰に私的な演出は排除された素っ気ない環境でありつつ、その空間作りにセルフサービスを求める「マクドナルド型規律訓練権力」は、現代の経済活動を重視した公共空間のあり方を示している。
たとえばアメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案した「割れ窓理論」がある。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」という。現にニューヨークでこの理論を応用して街を清潔に保つことで治安が飛躍的に向上した。このような活動は日本の方が一般化しているだろう。5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)などの職場環境維持改善活動である。ここにも同様な規律権力が作動している。
マクドナルド型規律訓練権力はとても弱い権力である。たとえば喫煙を制約する場合、法律で規制するのでもないし、規範にしたがい注意するのでもないし、タバコの値段を上げるのでないし、テクノロジーの設計(アーキテクチャ)によって制約するのでもない。場の整備に参加させ、気づかせ、気まずくするだけだ。
しかしこの権力がいまのミクロレベルでの社会秩序を形成し、生活環境の細部まで整備するように、街の区画整理のような公共投資からショッピングセンターなどの民間投資まで多くの投資が行われている。そしてこの権力が人々に効力があるのは一つの倫理に基づいている。それは「マクロ思考」である。簡単にいえばみながそれぞれ経済活動に参加してこの豊かな社会を支えているということだ。

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フーコーの三つの権力

フーコー自由主義社会において権力は、主権、規律訓練権力、生権力が協約して働くと考えた。主権者の意図があり、生権力というマクロに社会が設計され、ミクロで規律訓練権力として働く。これらを権力者の意図が一直線働く単純な搾取構造ではない。それならばこのような複雑な構造は必要ないだろう。
自由主義社会において重要なのはミクロレベルでの自由な経済活動を促進し、富を生み出すことである。そして自由な環境とはただ放置することではない。生権力によるマクロな環境設計とミクロな高次の規律訓練権力を必要とする。

生権力・・・生に対する権力の組織化が展開する二つの極
1)規律訓練型権力、人間の身体の解剖−政治学(ミクロな権力)・・・規律を特徴 づけている権力の手続き。機械としての身体、効果的で経済的な管理システムへの身体の組み込み
2)人口の生−政治学(マクロな権力)・・・調整する管理。種である身体、生物学的プロセスの支えとなる身体、繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿
「性の歴史1 知への意志」 ミッシェル・フーコーISBN:4105067044)P176

人口が管理されようとしてたこのときほど、規律が重要なものとなり、価値あるものと見なされたこともありません。人口を管理するとは、単にさまざまな現象のなす集団的な集積物を管理するということでも、単に包括的結果の水準で管理するということでもない。人口を管理するということは、これを深く繊細に、細部にわたって管理するということでもあるのです。
したがって、統治を人口の統治として考えることは、主権の創設に関する問題をさらに先鋭化させるものであり、さまざまな規律を発展させる必要もさらに先鋭化されます。・・・というわけで、主権社会の代わりに規律社会が出てきたとか、規律社会の代わりに統治社会というようなものが登場したというふうに物事を理解してはならない。ここにあるのはじつは主権・規律・統治的管理という三角形なのです。主権的管理の標的は人口であり、主権的管理の本質的メカニズムは安全装置です。P131-132
「安全・領土・人口」 ミシェル・フーコー (ISBN:4480790470) 

私が「自由主義的」という言葉を用いるのは、まず、ここに確立しつつある統治実践が、しかじかの自由を尊重したり、しかじかの自由を保障したりすることに甘んじるものではないからです。より根本的な言い方をするなら、この統治実践は自由を消費するものです。・・・自由を消費するということはつまり、自由を生産しなければならないことでもあります。自由を生産し、組織化しなければならないということ。したがって新たな統治術は、自由を運営するものとして自らを提示することになります。
・・・自由の生産と、自由を生産しながらもそれを制限し破壊するリスクをもつようなものとのあいだの、常に変化し常に動的な一つの関係が、そこに創設されるということです。・・・一方では自由を生産しなければなりません。しかし他方では、自由を生産するというこの身振りそのものが、制限、管理、強制、脅迫にもとづいた義務などが打ち立てられることを含意しているのです。
自由主義、それは絶えず自由を製造しようとするもの、自由を生み出し生産しようとするものなのです。そしてそこにはもちろん、自由の製造によって提起される制約の問題、コストの問題が伴うことになります。・・・自由製造のコストを計算するための原理は、・・・もちろん、安全(セキュリティ)と呼ばれるものです。・・・自由主義は、安全と自由の作用を運営することによって、個々人と集団とができる限り危険に晒されないようにしなければならないのです。
自由主義自由主義的統治術の第二の帰結、それはもちろん、管理、制約、強制の手続きの途方もない拡張であり、これが自由の代償と自由の歯止めを構成することになります。私が十分に強調しておいたとおり、あの大いなる規律の技術、すなわち、個々人の行動様式をその最も細かい細部に至るまで毎日規則正しく引き受けるものとしての規律の技術が、発達し、急成長し、社会を貫いて拡散するのは、自由の時代と正確に同時代のことでした。経済的自由、私が述べたような意味での自由主義と、規律の諸技術とは、ここでもやはり完全に結びついているということです。P77-82
「生政治の誕生」 ミシェル・フーコー (ISBN:4480790489

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2 なぜマクドナルド型生権力が社会を全包囲するのか マクドナルド型生権力の見取り図

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マクドナルド型生権力の見取り図について。作れば売れる時代が終わり、経済成熟期に入ったいま「いかに儲けるか」(利害関心)が複雑、巧妙になっている。ここでいう「儲ける」(利害関心)は、経済活動が活発し雇用が生まれ生活が豊かになるという自由主義経済の基本である。
経済成熟期に発達する「儲ける」仕組みがマクドナルド型生権力である。たとえば旅客機のサービスによるクラス分け。エコノミークラス/ビジネスクラス/ファーストクラス。さらには外部までも取り込んで成熟社会を全面包囲している。


マクドナルド型生権力の見取り図

1)マクドナルド空間−内部
  (1)エコノミークラス(マクドナルド空間)
    低価格。安全、安心、安定。グローバルな公共空間。
  (2)ビジネスクラスマクドナルド空間の多様化)
    エンターテイメントの付加価値。ショッピングモール、ディズニーランド。
  (3)ファーストクラス(マクドナルド空間の臨界)
    高価格。高度サービス。医療、介護、弁護士。

2)マクドナルド空間−外部
   (4)ハウスホールド(家庭生活) 
     核家族から個別化へ
   (5)アウトキャスト(取り残された外部)
     失業者、低所得高齢者。
   (6)コンフューズ(混沌・創発領域)
     秋葉原、ネット社会。

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1) マクドナルド空間−内部

 (1)エコノミークラス
  マクドナルド空間・・・低価格、省スペース、安心、公共性

・ミクロ権力(規律訓練権力)
清潔、無個性、セルフサービス(自己責任)によって、場に暗黙の規律(儀礼的無関心)を形成し、狭い空間、短い滞在でも安価・安全・寛ぎを提供する。コンビニ、ファミレスなど。現代の「グローバルな経済的公共空間」になっている。

・マクロ権力(生政治)
社会の流動性が向上すると他者との摩擦が起こる。安価・安全・安定した商品を供給することで、社会全体の効率化を目指す。自由主義経済におけるグローバルな安全空間を供給する。利害関心→利益率は低い。チェーン展開により薄利多売。チェーン展開できるだけの需要がある身近な生活品が基本になる。

・管理技術
 チェーン店を繋ぐネットワーク。商品の一括管理など低コストのために必要な技術。

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 (2)ビジネスクラス
  マクドナルド空間の多様化・・・エンターテイメントの付加価値

・ミクロ権力(規律訓練権力、テーマパーク型権力)
マクドナルド空間の無個性さを非日常性として演出し、そこにエンターテイメントを加える。安価・安全・安定な遊技空間を作り出す。ショッピングモール、シネマコンプレックスなど。子供がマクドナルドへ行きたがるのは、マクドナルドがただ安価な食事場ではなく小さなエンターテイメントを組み込んでいるから。付加するエンターテイメントは楽しいだけではなく、酒場などでは洗練された演出などのバリエーションが可能である。さらにはディズニーランドも「マクドナルド空間」をベースに作られている。

・マクロ権力(生政治)
マクドナルド空間の多様性によってより高次に生活をフォローする。利害関心→マクドナルド空間ほどチェーン店舗数は増やせないが、1店舗当たりの利益率を高める。

・管理技術
ナビゲートシステムの発達によっていままだファーストクラスのサービスをいかに低コストに提供できるか。

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 (3)ファーストクラス
  マクドナルド空間の臨界・・・高価格。マンツーマンサービス、擬似プライベート空間。

・ミクロ権力
マクドナルド空間はセルフサービス(自己責任)や暗黙の秩序によって安価に摩擦がない空間を提供するが、その臨界ではそれでは対処できない高度で密接な部分が残る。たとえば医療、教育、介護、あるいはカウンセリング、弁護士など。マンツーマンなサービス、擬似プライベート空間によって高度な「感情労働」を提供する。当然、高額となる。

・生政治
金銭経済(マクドナルド空間)の臨界であり、「もはやお金で買えないものはない」が目指される。もっとも「人間らしさ」を提供する。金持ちか、数度の旅行などで体験される。利害関心→希少であることが付加価値となる。

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2 マクドナルド空間−外部

 (4)ハウスホールド
  家庭生活・・・核家族化から個別化へ。マクドナルド空間への取り込まれ

・ミクロ権力(規律訓練権力)
家庭生活では人々は自らでサービスを行っている。主婦は家族のために労働しサービスを提供する。あるいは地域コミュニティでは隣人同士がサービスを贈与し合う。このような非金銭経済のサービスは金銭経済とともに生活を支えてきた。ときにファーストクラス以上のもの、あるいは金銭に代えられないほどのサービスを提供する。しかし家庭、地域コミュニティ(非金銭サービス)は解体しつつある。

・マクロ権力(生政治)
家庭生活は労働を補助する場としてまた消費を生み出す場として経済の基本の一つである。そして家庭、地域コミュニティ(非金銭サービス)は金銭経済(マクドナルド空間)へ取り込まれている。たとえば主婦がする非金銭労働をいかに商品化して提供するか。家庭生活での出費は増えるが、主婦はパートに出でて稼ぐ。さらに現代の生活は核家族からさらに個別化している。一人で生活できるのは安価・安全なマクドナルド空間に支えられているからだ。あるいは地域密着の商店街などの家庭的な雰囲気は、逆に「儀礼的無関心」を破壊し、なれなれしい、めんどうくさいと廃れていく。

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 (5)アウトキャスト
  取り残された外部・・・高度なサービスから取り残される。「ホモサケル」

・ミクロ権力
マクドナルド空間に依存した貨幣中心の生活では、人々は個別化し助けてくれる「家族」がなく、さらに失業者、低所得高齢者などのお金を持っていない人々が、医療、教育、介護などの高度なサービス(ファーストクラス)を必要とするときに取り残されていく。

・マクロ権力(生政治、公共投資
お金を持たない人々は民間投資には魅力がなく、マクドナルド空間から取り残されていく。このために公共投資による補助がもっとも必要とされるが、限界がある。

・管理技術(環境管理権力)
補助されなければ生きられない人々という人間としての尊厳の消失。より低コストで補助するために積極的に管理技術が活用される。そこでは生が動物のように処理される。現代の「ホモサケル」。ここにおいて管理技術が環境管理権力として作動する。

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 (6)コンフューズ
  混沌する外部・・・次のイノベーションの土壌

・ミクロ権力
マクドナルド型規律訓練権力=公共的な秩序に回収されない人々。その場その場の独自の秩序(規律)をもち、自律的に混沌とした活力場を生み出す。社会的に危険とされる。

・管理技術(環境管理権力)
だからといって暴力によって排除するのではなく、防犯カメラなどで監視して見守る。ここでも管理技術は権力として作動する。

・マクロ権力(生政治、公共投資
次のイノベーションはこのような混沌とした活力場から生まれてくるために、監視しつつ自由にさせる。有望なイノベーションとして認知されることで民間・公共投資によってマクドナルド空間として整備される。秋葉原もかつては混沌とした活力場であったが話題を呼ぶことで整備されマクドナルド空間へと変容している。利害関心→新たなイノベーションに投資することはリスクがあるがリターンも大きく、投資にとっては最重要な領域である。

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追記


監視社会(環境管理権力)
最近の左派の言説は、ドゥルーズの「コントロール社会」を受けて、ポストフォーディズム分析の先に監視社会(環境管理権力)による透明な権力による全面包囲の危険が語られることがパターン化されつつある。しかしここには左派の古い「国家嫌悪」が見え隠れする。自由主義社会において、監視社会の問題を考える場合には、「儲かるか」(利害関心)との関係による巧妙さを考慮する必要がある。
社会を網羅した監視体制には厖大な設備投資を必要とする。だからそれがどこまで技術的に可能であるか以上に、投資に見合うだけのリターンはあるのかが重要になるだろう。当然、民間投資による回収などできないわけで監視社会を構築することができるのは、政府だけになる。自由主義社会の政府においてもそこまで利害関心を無視した投資は難しいだろう。
監視はむしろ「監視してます」という警告をともなった抑止(規律訓練権力)として働くことがほとんどである。その方がずっと投資効率が良いからだ。だから管理技術のみ頼るよりも、生権力(規律訓練権力+生政治)として身体のみではなく精神へも働くように巧妙に働くのだ。


ネット社会
ネット社会は<コンフューズ>な領域である。ネット上の秩序は基本的にアーキテクチャ(環境管理技術)によって支えられている。しかし規律訓練権力との併用が重要である。2ちゃんねる、mixi、ブログなども独自の公共空間を形成している。また定期的に見せしめの逮捕者が出ることで「監視しているぞ」という眼差しが規律訓練権力として働いている。それでもマルチチュード(群衆)を管理するのは限界がある。誹謗中傷などの問題をすべて取り締まってもコストばっかりかかってしまうだろう。


投資
このようなマクドナルド型生権力は、先進国の豊かな生活場という限られた領域でのビジネスモデルである。多くの資本は異なるビジネスモデルへ流れている。一つは経済成長期にある途上国を巻き込んだグローバル化である。途上国の<ハウスホールド(家庭生活)>、<コンフューズ(混沌・創発領域)>はまだまだ未開拓地(フロンティア)であり、これらかの成長が見込める。あるいは金融市場である。金融市場は貨幣が自己増殖する怪しい市場ではあるが、新たな金融商品技術が<コンフューズ(混沌・創発領域)>を生み出している。ただこれらの市場に境界はない。


保守派(右派)と左派
マクドナルド空間の問題は、安価にサービスを提供する意味で便利で安全で快適である。しかし快適である故に人々は依存し、社会が解体する。そして他者回避できない高度なサービスもマクドナルド化により対処しようとしても、希少性を高めて、高騰している。貨幣を持たないものはこぼれ落ちてしまう。自由主義者マクドナル空間を徹底することを望む。高度サービスもマクドナルド空間になるよう環境管理技術の発展を望む。それに対して、左派は「社会のセーフティネットの解体」を問題にする。貧困の問題とはマクドナルド依存からくる。だから生活力を高めておくこと。そして社会的連係を育てておくこと。

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