慈悲エコミーについて「良くある質問」

Q1 慈悲エコノミーは慈悲深いとどう違うの?
Q2 慈悲ってエコノミーなの?
Q3 慈悲エコノミーは贈与交換とどう違うの?
Q4 慈悲エコノミーが世間ってどういうこと?
Q5 慈悲エコノミーの実例ってあるの?




Q1 慈悲エコノミーは慈悲深いとどう違うの?

A それぞれ意味が違います。
 1 日常会話の慈悲深い 例:お代官様、お慈悲を〜
 2 仏教の慈悲 集団で救済を目指す 例:菩薩の慈悲
 3 慈悲エコノミー 正式名:慈悲型贈与交換




Q2 慈悲ってエコノミーなの?

A たとえばカール・ポランニーが言うように、広義の経済活動の贈与交換の一種です。

wiki カール・ポランニー
経済の定義
人間は自分と自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程が経済だとした。また、経済は社会の中に埋め込まれており(Embeddedness)、経済的機能として意識されないことがあると主張した。ポランニーは、「経済的」という言葉の定義について2つをあげる。
1. 実在的な定義。欲求・充足の物質的な手段の提供についての意味。人間とその環境の間の相互作用と、その過程の制度化のふたつのレベルから成る。
2. 形式的な定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。前者の経済過程の制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した。

交換のパターン
経済過程に秩序を与え、社会を統合するパターンとして、互酬、再配分、交換の3つをあげる。互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し。交換は市場における財の移動である。ポランニーは、この3つを運動の方向で表しており、互酬は対称的な2つの配置における財やサービスの運動。再配分は物理的なものや所有権が、中心へ向けて動いたあと、再び中心から社会のメンバーへ向けて運動すること。交換は、システム内の分散した任意の2点間の運動とする。




Q3 慈悲エコノミーは贈与交換とどう違うの?

A 

贈与交換とは、
・自分に身近は人にほど多くを与える。
・受けた相手は負債を感じ、返礼をせざるをえない。
・もし返礼ができないと、権力関係が生じて下となる。
・このために、相手が返せないだけ贈与する、あるいは見栄を張るために多量に贈与(散財)する(ポトラッチ)という権力誇示が行われる。
・贈与返礼関係は小さな信頼の共同体を作りだす。その代わりにその外部を排除し、共同体同士の権力闘争が生まれる。

これに対して、慈悲は贈与交換の乗り越えを目指す、究極的には仏のみが可能な贈与交換といえる。

慈悲
・自分の身近ではない人に多くを与える。仏は生きとし生けるものすべてに等しく。
・受けた相手に返礼を求めない。
・また受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。
・だから与えることで上下の権力関係を生まない。
・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。

自分が財産をもっているとすると、普通は子供や友人などの身近なものへ与えたいものだ。しかし慈悲は、むしろ身近ではない見ず知らずの人々に与える。さらに見ず知らず人から受け取った者は不振に思う。なにか見返りを求められているのでは?あるいはそれを受け取ったあとにお返しをしなければと後ろめたくなる。慈悲では与える者はただ与えるだけではなく、受ける者のそのような気持ちにも配慮して負債を受けないように与える。そして与えることで自己満足に浸らない。




Q4 慈悲エコノミーが世間ってどういうこと?

A たとえば武士なら、江戸初期は、殉死が流行った。自らの死をかけて、家名を守る。ここに死を捧げる。そしてさらには慈悲的に成熟していく。たんに家名という身近な者のためよりも、世間のために死を捧げるようになる。赤穂浪士は、家名、藩のためだけでなく、「世間」のためでもあった。世間は、現代では民主的な「社会(ソサイエティ)」に対して、あまりよい意味で使われないが、明治に「社会(ソサイエティ)」という言葉が使われる前、江戸時代には一つの道徳圏の意味を持った。もともとが仏教用語で「世界」を表したように、慈悲との関係が深い。単に「世間の目を気にする」というような監視ではなく、慈悲を理想とする道徳圏である。

慈悲エコノミー=世間の理想像
・自分の身近ではない人に多くを与える。→「世間よし」の家業
・受けた相手に返礼を求めない。→義理と人情
・受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。→おもてなし
・だから与えることで上下の権力関係を生まない。→武士の仁政
・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。→身内より世間



Q5 慈悲エコノミーの実例ってあるの?

A たとえば、日本人特有の、世間の皆様に謝るという習慣。慈悲エコノミーは世間としていつも働いています。慈悲エコノミーを実際に思想に活用している例に、近江商人の例ある。

日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

江戸時代中期、全国的規模で広汎にビジネス活動を行い、時には海外へも進出していた「近江商人」。現在もトヨタ、丸紅、伊藤忠高島屋日本生命、ワコールなど、近江商人に起源をもつ老舗企業は数多く存在しています。明治維新をはじめ、数多くの激動期を乗り越えてきた「近江商人」の経営手法には、現在に生きる私たちに、少なからぬ「知恵」を授けてくれます。何の資源を持たなかった日本が、ここまでの発展を遂げることができたのは、何よりも「ヒト」という資源の力にあるのではないかと思います。それも誰もが知っている有名人ではなく、目立つこともなく、ただひたむきに努力を重ねた無名の人々による努力の結晶にあるといえるでしょう。このような人々を輩出したそのシステムにこそ、日本の発展の原動力があったといって過言ではないと思います。そして、この日本における人的資源のマネジメントのルーツといえるものは、いまから300年以上も前の時代に誕生した「近江商人」の経営手法の中にあるのです。

三方よし

これは、「売手よし、買手よし、世間によし」のことを言い表したものです。 商売を行うからには儲からねば意味がありません。そのためにはお客さんにも喜んでもらわなければなりません。ですから、「売手よし、買手よし」は当然のことといえますが、近江商人には、このうえに「世間よし」が加わって「三方よし」となります。これは300年生き続けてきた理念で、近江商人特有のものとなっています。自らの地盤を遠く離れた他国で商売を行う、近江商人においては、他国において尊重されるということが、自らの存在を正当づける根拠にもなりますから、「世間よし」という理念が生まれてきたといわれています。
http://www.neo-knowledge.com/column/omisyonin01.html

現代においても、トヨタが慈悲エコノミーを重視するのは変わりません。その心情の表れが、現地を重視する姿勢です。慈悲エコノミーが働いている実例です。

トヨタの企業理念
・内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす
・各国、各地域の文化、慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する

http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/

自動車産業新時代をリードする「トヨタビジネス革命」
「現地現物」は次なるステージへ
設計から生産まで100%現地調達化:地域仕様車の開発

「道がクルマをつくる」というのが、これからのクルマ作りの原点となります 。地域ごとに道路の整備状況や燃料価格、消費者ニーズも異なります。特に成長著しく、変化も激しい新興国で成長を果たすに は、消費者ニーズや道路の整備状況など地域特性を踏まえたクルマ作りが重要です。このたび商品化に 至ったインド市場向けの小型車「エティオス」は、単なるグローバルモデルの流用ではなく、設計段階から 現地調達が可能な素材や現地生産技術に対応した構造・工法としたことで画期的といえます。「良品廉価」 なクルマづくりを目指し、部品の現地調達を徹底し、生産までをすべて現地で完結する地域最適設計を 進め、このノウハウを他の新興国市場や世界各国にも展開する計画です。
https://www.toyota.co.jp/pages/contents/jpn/investors/library/annual/pdf/2010/p06_11.pdf