なぜオタク系はモテないのか。

pikarrr2005-07-03

「本音」という虚構


たとえば、上司が部下に「〜の資料を、今日中に用意しろ」と言い、部下が「わかりました。」言ったとする。このような会話において、たとえば部下は「また雑用か、少し前に意見してから、わざと雑用ばかり押しつけてるな。嫌なヤツだ。」とメタレベルの意味=上司の「本音」を読む。しかしそれは口にされることはないだろう。このような関係は会社の規定であるというだけでなく、「まなざし」の共有によって、社会的な儀礼として拘束されている。

しかし上司はそのような他意はなく、たまたま時期的にそのような仕事が多い時期なのかもしれない。あるいは部下に実力を付けるために、あえて地味な仕事を回しているのかもしれない。このように「本音」はそれが、上司の「本音」を的確に捉えているわけではない、だけではなく、部下も自分自身の「本音」を的確に捉えているわけではない。




恋愛場とネット上


かつて東京大学物語というマンガがあった。東京大学を目指す成績優秀な高校生村上が、ハルカのことを好きになり、天然で深読みする必要がないはずのハルカの「本音」を読もうとするが、頭が良すぎるために、メタのメタのメタと「意味の宙づり」になる。マンガのコマに、そのような読みが内心の台詞が大量に書かれることが、一つの面白さだった。

恋愛場は、過剰に相手の「本音」を知ろうとする故に、誰でも「意味の宙づり」に陥る場である。相手のちょっとした言葉、動作に過剰に意味を読み込もうとする。それが恋愛ゲームの楽しさであり、「恋の駆け引き」である。

ネットコミュニケーションも、ある意味でこれに近い状態があるのではないだろうか。相手に恋をするわけではないが、他者の情報が決定的に欠落する環境故に、相手の「本音」を読み込もうとするが、意味の宙づりにならざる終えない。そして2ちゃんねるは、まさに東京大学物語の世界であり、その内心の台詞が掲示板上に、「本音」として暴露され続ける。たとえば、イラク人質事件のとき、実社会では、社会的な儀礼によって、口にしないような、「本音」が次々暴露されていく。「なんかできすぎで、自作自演じゃないのか?」「なんか気持ち悪いタイプだな。」そしてその「本音」とは、どこにも根拠を持たない、妄想の羅列であるだけではなく、意図的に「本音」のふりを、受けを狙ったネタである。さらには「祭り」においては、参加することだけが快楽となり、「虚構」が増幅される。




オタク系コミュニケーション


ボクは、ネットコミュニケーションの有効な方法の一つとして、シニカルな2ちゃんねるスタイル」とともに、「データーベーススタイル」、いわば、オタク系コミュニケーションを上げた。*1オタクとは、ある領域のテクニカルな内容をより細部に向けて、データーベース化して、その共有によって、コミュニケーションを行う。すなわち事実の収集と、それを知っている、知っていない、さらには自分は好きか、嫌いかによるコミュニケーションである。この方法の特徴は、他者の「本音」というようなメタの読みは排除される、ということである。

これは、「まなざし」の共有による社会的な儀礼の拘束から、離脱する方法であるとともに、ポストモダン社会において、「まなざし」の共有が希薄化する中で、相手の「本音」を読み込もうとする「意味の宙づり」に陥らない、より確実なコミュニケーションを目指す方法であると言える。

オタク系のアイデンティティは、どれだけ他者の知らないことを知っているのか、というような知識の細部によって決定される。このような傾向は、メタが俯瞰という上昇であるとすれば、深化という降下であり、メタがないベタである。そして現代では誰もが、オタク傾向を持っている。




メタな女性とベタなオタク系


東京大学物語は、知識偏重なオタク系少年が、ベタなオタク系の深化としてアイデンティティを保持している分には、ある意味で自己完結的な、強度(プライド)を持ち得ているのに対して、恋愛という強制的な他者と関係の構築に巻き込まれたときに、とたんに不慣れな「意味の宙づり」によって、メタメタメタと、混乱する姿が共感を呼んだのではないだろうか。

これは、オタク系が、他者との関係に巻き込まれた場合に、「意味の宙づり」に陥りやすく、虚構へと転落しやすいことを表している。そして恋愛を典型として、親子関係など、他者との関係から逃れることはできない。最近頻発している、友人、親などを殺害する少年の事件と、逃げられない他者との関係性によって、「意味の宙づり」から内的な虚構に陥ることをつなげるのは強引すぎるだろうか。

多くのおいて、「女性は、メタに敏感である。」それは男性社会において、他者に依存する必要から、他者との関係を重視して、顔色を読むことが求められるためである。そしてオタク系がもてないのは、オタク系のベタと、女性のメタとのギャップにあるように思う。すなわち、メタに敏感な女性によって、ベタな男性は、「恋の駆け引き」を楽しむには、退屈なのである。




キモかわいいオタク系は癒し系?


しかしこのような「メタな女性とベタなオタク系」像は古いのだろうか。女性もオタク化していると言える。現在、映画電車男が公開され、大ヒットしている*2が、思いの外、若い女性が見に行っているということを聞いた。ボクは、オタク系のベタさが、メタを強いられる女性への「癒し」になっているのではないか、それがまた最近の「キモかわいい」ブームなのではないか、と思ったりしているのだが・・・

*1:「なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか? 下」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050629

*2:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050618-00000040-kyodo-ent