空観とはなにか
1 空観と慈悲
1)空とは縁起である
2)贈与交換と慈悲
3)慈悲があるから空観が得られる
4)空観に達するための実践
2 自然と空観
5)親鸞のレトリック
6)地獄をさけ極楽を目指す慈悲ゲーム
7)無為自然と自然法爾
8)無我論
9)無為自然から自然法爾そして空観へ
3 世間と空観
10)江戸時代の葬式ブーム
11)「世間」という慈悲圏
1 空観と慈悲
1)空とは縁起である
さて、ナーガールジュナによると、「縁起を観ずることが法を観ずることであり、それがそのまま仏を観ずることである」(中論)。世の中のありとあらゆるものは、因縁によってつくり出されたものである。ひとつの原因がつくり出したものでもないし、だれかが恣意的に欲するままにつくり出したものでもない。無数に多くの因縁が集まってこうしてつくり出されたのである。その理を<縁起>というが、それを観ずることが、すなわち仏を観るゆえんである。
・・・ひとつの実体があって、それがいつまでも続いているものではなく、因縁によってつくり出されたもので、また、因縁がされば消えるということ、それが空なのである。つまり、縁起ということと空ということとが、記するところは同じ趣意なのである。以上のような「中論」の思想は、その後の大乗仏教の思想の発達のための出発点となった。P11-12空の論理 大乗仏教 中村元選集 ISBN:4393312228
・伝統的保守的仏教(小乗仏教)
法の自性が実有である。説一切有部(せついっさいうぶ)。・大乗仏教
諸法の無自性、空。もろもろの事物は、互いに条件付けられ、相互依存して成立しているもの、すなわち縁起しているものである。法の自体なるものは実在しない。すなわち「無自性」である。縁起即無我=空。
ここには小乗仏教と大乗仏教の歴史的対立が隠されている。大乗仏教は、なんとしても小乗仏教を乗り越えなければならなかった。悟りの境地である無我において、小乗は法が実有であるとする。そして法を出家者という特権が独占していることに対して、在家にも開かれる大乗仏教では、法さえも無く、空であると言った。そしてナーガールジュナは、空とは縁起であると考えた。
2)贈与交換と慈悲
この縁起即無我=空観を説明するために、重要であるのが慈悲だ。では慈悲とはなのか。それを考えるには、贈与論から考える必要がある。現代は、貨幣交換社会であるが、贈与交換は貨幣交換以前の重要な経済であり、人類の基本的特性ともいえる。
贈与交換
・自分に身近は人にほど多くを与える。
・受けた相手は負債を感じ、返礼をせざるをえない。
・もし返礼ができないと、権力関係が生じて下となる。
・このために、相手が返せないだけ贈与する、あるいは見栄を張るために多量に贈与(散財)する(ポトラッチ)という権力誇示が行われる。
・贈与返礼関係は小さな信頼の共同体を作りだす。その代わりにその外部を排除し、共同体同士の権力闘争が生まれる。
これに対して、慈悲は贈与交換の乗り越えを目指す、究極的には仏のみが可能な仏教的な経済(エコノミー)といえる。
慈悲
・自分の身近ではない人に多くを与える。仏は生きとし生けるものすべてに等しく。
・受けた相手に返礼を求めない。
・また受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。
・だから与えることで上下の権力関係を生まない。
・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。
自分が財産をもっているとすると、普通は子供や友人などの身近なものへ与えたいものだ。しかし慈悲は、むしろ身近ではない見ず知らずの人々に与える。さらに見ず知らず人から受け取った者は不振に思う。なにか見返りを求められているのでは?あるいはそれを受け取ったあとにお返しをしなければと後ろめたくなる。慈悲では与える者はただ与えるだけではなく、受ける者のそのような気持ちにも配慮して負債を受けないように与える。そして与えることで自己満足に浸らない。このような慈悲の理想な実践は「三輪清浄」と呼ばれる。
後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕の精神が純粋清浄となるのである。P129
3)慈悲があるから空観が得られる
大乗仏教の思想体系の理論的建設者であるナーガールジュナは、慈悲に三種類あることを認め、無縁の慈悲の究極者的性格を明らかにしていう。
・・・おそらく現実の社会において、多くの個人と個人とが対立している場面を意識しつつ慈悲を及ぼすことが「衆生を縁とする慈悲」であり、個人存在あるいはそれと関連ある諸種の物を個別的な要素に分析して、それらは独立な実体ではないと思って、執著を去って他人になんらかの物を与えて奉仕すること、すなわち小乗仏教における慈悲行が「法を縁とする慈悲」であり、諸法実相である空(=如来)を観じて行う慈悲が「無縁の慈悲」なのであろう。P488-491空の論理 大乗仏教 中村元選集 ISBN:4393312228
慈悲の階層は先の贈与論に対応して考えることができる。「衆生を縁とする」とは、自分と身近な人々との関係による贈与に近い慈悲だ。そして「無縁」とは身近な贈与関係を超えた生きとし生きるものすべてを等しいと考える関係性、すなわち縁起即無我=空観による慈悲である。だからナーガールジュナはいった「慈悲心があるからこそ、悟り(空観)が得られるのだ。」
空観とはなにかといえば、我と他我、生と死、有と無という区分は、言葉でしかなく、縁起においてそんな区分はなく、原理的には縁起、世界はすべて繋がりあってできているということ。しかしこの原理を知ったところで「無縁の慈悲」が実践できるわけではない。
人は与えるとき、身近なものを優遇し、誰かに何かを与えたとき与えてやったという与えたものへの優越感が生まれる贈与交換から逃れることは難しい。また受けた者に負債を感じさせることは避けられない。空観に達するためには、「無縁の慈悲」が可能になるような修行が必要となる。
スプーティよ、ここに、求道者の道に向かう者は、次のような心をおこさなければならない。すなわち、スプーティよ、およそ生きもののなかまに含まれているかぎりの生きとし生けるもの、卵から生まれたもの、母胎から生まれたもの、湿気から生まれたもの、他から生まれたもの、みずから生まれ出たもの、形のあるもの、表象作用のあるもの、表象作用のないもの、表象作用があるのでもなくないのでないもの、そのほかの生きものもののなかまとして考えられるかぎり考えられた生きとし生けるものども、それらのありとあらゆるものを、わたしは、<悩みのない永遠の平安>という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実はだれひとりとして永遠の平安に導き入れられたものはないと。
それはなぜかというと、スプーティよ、もし求道者が、<生きているものという思い>をおこすとすれば、もはやかれは求道者とはいわれないからだ。それはなぜかというと、スプーティよ、だれでも<自我という思い>をおこしたり、<生きているものという思い>や、<個体という思い>や、<個人という思い>などをおこしたりするものは、もはや求道者とはいわれないからだ。
4)空観に達するための実践
贈与関係で重要なことは自分である。自分の権力を誇示、自分の身近を優遇し自分を優位にする。仏教の目的は我を滅することにあり、慈悲とは我を滅することの実践である。だからすべてのことを慈悲をもって行うことが基本となる。ボクは僧侶ではないので詳しくないが、有名なものでは、実践として六波羅蜜がある。ここで面白いのが、通常は贈与に加えないような「挨拶をする」ような小さな事も与えることに含めれていることだ。日々、これらはすべて慈悲をもとに行うこと。たとえば偉い人だからとかではなく分けへだてなく、仏の領域ではいきとしいきるものに対して感謝するようなことだろう。
布施 ふせ ほどこす
人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のものを財施といいます。お金や品物などを施す場合です。
無形のものは、
● 知識や教えなどの法施
● 明るく優しい顔で接する眼施・顔施
● 温かい言葉をかける言施
● 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施
● 何かをお手伝いする身施
● 善い行いをほめる心施
● 場所を提供する座施・舍施、などがあります。施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。欲張りのない心での行いを施しといいます。あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。
持戒 じかい つつしむ
本分を忘れずにルールを守った生き方で、人間らしく生活することです。自分勝手に生きるのではなく、互いに相手のことを考えながら、仲良くゆずりあっていく生活です。忍辱 にんにく しのぶ
悲しいことや辛いことがあっても、落ち込まないで頑張ることです。物事の本質をしっかりとおさえて、時には犠牲的精神を持って困難に耐えることです。精進 しょうじん はげむ
まずは最善をつくして努力すること。良い結果が得られても、それにおごらず、さらに向上心を持って継続することです。禅定 ぜんじょう 心身を静める
心を落ち着けて動揺しないこと。どんな場面でも心を平静に保ち、雰囲気に流されないことです。智慧 ちえ 学ぶ
真理を見きわめ、真実の認識力を得ること。人は誰でも生まれながらにして仏様と同様の心を持っています。欲望が強くなると、単なる知識だけで物事を考えるようになります。知識ではなく智慧の心を以て考えることです。
2 自然と空観
5)親鸞のレトリック
庶民レベルでは頑張って「衆生の慈悲」からこつことやりさない、ということになるのだろうが、ここから親鸞の「歎異抄」に繋がる。親鸞はレトリックの天才で柔らかい表現ではあるが、そこにはアイロニーがいっぱいだ。歎異抄で言いたい本音は、
庶民ごときが慈悲してるって、偉そうにいうなよ。たかだか「衆生の慈悲」だろう。他人のためになにかしたから、自分は極楽に行きたいって、自分のことだけ考えてるんだろう。そんなものは慈悲でもなんでもないんだよ。善人ぶりやがって、お前ごときが考える善人、悪人なんて、どーでもいいんだよ。
ホントの慈悲は「無縁の慈悲」と言ってだな……まあ、おまえらみたいなアホに言ってもわからんか、おまえらみたいなもんができるのは、なにも考えず、ただ念仏唱えてりゃいいんだよ!
寺や僧侶などに布施として寄進する金品が多いか少ないかにより、大きな仏ともなり、あるいは小さな仏ともなるということについて。このことは、言語道断、とんでもないことであり、筋の通らない話です。
一方、その寄進は、仏になるための布施の行ともいえるのですが、どれほど財宝を仏前にささげ、師に施したとしても、本願を信じる心が欠けていたなら、何の意味もありません。寺や僧侶に対して、たとえ一枚の紙やほんのわずかな金銭を寄進することすらなくても、本願のはたらきにすべておまかせして、深い信心をいただくなら、それこそ本願のおこころにかなうことでありましょう。
「歎異抄」18章 http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub5.htm
善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。
ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない 」 といいます。これは一応もっともなようですが、本願他力の救いのおこころに反しています。なぜなら、自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、真実の浄土に往生することができるのです。
「歎異抄」3章
慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
「歎異抄」4章
6)地獄をさけ極楽を目指す慈悲ゲーム
実際、親鸞以前に庶民が考える慈悲は、極楽に行くための慈悲ポイントを集めるゲームみたいなもので、ほんとの慈悲とはほど遠い。鎌倉仏教以前に僧侶でなくてもわかりやすい仏教本と言えば、「日本霊異記」や「往生要集」があるが、わかりやすい現世利益が語られる。
仏教が中国に伝わったときに、まずウケたのが輪廻転生。現世を中心とする中国や日本では、無念で死んだ人は行き場なく、怨霊になった。輪廻転生は死んで終わりでなく、来世で報われる。怨霊も成仏できる。また報いを受けなかった悪人は来世で報いを受ける。
ここで、現世で重視されたのが慈悲。地獄と極楽どちらに行くかは、現世でいかに慈悲ポイントを貯めるかによる、という安直な世界観が生まれる。権力者は、高齢になると来世のために出家してお寺を建立して慈悲ポイントをためる。庶民なら市場で売られているカメを買って海に放して慈悲ポイントを貯める。そして慈悲ポイントをたくさん貯めて極楽に行くゲームだった。鎌倉仏教以前の庶民レベルの仏教はこんな世界だっただろう。
ところが日本では地獄に関する絵画が非常に発達し、しかも残酷な場面が多い。これは何故であろうか。地獄は仏教の教義学によると、衆生のさまよう六道の一つにすぎない。また日本仏教の根幹となったといっても過言ではない天台の教学によると、十の生存領域(十界)の一つにすぎない。それなのになぜ地獄が特に問題とされるに至ったのであろうか。それは日本の宗教が、仏教、大乗仏教、さらにそのうちでも慈悲を特に強調するものであったからであると考えられる。西洋における神は審きの神である。神を恐れるが故に悪事をしないのである。ところが仏教の仏には審きがない。悪人をもなお慈しむ。仏が罰するということはない。
では悪人はいかに審かれるかというと、因果応報の理によるのである。悪い事をすると悪い報いを受ける。極重悪人ははては地獄の責苦を受ける。悪いことをすると、こんな酷い責苦を受けるぞ、といって民衆を脅かしたのである。それは他面では仏の慈悲を強調する所以でもあった。地獄でこんなひどい目に遭うような悪事を行なったような人間でも、救われる道がただ一つある。それは仏の慈悲にすがることである。
この点は、西洋の場合と異なっている。西洋では神の審きによって地獄に堕ちた人間は絶対救われない。これに関しては多少の異説もあるが、西洋人一般の見解としてはこうであったと言っても差し支えないであろう。ところが仏教によると、地獄の衆生でも救われるのである。P63-64往生要集を読む 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062921979
私たちは他者と関わらずには生きられない。他者と関わるということは、仏教的にいえば、「菩薩」であるということである。ただ、私たちはそのことにしばしば無自覚である。無自覚であっても他者との関わりを逃れられない。それを私は「存在としての菩薩」と呼ぶ。しかし、私たちは他者との関わりをずっと無自覚のままで過ごすことはできない。他者の幸福を願い、他者とよい関係を結ぼうとする。そのように意図された時、「実践としての菩薩」となる。菩薩とは特別のことではない。他者を配慮し、他者とよりより関係を築くことに他ならない。
近代の解釈ではしばしば、親鸞は菩薩ということを言っておらず、菩薩というのは自力の行であって、認められないという説がなされるが、これは奇妙なことである。私たちは他者との関係から逃れられない。それを絶とうというのであれば、他者である弥陀との関係も断絶することであり、他力を受けることを拒否することである。他者とよりより関わりを持とうとするとき、それが私の側からの発信ではなく、実は他者からの発信に対する応答であることに気づく。それが他力に他ならない。
そう考えると、自力と他力の関係も新しい目で見られることになる。逆説的だが、自ら他者との関係を積極的に求めずに、他者の力を受けることはできない。自力で求めたことが、実は自力では成し遂げられず、そこに他力の呼びかけががあったことがはじめて知られ、他力を受け止めることが可能となる。はじめから自己を閉ざし、何もせず他力がやってくるのを待つなどということはあり得ない。P285親鸞 :主上臣下、法に背く 末木文美士 ミネルヴァ日本評伝 ISBN:4623075818
念仏は、それを称えるものにとって、行でもなく善でもありません。念仏は、自分のはからいによって行うのではないから、行ではないというのです。また、自分のはからいによって努める善ではないから、善ではないというのです。念仏は、ただ阿弥陀仏の本願のはたらきなのであって、自力を離れているから、それを称えるものにとっては、行でもなく善でもないのです。
「歎異抄」8章
浄土への往生については、何ごとにもこざかしい考えをはさまずに、ただほれぼれと、阿弥陀仏のご恩が深く重いことをいつも思わせていただくのがよいでしょう。そうすれば念仏も口をついて出てまいります。これが、 「 おのずとそうなる(自然) 」 ということです。 自分のはからいをまじえないことを、「 おのず とそうなる(自然) 」というのです。これはすなわち阿弥陀仏の本願のはたらきなのです。それなのに、おのずとそうなるということが、この本願のはたらきの他にもあるかのように、物知り顔をしていう人がいるように聞いておりますが、実になげかわしいことです。
「歎異抄」16章
親鸞は、こんな世界で、善人だ、悪人だ、自力だ、なんてちゃんちゃらおかしい。もういままでのことは全部忘れてもらって、ただ念仏を唱えろという。他力本願とはまず素人の間違った慈悲を捨てる、自力を捨てさせるところにある。
そしてただ信じ、ただ念仏する。なにも考えず信じて、念仏を唱え続ければ、自然と真の慈悲が立ち上がってくる。自然に立ち上げって来るものは阿弥陀仏の教えだ。これが親鸞の自然法爾(じねんほうに)である。
ここに、老荘思想の無為自然など、中国人的、日本人的な楽観的慣習主義があるように思う。人は余計な知識を持たずに、自然体でいれば、美しい善に至る。悪人も救われるといっても人はそうそう悪ができるわけがない。さらに禅宗はもっとも老荘思想の影響が大きくて、目指す無我は、空=縁起よりも、老荘思想の無為自然に近い。自然にこもり座り続ける。
人は地に法り 、地は天に法り 、天は道に法り 、道は自然に法る。
心と身体とをしっかり持って合一させ 、分離させないままでいられるか。精気を散らさないように集中させ 、柔軟さを保ち 、赤子のような状態のままでいられるか。
そもそも 、万物はさかんに生成の活動をしながら 、それぞれその根元に復帰するのだ。根元に復帰することを静といい 、それを命つまり万物を活動させている根元の道に帰るという。命に帰ることを恒常的なあり方といい 、恒常的なあり方を知ることを明知という。恒常的なあり方を知らなければ 、みだりに行動して災禍をひきおこす 。恒常的なあり方を知れば 、いっさいを包容する。いっさいを包容すれば公平である 。公平であれば王者である 。王者であれば天と同じである。天と同じであれば道と一体である 。道と一体であれば永遠である。そうすれば 、一生 、危ういことはない。
8)無我論
老子 人為を否定し、自然(おのずとそうなる)に達する。
禅宗 座禅など不自然を行うことで、(我の)人為を否定して、自然(おのずとそうなる)に達し悟りを開く。
親鸞 阿弥陀仏の大慈悲にすがり念仏を唱えること(他力本願)で、(我の)自力を否定し、自然(おのずとそうなる)に達し死後に極楽浄土にいく。
空観 慈悲を行うことで、(我の)利益を否定し、空(=縁起)に達し悟りを開く。
無縁の慈悲(大乗仏教)、無為自然(老荘思想)、他力本願(無自力)。これらが無(否定)であるのは偶然ではない。無縁の慈悲とは、衆生の縁=贈与関係という自分を中心とした経済を否定する。また老子の思想は無の思想と言われて無為自然に戻るには、まずいまの自分、自分の知識を否定することが必要だという。そして他力本願は阿弥陀仏を信じ念仏を唱えることで自力を放棄する。これらはすべて無我につながる。
ボクは、仏教がインドから中国へ伝わり、主に浄土宗、禅宗において、空の思想に老荘思想の無為自然が取り入れられたことが重要だと思う。そもそもにおいて、(無縁の)慈悲という考えは難解だ。「自分の身近ではない人に多くを与える」、「受けた相手に返礼を求めない」。それに対して、無為自然(自然に帰る)は比較的、日本人にはなじみやすい。もともと日本人が自然信仰を重視し、また弥生時代に水田稲作が伝来したときに老荘思想の源流である道教的な呪術も伝来した、卑弥呼の呪術など、と言われるように、日本人になじみやすい。特に、より老荘思想の無為自然を重視する禅宗が日本人に受け入れられたことからもわかる。
本当の言葉は華美ではなく 、華美な言葉は本当ではない 。本当の弁論家は弁舌が巧みではなく 、弁舌が巧みな者は本当の弁論家ではない 。本当の知者は博識ではなく 、博識な者は本当の知者ではない 。聖人は何もためこまない 。なにもかも人々に施しつくしながら 、自分はますます充実する 。なにもかも人々に与えつくしながら 、自分はますます豊かになる 。天の道は恵みを与えるだけで損なうことはなく 、聖人の道は何かを為しても争うことはない 。
なにも為さないということを為し 、なにも事がないということを事とし 、なにも味がないということを味とする 。小さいものを大きいものとして扱い 、少ないものを多いものとして扱う 。怨みには徳でもって報いる 。難しいことは 、それが易しいうちに手がけ 、大きいことは 、それが小さいうちに処理する 。世の中の難しい物事はかならず易しいことからおこり 、世の中の大きな物事はかならず些細なことからおこるのだ 。そういうわけで聖人は 、いつも大きな物事は行なわない 。だから大きな物事が成しとげられるのだ 。
ただ一つ、荘子は重大なことを言い忘れたようである。それは「どうすれば万物斉同の境地に達することができるのか」という、具体的な方法の問題であった。荘子はいきなり万物斉同の境地から物を言っているのであって、そこに到達するための方法については何も述べていない。おそらく荘子は、差別の人為にさえ放棄すれば、そのまま無差別の境地があらわれる、と簡単に考えていたのではないか。
それは荘子のような達人か、それとも老子のいう無知の農民のようなものであれば、あるいは可能であったかもしれない。なまじ知恵の実の味を知った凡人にとっては、万物斉同の理を「知る」ことは可能であるにしても、その境地に「なる」ことは至難のわざである。自然に帰れと簡単に言うけれども、すでに深く不自然に陥っている凡人にとっては、それはたいへん努力を必要とすることなのである。自然になるためには、多くの努力という不自然を積み重ねなければならない。このことに荘子が気づかなかったとはいわないが、しかしきわめて不親切であったことは事実である。
この荘子の残した課題をとりあげ、その解決にあたったのは、道家の後継者よりも、むしろ仏教の禅宗であり、浄土教であったといってよい。禅と浄土は、中国仏教のうちでも特に中国的な色彩の強い仏教だといわれている。それは宋元明清の時代に残った仏教が禅と浄土だけに限られているという、歴史的な事実によっても証明されている。
その場合、禅と浄土の「中国的」な要素とはなんであるのか。ひとくちでいえば、それは荘子の思想である。禅と浄土は、インドの仏教に起源をもちながら、中国の荘子の哲学から深い影響を受けとった、いわば混血児の仏教である。この禅と浄土が解決しようとしたのは、荘子が言い忘れた「いかにして万物斉同の境地を実現することができるか」という、方法論の問題であり、実践の問題であった。
禅宗の場合は、自然になるためには無数の不自然を積み重ねなければならないことに気づいた。つまり自然の境地に達するためには、精進努力という不自然が必要だというのである。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)を仏法とし、坐禅を仏を行ずる道であるとするのは、この考え方のあらわれであろう。
しかし、このような自力の道に絶望するところに浄土教が生まれた。人間の力は、しょせん微弱なものでしかない。その微弱な努力が、かえって自然境地に達することの妨げとなる。弥陀(みだ)の常寂光土(じょうじゃっこうど)は――万物斉同の自然の境地は、ただそれへの思慕の念を強めることによってのみ得られる。「自然は即ちこれ弥陀国なり」といった善導、自然法爾(じねんほうに)を説き「無上仏とまうすは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆえに自然とはまうすなり」「かたちもましまさぬようをしらせむとて、はじめて弥陀仏とまうすとぞききならひて候。みだ仏は自然のようをしらせむれう(料)なり」と語った親鸞など、浄土教の極地を説いたものは、そのまま荘子の道に通ずることをしめしている。P36-38老荘と仏教 森三樹三郎 ISBN:4061596136
本書の著者・鈴木大拙先生は、大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる・・・例えば、「世界は即ち世界に非ず、是世界なり」、また「微塵は即ち微塵に非ず、是を微塵と名づく」等である。これを一般的な形式に引き直すと、「甲は甲であると言うのは、− 甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。もっと簡単にすれば、「甲は甲であると言うのは、―――甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。もっと簡単にすれば、「甲は甲でない、だから甲だ」という命題ができる。すると肯定が否定で、否定が肯定だということになり、普通の論理ではとうてい承認され得ない非合理であり、常識外れも甚だしいと言わなければならない。それにも拘わらずこの即非の論理が、仏教的思惟の根本なのである。
仏教では、物の本然、物の真実或いは物の「在りのまま」の存在を「如」或いは「如々」と呼んでいる。即非の論理は、定立(肯定)されている概念をいったん否定し、この否定を経てもう一般肯定に戻ったときに初めて、その概念に対応するところの物が真実にとらえられると言うのである。心が主観と客観に分かれて、そのあいだに成立する関係が、普通に言われる知識或いは認識であり、これはまた分別とも呼ばれる。ところが主観は人によってそれぞれ異なるから、こういう認識作用によって知られるところのものは「在りのままの在る」ではない、それには常に主観によるいわば変容が加わっている。そこでこのような分別を否定するのである。つまり主観と客観の対立をすべて掃いのけてしまう、或いは心が主客に分かれなかった前の状態に戻ると言ってもよい。心はもともと一心であり、絶対の一である。これを主観と客観とに分けたのは我々自身なのである。いずれにせよ初めの肯定がこうして否定されると、そこへ在りのままの物が現出する、それが即非の論理の意味である。(解説 篠田英雄)P257-258
老荘思想、禅宗は、自然を目指す。自然は本来自分のなかにあるものである。自然と一体になることで、自分の中のものを引き出す。自己への回帰、そして肯定がある。しかし本来のインドの大乗仏教には自然はなく、空(縁起)を目指す。空は我を滅して世界と一体を目指すが、自分の中のものを引き出すわけではない。新たな手法である慈悲行により、新たな境地(縁起)に達するのである。インドでは自然を含んだ現世は苦である。現世、来世を含んだこの苦しみの世界から離脱し涅槃(ニルバーナ)を目指す。自然は現世の一部でしかなく、だから苦の一部である。
本来のインドの浄土宗も、空を目指すが、中国化した浄土宗は、老荘思想の影響を受けて、自然と空が重ねてあっている。特に親鸞においては、念仏を唱え阿弥陀仏の大慈悲にすがり、自力を捨てることで、空に達するが、それはまた自然でもある。いきなり空を理解するが難しい日本人にとっては、浄土宗、特に親鸞の「自然法爾(じねんほうに)」は自然から空観への覚醒の橋渡しのような役割を果たした。
たとえば室町時代から江戸時代初期の「わびさび」や初期の武士道は、自然(おのずとそうなる)の境地に近いが、江戸時代元禄以降は、空観への成熟がみられるように思う。その一つが「世間」の誕生である。
自然(じねん)といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひ(自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。
「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめて(あらためて。ことさらに)はからはざるなり。このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて迎えんと、はからせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。
ちかひのやうは、無上仏(このうえなくすぐれた仏。ここは、無色無形の真如そのものをいう)にならしめんと誓ひたまへるなり。無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましませぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせん料(ため)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰(あれこれ論議し、詮索すること。)すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなるべし。
親鸞聖人御消息「自然法爾の事」
http://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/qa/s-zinenhouni.htm
3 世間と空観
10)江戸時代の葬式ブーム
中世以降、貨幣経済が広がり、荘園制が解体し、農民たちが自立し始めて、豊かになってきた。ここでブームになったのが葬式である。それまでは死体は穢れ思想もあり、共同墓地に捨てられていた。庶民からのニーズもあり、穢れ思想を乗り越えて、僧侶が供養を請け負い、葬式が広がり始めた。
「清浄の戒は汚染なし」。仏教は清い故に穢れに汚染されない。仏教ののみが葬儀を可能にする。現代でも、死体を仏様というが、死体の穢れが浄化されることで、仏様になる。「死体穢れ観」から「死体往生者観」への転換。その仏教の清らかさの源泉が慈悲だ。慈悲により人は、場は、清らかになる。すなわち慈悲によって穢れに怯える日常から解放された。
そして江戸幕府の寺請け制の導入。キリスト教徒でないことを証明するために全員どこか仏教の宗派に入らないと行けない。そして一つの村に一つ寺ができて、寺院は葬儀、教育機関、情報機関などとして機能し、庶民にとけ込んでいく。たった百年で、数万の寺が作られ、日本人は全員仏教徒になった。そしてみんな念仏を唱え始める。
11)「世間」という慈悲圏
精神的には、目先の現世重視からなれて「自らを否定する」というのは、日本人民衆史上画期的ではないだろうか。現に、江戸時代前後から日本人は空観への成熟を始めるように思う。武士道、商人道、農民道など、儒教の影響を受けながらも、その根底にあるのは慈悲である。
たとえば武士なら、江戸初期は、殉死が流行った。自らの死をかけて、家名を守る。ここに死を捧げる。そしてさらには慈悲的に成熟していく。たんに家名という身近な者のためよりも、世間のために死を捧げるようになる。赤穂浪士は、家名、藩のためだけでなく、「世間」のためでもあった。
世間は、現代では民主的な「社会(ソサイエティ)」に対して、あまりよい意味で使われないが、明治に「社会(ソサイエティ)」という言葉が使われる前、江戸時代には一つの道徳圏の意味を持った。
もともとが仏教用語で「世界」を表したように、慈悲との関係が深い。単に「世間の目を気にする」というような監視ではなく、慈悲を理想とする道徳圏である。日本人は意識することなく空観を開くことを実践してきた。
ただしここには大きな限界がある。「世間」は日本人に閉じている。逆に言えば、江戸時代の鎖国が、世界を「世間」に閉じさせて、その中で空観は成熟することができたとも考えられる。そしてこの限界はまさに現代の問題だ。日本人を先導してきた「世間」がいまガラパゴスと言われている。
慈悲(空観)の経済=世間の理想像?
・自分の身近ではない人に多くを与える。→「世間よし」の家業
・受けた相手に返礼を求めない。→義理と人情
・受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。→おもてなし
・だから与えることで上下の権力関係を生まない。→武士の仁政
・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。→身内より世間
まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。
忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。
応仁の乱から戦国時代にかけて武士階級の裾野が広がる。名もない雑兵は、主君への忠義よりも利や命を惜しむ存在であった。しかし 、依然として 、城主レベルの武士は 、厳しい自己規律を維持し 、敗北した時は兵卒の身代わりとなって切腹した 。彼らを支えていたのは 、武門の家に生まれた名を惜しむ意識であった 。
豊臣政権期の兵農分離を経て江戸時代に入ると 、武士と農民や町人の境界にははっきりと線が引かれる 。いやしくも武士身分となった者は 、武士としての厳しい倫理を要求された 。もし武士にふさわしくないとみなされた場合は 、自己の属する藩社会から排除されることになる 。武士の狭い 「世間 」が成立したのである 。
これまで 「世間 」の研究は 、井原西鶴の浮世草子などにより 、町人のものとしてなされることが一般的であった 。しかし 、町人は 「世間 」に背を向けて利欲や恋愛に生きることが許されたが 、武士にそういう自由はない 。本書で見てきたように 、武士たちこそ細心の注意をはらって 「世間の批判 」を受けないよう行動していたのである 。
言い換えれば武士が構成する 「世間 」の評判こそが 「武士道 」の規定となった 。その武士の 「世間 」は 、他の階級の 「世間 」に比べてはるかに厳しい倫理を要請したのである 。武士は 、武士道に背いたと思われた場合は 、もはや武士社会で生きていくことができない 。武士の 「世間 」が 、厳しい制裁を行うからである 。そういうなかで武士は 、他の階級の者とは比較にならないほど厳しい倫理観を身につけざるをえなかったのである 。
冒頭に掲げた 「サムライはなぜ 、これほど強い精神性がもてたのか ? 」という問いに対する解答は明らかであろう 。個々の武士は 、自らの内面的な倫理観だけでそういう精神性をもちえたのではない 。本書で述べてきたような厳しい 「武士の世間 」があったからである 。強固な意志で自らの行動を律していたと思われる武士こそが 、最も 「世間 」に左右されていたのである 。
武士と世間 なぜ死に急ぐのか 山本博文
西鶴の町人生活を描いた三つの作品(「日本永代蔵」、「世間胸算用」、「西鶴織留」)にみるかぎり、「うき世」は、概して「あの世」(冥土)にたいする「この世」の意としてもちいられている。・・・いっぽう、「世間」の用法はといえば、これもきわめて現世的であった。仏教用語としての「世間」はとっくに姿を消して、すぐれて人間くさい意味をあらわす言葉となっている。「世間」はもっぱら、より町人の日常生活に身近な社会や、状況の意味としてもちいられているのである。
・・・要するに、西鶴が(永代蔵で)いうには、この世にある願いは、人の命をのぞけば、金銀の力でかなわないことはない。夢のような願いはすてて、近道にそれぞれの家業をはげむがよろしい。人のしあわせは、堅実な生活ぶりにある。つねに油断してはならない。ことに「世間」の道徳を第一として、神仏をまつるべきである。これが、わが国の風俗というものだ、ということである。そもそも商売は、町人にとって生涯の仕事であり、親子代々に伝える家業であった。西鶴は、自分と家業との関係において、家業にはげみ、諸事倹約をまもることの必要性を説くいっぽう、<家業>と<世間>との関係において、「世間」の道徳にしたがうことの必要性を説いているのである。
・・・西鶴の作品には、「世間」を道徳基準のよりどころとするような表現がなんと多いことであろうか。たとえば「世間並に夜をふかざす、人よりはやく朝起して、其家の商売をゆだんなく、たとへつかみ取りありとも、家業の外の買置物をする事なかれ」、というふうにである。P60-66
「世間体」の構造 社会心理史への試み 井上忠司 講談社学術文庫 ISBN:406159852X
日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244
江戸時代中期、全国的規模で広汎にビジネス活動を行い、時には海外へも進出していた「近江商人」。
現在もトヨタ、丸紅、伊藤忠、高島屋、日本生命、ワコールなど、近江商人に起源をもつ老舗企業は数多く存在しています。明治維新をはじめ、数多くの激動期を乗り越えてきた「近江商人」の経営手法には、現在に生きる私たちに、少なからぬ「知恵」を授けてくれます。何の資源を持たなかった日本が、ここまでの発展を遂げることができたのは、何よりも「ヒト」という資源の力にあるのではないかと思います。それも誰もが知っている有名人ではなく、目立つこともなく、ただひたむきに努力を重ねた無名の人々による努力の結晶にあるといえるでしょう。このような人々を輩出したそのシステムにこそ、日本の発展の原動力があったといって過言ではないと思います。そして、この日本における人的資源のマネジメントのルーツといえるものは、いまから300年以上も前の時代に誕生した「近江商人」の経営手法の中にあるのです。「三方よし」
これは、「売手よし、買手よし、世間によし」のことを言い表したものです。 商売を行うからには儲からねば意味がありません。そのためにはお客さんにも喜んでもらわなければなりません。ですから、「売手よし、買手よし」は当然のことといえますが、近江商人には、このうえに「世間よし」が加わって「三方よし」となります。これは300年生き続けてきた理念で、近江商人特有のものとなっています。自らの地盤を遠く離れた他国で商売を行う、近江商人においては、他国において尊重されるということが、自らの存在を正当づける根拠にもなりますから、「世間よし」という理念が生まれてきたといわれています。