「おたく」の精神史 一九八〇年代論 大塚英志

「おたく」の精神史 一九八〇年代論


第三部 物語消費の時代

受け手は(アニメ)作品の物語の背後に現実と同じ統辞法、秩序から成り立つ「世界」の存在を見てとる。だが送り手の意識は、各エピソード、各場面の中で完結し、つまり表層に描かれたもの以上のものを未だ構築していない。こういう受け手の側の過剰な読みこそが「おたく」の最大の特徴である。虚構の世界を現実世界と同等の統辞で成り立たっているのだと見なす思考と、それを出発点とする想像力のあり方こそが「おたく」表現の本質である。

現実の世界にマルクス主義的な歴史像を描き出すことが困難になった後、その代償として、仮想世界に歴史が求められていく。そういう現実の歴史からの逃走が例えば「ガンダム」から「エヴァンゲリオン」に至る系譜だと記するのは言い過ぎか。・・・「おたく」たちにとって「歴史」とは最初からバーチャルなものであり、虚像の領域に属するものだった。・・・このような現実から切断され、ドラマツルギーによって支配された「歴史」の肥大と、現実における「歴史」の度し難い不在が「おたく」たちをどこに連れて行ったのかは言うまででもない。オウムにおけるサブカルから引用の集積による麻原のSF的「おはなし」としての歴史、細部の整合性が語られる歴史の正統性となる「謎本」的抹消主義に支えられ、しかしその全体像を「物語」に委ねることに無批判な自由主義史観。・・・だが八〇年代に肥大したおたく文化内の「歴史」が九〇年代に入るとフィクションという仮想の現実にとどまり、実体を欠落させた空虚な存在でいられなくなったことは確かである。・・・この、バーチャルな領域にとどまり切れず、容易に「現実」を求めてしまうところに、今、ぼくは日本型「おたく文化」の限界を見る。

宮崎勤の「ビデオ」コレクションを再確認すると、その収集の対象が、すべてマニアが存在し、何を集めればいいかがある程度マニュアル化されている領域をほぼすべて網羅していることに気づく。・・・しかし今日のキャラクターの消費者たちもまた、価値が不在の時代にあってキャラクター商品に付与されたレディメイドの価値を自分たちの意志と錯覚して消費している点であまり変わらないのかもしれない。「物」がマスプロダクツの果ての存在としてしかない消費社会における「私」の困難さとは、コレクションという消費行為に最も端的に現れているのだといえる。そこには意味はやはり不在である。

八〇年代に起きたことをいささか乱暴に一括りのものとして総括することが許されるならば、それは虚構の領域と現実の領域の間に揺らぎが実感されたことであり、・・・「現実」の揺らぎを前にした時、新たな「現実」と「虚像」の境界線をどう線引きし直すか、という境界線探してあったように思う。・・・八〇年代における「おたく」や「新人類」たちの共通感覚としてめばえつつあったのは、自分たちの「現実」がどうやら情報の束のようなものであるとして今やあるらしい、という実感だった・・・体験の多くをメディア体験が占めるに至った世代であるがゆえに実感することが可能だった。・・・その実感とはしかし決して居心地の良いものではなかった。・・・他人事のように論じることができなかったのだ。・・・だからこそぼくたちは「現実」を探さずにはいられなかったのではなかったか。


第四部 九〇年代の中の八〇年代

主体たれ、というこの国の戦後史が禁じた自己実現への欲望を最後まで抑止しようとした「エヴァンゲリオン」の直後に起きた神戸連続児童殺傷事件は、主体をめぐる欲望にとうとうあらがい切れずそれを解き放った点で戦後サブカルチャー史の終着点にあるようにぼくには思える。そして少年のような若者が多数派であるとすれば、消費財としてのサブカルチャーは否応なく主体をめぐる欲望に輪郭を与え、言葉を与える物語を紡ぐ必要に迫られる。


コメント

80年代の暴露本。あれってそういうことだったのかという明快な爽快感!でも違和を感してしまうのはなぜだろう。それは本当に暴露する何かがあったのか。「おたく」はほんとうに存在したのだろうか?

筆者は語りかけてくる。「(80年代を共に生き抜いた)みんな、元気にしているか?」編集者という商売はそういうものなのかな。本の向こうにいる誰かに向かって発信し続ける商売。そこにいるだろうが見えない誰か。そして宮崎勤が現前化してきた。著者にとってまさに彼がその誰かであったのだろう。そして当然著者自身の一部であったわけだ。

ほんとうに「おたく」はいたのだろうか。そもそもその問いが愚問なんだろう。なにが現実で、なにが虚像だろう。「だからこそぼくたちは「現実」を探さずにはいられなかったのではなかったか。」