なぜ日本の武士は中国の権力者より清らかだったのか 仁政型再配分

武士というタレント


武士を理解する重要な一つが、その人口に占める割合からもわかるように、彼らがいまで言う「芸能人」のような存在だったということだ。すなわち注目を浴びる特別な存在。だから彼らの不思議な行為は基本にパフォーマティブに理解しないといけない。特に戦の時代が終わった江戸時代には、いつも武士として見られていることを想定しているということだ。

だから彼らは世間の反応に敏感である。赤穂浪士は事件後すぐに芝居になり人気を博したが、赤穂浪士自体が一つのパフォーマンスであったということ。討ち入りの前から有名であり、世間では討ち入りが期待されていた。

そして特に江戸時代に「世間」が武士に求められた「役柄」は、庶民のために率先してみかえりなく勤める、また勤める姿を庶民に魅せる指導者像である。ここに儒教の影響が見える。武士を頂点とする身分制度は仏教からは否定される。仏教では生きとし生けるものは等しくそこに互いへの慈しみが生まれる。身分制度儒教の影響が大きい。




孔子がもとめた清らかな仁政型再配分


農業社会では縦社会は必要不可欠と言えるだろう。農業社会を統治するために重要な交換様式は、再配分である。農民がそれぞれ自給自足し、権力者が農民から税を徴収して国を運営する。現代でも税による再配分はあるが、現代のように市場による全体調整機能が弱い農業社会では、再配分による統治は必要不可欠である。そして権力者が中央に集められた富を独占するのはいたしかたないといえる。その座を狙って絶えず闘争が起きたわけだ。


江戸時代に使われた社会を表す言葉で「世間」以外に「天下」がある。世間の起源は仏教用語だが、天下の起源は儒教である。天下とは、神としての「天」がありその下に社会がある。そして天下は徳によって統治される。徳の基本は子の親への「孝」である。「孝」を手本とする仁をヒエラルキー内の関係に全面的に展開することで、社会全体の秩序を維持する。

そして特に権力者は庶民を徳へ導くために率先した徳の実行者であることが求められる。それを「仁政」という。そして天下を収める者は、仁政を実行することで、天に選ばれた者である。周による殷政権の打倒以来、この徳治思想が中国の権力者の正当性を担保していった。

孔子儒教で求めたのは、再配分によって集まった富を権力者が不当に独占しないこと。さらには独占以上に権力者は自らが民へ奉仕すること。富、権力を独占する権力者への「清らかさ」である。権力者が率先して清らかであることで、再配分システムそのものが「清らかに」なり、人々が幸福な社会が運営される。これは「仁政型再配分」といえる。




「慈悲とは仁の道である」


中国では、儒教孔子の死後、漢代で国教になり、その後、清代まで国家運営の理想であり続けた。中国の権力者が目指した「天下」の仁政においては、はじめて仁政により権力の正当性を主張した周代から諸国の権力者たちに対しての自らの正当性を主張することを重視した面が強い。

それに対して、日本の武士は儒教的な仁と仏教的な慈悲は区別なく用いられた。仁が仁政型再配分にひも付くのに対して、慈悲は武士に限らず個人的な修養であり「世間」という倫理にひも付いていた。そして武士はその正当性を天下、それはまた世間において主張した。そして実際に、世界史的にも画期的に、清らかな仁政再配分システムを実行したのだ。ここに中国の権力者と日本の武士の違いがある。

まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。

忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。

東照宮御遺訓 徳川家康