なぜクリスマスイブは「聖なる夜」なのか? 

pikarrr2004-12-25



クリスマスイブは一年で一番「手紙が必ず届く」


24日は、クリスマスイブということで、ボクの彼女と映画僕の彼女を紹介しますを見てきました。ベタといえば、ベタなんですが、韓流はやっぱおもしろいですね。(ラカンが言うところの)「手紙は必ず届く」を越えて、「何が何でも手紙を必ず届ける」(=奇跡的、運命的)ぐらいの勢いがあります。細かい映画評をいえば、前作の猟奇的な彼女に比べて、作りが粗いとか、主演のチョン・ジヒョンのアイドル映画になっているとか、いろいろありますが、それでもその大味のベタさに、彼女はぼろ泣きで、ボクも不覚にも?ウルウルと来てしまいました。

クリスマスイブとは一年で一番「手紙が必ず届く」日ではないでしょうか。それ故に、映画「ボクの彼女を紹介します」を見ることにしたということもあります。一年で一番「手紙が必ず届く」日に、「手紙は必ず届く」映画を見る。そして、少し高いブレンド品という剰余価値の高い、すなわち「手紙は必ず届く」プレゼントを贈る。このべたさが許される日=「手紙は必ず届く」日ではないでしょうか。そしてクリスマスイブのラブラブは「手紙は必ず届く」、盛り上がるということです。

誰ももはや神など信じていない。しかしクリスマスという「聖なる夜」は盛り上がる。街はクリスマスソングに溢れ、ネオンに溢れる。そして、イブの夜など、街で一人で歩いていても、なにか後ろめたさを感じてしまします。イブの夜に一人コンビニ弁当を買いに行くなど、なかなか勇気がいる行為です。そこには、「クリスマスイブの夜なのに、一緒にいる相手のいない寂しいヤツ」という「まなざし」に溢れています。それは主体に内在したもの、自意識過剰的なまなざしです。




クリスマスなんて大嫌い


「クリスマスなんて」ということはいくらでも言えます。「クリスチャンでもないだろう。」「メーカーの消費欲をかきたてる戦略だよ。」などなど、しかしどのような言説も、「クリスマス」を否定することはできないでしょう。「クリスマス」という内在する「まなざし」を否定するだけの力はありません。それは、神性の捏造=「手紙は必ず届く」ことに、宗教的な神への信仰など必要なく、人は根元的に大いなる他者を内在しているのです。そして人が人であるということに根ざしている故に、どのような言説も無力なのです。「クリスマスイブ」は、年間でもっとも「聖なる」夜であり、「手紙は必ず届く」日であり、「まなざし」な日です。

最近、ネットで仲間を集めて、自殺する人々=「自殺クラブ(仮称)」が話題になっていますが、彼らは簡易的にも「まなざし」の場を作り出さないと、私でありえず、死ぬこともできないといえるかもしれません。そのような現代であるが故に、幸福にしろ、孤独にしろ、「まなざし」が過剰なクリスマスイブは必要とされるのかもしれません。そしてそれは必ずしもクリスマスイブである必要はまったくなく、たとえば好きなアーティストのコンサートに行く日でもよいですが、多かれ少なかれ人は「聖なる日」(すなわち毎日の中のただの一日が、特別な日となる)を楽しむことによって、私であることを維持するのではないでしょうか。


ボクですか・・・それにしても、「手紙を届ける」にもお金がかかります・・・