なぜ「アップルシード」は見ていて気持ち悪いのか?(まなざしのネットワーク その3)

pikarrr2004-11-17


写実性の強度としてのノイズ


アップルシードasin:B0001X9BME。新たな映像体験ということで、まるで実写のように臨場感でアニメキャラクターが動くというよな感じだろうか。しかしそれでも生理的な気持ち悪さが残ってしまう。そこにあるのは「リアル」さとはなんだろう、ということではないだろうか。


マンガあるいはアニメには、ドラえもんのような子供向けの絵から、ゴルゴ13のような劇画調の絵まである。ここには「写実性の強度」の差異がある。昔、出前一丁の出前持ちの少年がいきなり劇画調になって叫ぶというおもしろCMがあったが、あれなどは、簡潔なマンガ絵から劇画調のマンガ絵まで連続性で繋がっていることを示している。

われわれは日常、目に映る視覚情報の中から、重み付けをおこない、組織だった意味あるシーンとして経験する。これをゴフマンは「フレーム」と呼んだ。そして意味されない情報は「ノイズ」として排除される。これは「実写」を見ることと同じである。何をどのように写すかという作り手のフレームの提示はあるが、画面に映るすべては同じ密度の情報として提示されおり、人はそこから作り手の意図を読みとり、物語として組み立る。そして「実写」のほとんどは、「ノイズ」として排除される。

簡潔なマンガ絵から劇画調のマンガ絵までの「写実性の強度」はこのノイズ量が決めているのではないだろうか。たとえば、ある人物像の口元にちょっと皺を書くと年を取っているように見える。マンガにはこのようないかに少ない情報量で意味を使えるか、工夫がなされている。しかし劇画はそこにノイズを増やしていく、顔の皺を細かく書き込む。眉の形を丁寧に書き込む。また背景に物語そのものもに重要でない風景を細かく書き込む。そのようなノイズが、マンガの「写実性の強度」を増すのである。




CGのリアリティ


マンガは基本的に線で描かれるのが、CGのデジタル量としてのノイズの付加は、「質感」というマンガと異なる「写実性の強度」の増し方を実現した。たとえば、出前一丁の出前持ちの少年のノイズ量をふやし、劇画調にすることと、CGによってノイズ量を増やしトイストーリー」のような絵では全然異なった「写実性の強度」の増やし方である。

マンガはノイズを増やし、劇画にしても、「実写」へは繋がらない。どこまで行っても写実的なマンガでしかない。しかしこのようなCG的なノイズ量の増加は、実写とマンガの間にあった断絶を、連続性でつないごうとしている。いまや通常の映画、ドラマにおいても、CGが使われているが、それはもはやどこに使われているか、わからないのである。

ならば、マトリックスキャシャーンの実写と、トイストーリー」イノセンスアップルシードのようなアニメは連続性でつながるのだろうか。それらの中に描かれるもの、たとえば車や建物などはもはや連続性で繋がっていると言えるだろう。どこまでノイズ量を増やすかの問題に還元されている。




アップルシードのリアリティ


アップルシードの特徴は、「全編CGの“3Dライブアニメ”として、CGならではのスピード感とモーションキャプチャーゆえの“間”のある演技、そしてセルアニメゆずりの豊かな表情を実現した。」ということである。確かにCGによる3Dは臨場感がある。

またモーションキャプチャーは、いままでにない「写実の強度」を上げることに成功している。いままでのアニメの動作には全く無駄がない。必要なところでしか動かない。しかし実際、人の動きは止まることがなく、絶えず体は揺れている。モーションキャプチャーを使うことによって、この人の無駄な体の揺れというノイズを混入させ、写実性の強度を上げている。

それでもアップルシードを見て気持ち悪いのは、「顔」なのである。それは顔以外の写実性の強度がいままでになく、向上しているために、なおさら「顔」のノイズの少なさが強調され、単なる仮面にしかみえず、気持ちが悪いのである。




「顔」による「写実性の強度」の断絶


「顔」による「写実性の強度」の断絶は、現代のCG技術では、「顔」にリアリティを持たせるほどにノイズを混入させるだけのコンピュータの情報処理能力が足りないということではない。そうではなくて、主人公女兵士デュナン・ナッツの顔はこのマンガ顔が、もっとも「リアル」な彼女の「顔」なのである。

「顔」のリアリティは、「写実性の強度」によるノイズ量に還元されないのである。このような特徴は「顔」特有である。たとえば指、足、胸などなどは、ノイズを増やして、「写実的な強度」を増すことによってリアルになる。そこに、その他のものとは異なる、「顔」の特別性がある。




「顔は固有名である。」


「顔」の特別性は様々に指摘されているが、レヴィナス「顔は固有名である。」と言った。たとえばアリストテレスという固有名は、プラトンの弟子」「自然学の著者」アレクサンダー大王の師」云々といった諸性質での集合に還元できない。アリストテレスは実はアレクサンダー大王を教えてなかった」という新事実が判明しても、自己矛盾を起こことなく、固有名であり続ける。クリプキはいかなる言語的定義によっても汲み尽くせない「力」が宿っているといった。

またジジェクは、固有名は対象aであるといった。象徴界を構成するシニフィアンの循環運動は不完全であり、結果としてシニフィエ(言語意味)なきシニフィアン(言語記述)が存在する。固有名はそのような「特権的シニフィアンとして機能するということである。*1*2

ボクの考えもジジェクに近いかもしれない。たとえば犬が「ポチ」と名付けられたときに、「代わりがいくられもいる犬」から、「他にはどこにもいない唯一の「犬」として承認されるのである。それは「他者」からまなざしを受けた者として、「まなざしのネットワーク」に帰属することを意味する。すなわち「他者」となることを意味する。そして「他者」とは、私がなにものであるかを承認するものであり、私にとって特別な存在なのである。





「顔」という規律型リアリティとCGという環境型リアリティ

フーコーが指摘するように、権力が「正しさ」を作ると言う意味では、デュナンの「顔」のリアリティは、「写実性の強度」ではなく、フーコーの言うところの「まなざしのネットワーク」としての規律的な「正しさ」に支えられているのである。だから最初に書かれたマンガとしての「顔」という承認によって、ディナンの固有性を支えているのである。

そして、「写実性の強度」としてのCG的なリアリティは、環境管理的な「正しさ」に対応しているのではないだろうか。多量な情報の処理が、生理的に「リアルである」という世界を作るのである。*3

規律訓練型社会から環境管理型社会へ

規律訓練型権力・・・ひとりひとりの内面に規範=規律を植えつける権力、価値観の共有を基礎原理にしている。

環境管理型権力・・・人の行動を物理的に制限する権力、多様な価値観の共存を認めている。ネットワークやユビキタス・コンピューティングは、よく言えば、多様な価値観を共存させる多文化でポストモダンなシステム。しかし悪く言えば、家畜を管理するみたいに人間を管理するシステムでもある。

自由を考える 9・11以降の現在思想 東浩紀大澤真幸(2003)」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040515

すなわち「アップルシード」の気持ち悪さは、規律型リアリティと環境型リアリティのバランスの悪さにあるのだ。




リアリティとはなにか?


現在の映像メディアがリアリティ確保のために、CG技術の活用に向かっていることは、環境型リアリティ重視へ向かっているということである。それは現代の権力が、環境管理型権力に向かっていることと同じ理由だろう。情報化テクノロジーの発展が、規律型の「正しさ」を曖昧にし、安価に環境型の「正しさ」を作成しえるようになっているからである。

しかしそれだからこそむしろ、「顔」のような規範的リアリティが重要になるのかもしれない。たとえばファイナルファンタジーの失敗の要因の一つは、規範的リアリティの欠如、「顔」が無いことによるのではないだろうか。「文脈病」ISBN:4791758714、絵画の顔の固有性について考察している。マンガはキャラクターがかわっても、同じ作者が書いた顔はわかる。それはマンガの顔に作者の顔が刻印されている。それは作者の署名である。しかしCGなどでは、共同作業として作成されるために、個性が生まれにくいという。

仮にアニメ、CG、実写が、ノイズの処理による写実性の強度という連続性に還元され、環境型リアリティが重視されたとしても、規律型リアリティによるまなざしとしての「顔」がある限り、アニメはアニメ、CGはCG、実写は実写という異なる表現手段としてあり続けるだろう。そして規律型リアリティと環境型リアリティのバランスにおいて、リアリティとはなんであるかは、試行錯誤され続けるだろう。


ボクですか、最近アニメもコンピュータでつくられるようになって、かつてのセル画の手作りみたいなノイズが失われて、なんか暖かみが減ったな〜と思うのはボクだけ?

*1:アウラな世界 その7 正義論3 ラカンデリダアウラ論?http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040527

*2:アウラな世界 その8 正義論3 アウラ脱構築http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040528

*3:「エロティシズムはなぜ強者なのか? (まなざしのネットワーク その2)」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041116#p1