なぜ年収一千万円以上が「勝ち組」なのか?

幸せは金?

勝ち負けの境は年収1000万 60代は「勝ち逃げ」気分

人生の勝ち負けを決めるのはやはり経済力−。 人生の「勝ち組意識」を持つ人の割合が、年収1000万円超の高所得者では過半数と、 それ以下の所得層と比べ格段に高いことが、電通リサーチがまとめたインターネット調査で このほど分かった。

調査によると、年収1000万円超で、自分が「勝ち組」と意識している人の割合は約58%。 500万円超−1000万円では30%前後、500万円以下では20%前後にとどまった。 世代別では、既に子育てを終え悠々自適の生活を送っている60代は、男女とも勝ち組意識が強い。 この世代は貯蓄も多い上、十分な年金を受け取れるなど金銭面で余裕があり「勝ち逃げ気分が強い」 (電通消費者研究センター)という。 男女別では、女性で自分を「負け組」と考える割合は「やや負け組」を含めて約1割だったが、男性は2割を超え「負け組意識」が強かった。(共同通信

http://money3.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1083408418

この記事を、2ちゃんのビジネスニュース板で見つけて、大変おもしろいと思ったのだが、今年の5月頃の記事だったんですね。ブログでもそのころ少し盛り上がったみたいで、乗り遅れです。このネタ繋がりでいえば、先週?にTV番組で、全国の(人生経験豊富だろう)お年寄り女性2000人?に、「幸せは金か?、愛か?」に答えてもらうというものがあったが、これもまたおもしろかった。結果は、6:5ぐらいで「金」だったように思います。それぞれの地域ブロックで集計されていたが、結構地域差があり、確か、寒い地域と関西で「金」が多くて、暖かい地域は「愛」が多かったように思います。やっぱり寒い地方の方は、生活の維持にお金がかかるのかなあと思いました。

これらのおもしろさは、科学(的手法)が人類永遠の謎を解き明かした!ということと、その答えが、「幸せは、金だった!」というスクープになっているところでしょう。



統計の罠

統計というのは時に人々の潜在的傾向を示すが、多くにおいて偏向がある。統計は、全体の母数に対して、ある限られた数だけ調査することにより全体の傾向を導き出そうとするわけであるが、ここでは母数に対して、意図なく、ランダムにサンプリングすることが、絶対条件になる。

たとえばTV視聴率は、関東地区約1600万世帯に対して、サンプル数はたったの600世帯であり、その結果から関東地方全体の傾向を導くのである。統計手法としては600世帯で十分ということになるが、問題はランダムに選ばれているかということである。たとえば、ブラブラしている一人暮らし貧乏暮らしの若者の世帯と、安定して定住している家族世帯に分け隔てなく、ランダムに調査機を設置することが出来ているのだろうか。

たとえば、NHKのタレント人気調査などは、はがきを日本全国に無作為に送り、回収する方式であるが、あなたはそのようなはがきが送られてきたら、きちんと送り返すだろうか。めんどくさがりのボクならきっと無視するだろう。真面目に送り返す人にもある種のタイプがあるように思う。机上では、無作為に抽出可能でも、解答が得られる人に偏向があれば、統計値は偏ったものにしかならない。

さらには、家庭教師にしたい芸能人の統計では、菊川礼はベストでも、ワーストでも上位に入る。家庭教師、よい大学、密室、エッチ…みたいな短絡的なイメージから連想する芸能人はそうそういるわけではない。質問そのものに誘導的な、質問者の意図が含まれていたり、質問の言葉のニュアンスでも、解答の傾向は変わってくる。



科学というリアリティ

このような統計手法上の問題はあるが、そのような問題を評価する統計手法もある。さらには反証可能性もある。しかしこれとは別に、問題は、統計の結果としての数字が一人歩きすることにある。そもそも統計手法において得られた結果は、単純なものではなく、様々な要因が絡み合った確率的傾向としてあらわれる。

たとえば「年収と勝ち組」の統計結果も、複雑な傾向として数字はあらわれているはずである。単純に考えれば、年齢が高いほど、年収が高いだろう。そしてサラリーマンで一千万以上といえば、部長クラスに多いとすれば、年齢的にも子供が就職して、生活にゆとりが出てくる時期であったりする。同じ会社で将来1000万もらえるだろう課長クラスでは、まだ会社の中でごたごたが多く、家庭では子供が思春期、受験で金がいるなど、まだおれは勝ち組だと言えるゆとりがない。では、勝ち組と相関係数が高いのは、年齢か、年収か、あるいは年齢と年収の相関関係は?今回の結果の詳細は知らないので、これはあくまで推測であるが、この記事からは「勝ち負けの境は年収1000万」というようなキャッチフレーズのインパクトを狙った単純化を感じてしまう。

ただこのような複雑性の単純化は、でっち上げであるとかいうことではない。理解する(つもりになる)、あるいは誰かに伝えるというこういにおいては、多かれ少なかれ、必ず複雑性の単純化は行われる。それは人の情報処理能力という生理に根ざしている。そして人は複雑な世界を見たいように見、伝えたいように伝えるのである。そしてマスメディアという仕事は、複雑の単純化という人が行う情報処理の労力を肩代わりするというサービスで成り立っているのである。

そしてそこに「神話」が生まれるのである。「幸せは金だった。」「やっぱりな。」と内的に情報処理されたことに人々は安心するのである。「A型は几帳面で、O型は明るい」、「やっぱりな」と同じ構造である。そして現代は、統計も含めた科学(的手法)が、このような神話のリアリティを支えるのに使われる。そして本来複雑すぎる世界のリアリティは共有され、コミュニケーションされているのである。



「勝ち組」記号コミュニティ

そもそも「勝ち組」ってなんだろう?よく考えると意味がわからない。「幸福」とはなにかわからないように。しかし「組」なのだから、一つのコミュニティが想定されている。これは「勝ち」という記号を元にした記号コミュニティであり、かつて「中流」そして「上流」にあこがれたように、あこがれの記号として「勝ち組」という言葉が作られる。

記事は、「年収1000万以上が勝ち組である」と報道しているのでなく、「勝ち組と言う記号は、年収1000万以上である」という神話を作っているのである。「勝ち組」記号コミュニティへのパスポートは、「年収1000万以上」であるというリアリティを作ろうとしてるのである。それは人々の「年収1千万以上はほしいよな。」、あるいはすでに年収1年万もらっている人は、「年収が1千万は勝ち組らしい」という意識によって、支えられていくのである。リアリティとは往々にしてそのように作られているのである。


年収1000万円って、それほどのものでもないですよ・・・ニヤリ( ̄ー ̄)