考える名無しさん 柄谷の単独者というコンセプトは「私」という実存的な問いが「ほかならぬこの」という否定神学的な構造・他者関係へと媒介されることで普遍性へと「飛躍」するという流れになっていて、いわゆる「主体」とは関係ない。むしろ「構造」「歴史…
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