溢れる余剰 その3 オタクの自己制作性

記号コミュニティ


記号コミュニティは、様々な付加価値商品から、女子高生、「浜崎あゆみ」、「エヴァンゲリオン」などなど社会に中に溢れている。わたしたちは虚像的にこのような複数の記号コミュニティに参加することにより、自己価値を見いだそうとしているのである。これは「オタク思考」であり、現代人は多かれ少なかれ、このようなオタク思考を持っているのではないだろうか。

それでも現代の多くの人が、「私はなんのために生きているのか?」、「自分探し」という焦燥感をいだいている。それは記号コミュニティへの参加は現前化しない他者と記号を介してコミュニティを形成するというとても虚像的なものであるからかもしれないし、社会的コミュニティの価値観と記号コミュニティの価値観の間で葛藤しているかもしれないし、うまく記号コミュニティへ帰属し自己価値を形成することができないためかもしれいない。



消費選択から自己制作へ

このような記号コミュニティの差異化運動を加速させた人々が「オタク」である。彼らは一般的な社会的価値観では、社交性のないマイナスなイメージで考えられがちであるが、彼らはさらに社会的コミュニティから記号コミュニティへの帰属意識を高めているのである。そうすることによって、さらに強い自己価値を記号コミュニティ内の差異化運動に求めているのである。

このような記号コミュニティ内の差異化運動の加速は、社会コミュニティに価値を見いださないという「動物化」傾向であると同時に、記号コミュニティ内部へという自己に埋没し、社会的な自己閉鎖性を生む。しかしこのような社会的な自己閉鎖性は、大量に溢れる情報を遮断し、自分の興味にあるものに集中することができる利点がある。これはとてもクリエイティブな空間を作りだすのである。すなわちこのような差異化運動の加速は、消費を選択することにより自己価値を見いだすことから、シミュラークル(模造品)を作りだすという自己制作へむかっていることを意味する。シミュラークルとは、それが模造品であっても、世界に唯一のものであり、記号コミュニティの中での自己の唯一性、すなわち自己価値を保証するのである。



オタクのダイナミズム

オタクがアニメ、マンガ、コンピュータープログラムなどを指向するのは、このようなシミュラークル(模造品)を創造しやすいとても柔軟な分野であるからである。さらにこのような柔軟な分野とは社会的な価値のダイナミズムが発生しやすい分野である。たとえばマンガ、アニメ、コンピュータプログラムは制作コストが安く、なおかつ娯楽というクリエイティブ性が必要とされる分野であり、だれでも取り組みやすく、多くの人が集まり、ムーブメントとしてのダイナミズムが発生しやすい。そして現在においては、オタクによるアニメであり、ゲームは、世界へ発信され、日本の代表産業に育ちつつある。これはオタクというダイナミズムが世界へ広がり、「オタク」が国際的な記号コミュニティとして広まっていることを意味する。

またオタク思考の自己制作性は、アニメ、ゲームなどだけではない。現代社会の商品価値が、従来の機能的な価値から、イメージ的な付加的価値へ向かう中では、生産はかつての肉体的な労働からソフト的な発想へと移っている。オタク的創造性は社会の多くの分野でこのような商品開発へ展開されているのではないだろうか。

彼らは容易な対価を求めるわけでなく、好きなことに熱中したい、さらには記号コミュニティの中で自己価値を顕示したのである。これはたとえばアメリカのコンピューターオタク、ハッカーなどにも共通することである。世界的に成功したオタクというのが一握りであっても、そのようなオタクという記号コミュニティの自己制作性という差異化運動は、大きな力となり、アニメ、ゲーム、コンピュータ産業を世界的に押し上げているのである。そしてそれは情報化社会の中で自己価値を見いだす先鋭的な方法であるといえる。