なぜ日本人は勤勉になったのか

世間は勤勉によって公平に保たれる


日本人の核になっているのが慈悲だ。慈悲とは知らない人に贈り物をすることだ。しかし贈り物は知り合いに対してするもので、知らない人から贈り物をされたら怖くないだろうか。なにか裏があるのでは?と疑う。そこで日本人が発明したのが勤勉だ。

みんなのためになればと懸命に働く。勤勉により知らない人たちに恐れられずに贈り物が出来る。みなが勤勉であれば互いに贈り物が出来て、みなが豊かに幸せになる。勤勉を誇りとし勤勉でない者を恥ずかしいとする、それが世間だ。

世間での勤勉を美徳とする大きな原動力によって、江戸時代、そして近代後も日本人は豊かさを維持してきた。

西洋の平等主義は人権という個人の根源的な平等を目指す。職業はその中の一要素でしがない。江戸時代の士農工商は階級であるとともに、職分の勤勉において対等な立場であった。日本人は明治に輸入された社会という平等の倫理圏の前から、世間という慈悲の倫理圏に生きていると言える。




世間の厳しさ


しかし世間は厳しく、冷たくもある。互いに贈り物をしあう対等な立場だから、安易に人の助けを借りることは恥であり、また安易に人と助けることも相手に恥をかかせることになる。だから弱者であろうとみずから乗り切る根性が強く求められる。

そして失敗は自らの恥だけではなく、世間に恥をかかせることでもあり、世間への謝罪が求められる。そして下手をすれば世間に居場所を失うって、自ら進退を決する。

なぜ明治以降に天皇は日本人の中心になりえたのか。一つの理由は、天皇は勤勉の神的な実践者、みなが手本とすべき存在の位置を占めた。教育勅語はいまも通用する勤勉の教えである。戦後も日本人の勤勉の伝統は変わっていない。勤勉により豊かになり、公平さを保っている。そして厳しく時に冷酷だ。

世界大戦で日本人はなぜあんなにも自己を犠牲にして戦ったのか。西洋人は軍部など階級の上から騙されたとしか考えられない。当時、国民はみな軍人という職分にあり、勤勉であった。勤勉の失敗は自らの恥だけではなく、世間に恥をかかせることでもあり、下手をすれば世間に居場所を失うってしまう。




なぜ日本人は勤勉になったのか


勤勉は世間への責務、恩返しであるが、慈悲においてはむしろ世間への贈り物である。なぜ日本人は世間に贈り物をするのか。慈悲とは仏教の基本である。日本人は仏教徒ではないが、歴史的に仏教の知的体系が日本人を覚醒させて、日本人を作った。

仏教は聖徳太子の時代に伝来し、奈良時代に国教となり、平安時代には貴族により多くの氏寺が作られた。庶民レベルで広まったのは戦国時代から江戸時代で、いまのように全国に何万というお寺が作られた。その理由は葬式仏教の普及だ。

戦国時代に荘園制度が解体し農民による自立した村と家が登場することで、家族を弔う葬式仏教が広まり、村々にお寺が作られた。仏教が身近になることで、慈悲を基本とする自由平等の開放的な教えや、読み書きなどの知識が広がり、それまでの迷信などドクマから開放された。

日本人は仏教から慈悲を学んだ。自己を犠牲にして身近な人から身近ではない人たちまで贈り物をするという崇高な精神性。江戸時代の平安の中で日本人型慈悲、すなわち勤勉を理想する倫理圏として世間が成熟していく。




勤勉と儲け


しかし勤勉の普及は一方で勤勉に働けばそれだけ儲かるという自由な市場の発達と連動していた。江戸時代の税は土地の広さと連動していたが、実際の農民の収入は土地の広さとは連動せず多かった。頑張れば生産性は上がるし、市場経済から収益を得ていた。逆に家ごとに経済的に自立した自営業の農民の問題は自由市場をいかに生き抜くか。

社会保障もないに等しく、変動する物価の知識、情報もなく、農耕による収入は天候などに大きく左右される。破綻すれば土地を失い、村の恥として排除される。現代より厳しく自由市場を生き延びなければならないともいえた。その意味でも勤勉は有用だった。