なぜ最近の男性は「彼女依存」なのか

pikarrr2006-05-23

男性の「彼女依存」

TVでスポーツコーチ言っていましたが、昔は女性スポーツ選手は男性ができると競技に身が入らなくなるのでつきあいを禁止されたが、最近の女性は練習の糧になるぐらいで、むしろ男性の方が女々しいというようなことを言っていました。

昔は家を守るということで子供は男の子が望まれましたが、最近は女の子が望まれるようです。

最近は恋人が別れるときには男性の方が泣いてすがるらしいです。

最近は熟年離婚が流行りで男が定年すると女性から離婚を言い渡されるので、男性は戦々恐々である、というようなことを言われます。

こういうのは一括りとして男は弱くなり、女は強くなったというのでしょうが、かく言うボクも彼女にはデレデレで、別れるなどと言われると泣いてしまうかもしれません(笑)

なぜにこれほど男性が弱くなったのか。男尊女卑という近代システムが解体しているということでしょう。古くは道徳としての男尊女卑であり、「男子たるもの」と社会秩序が支えていました。その後は仕事です。男は仕事が一番で、家庭を守る。それによって家庭が養われる。高度成長期などみなが豊かさを目指していた。そしてまだ男性にとってやりがいがある「楽しい」仕事が溢れていた。

いまでもまだ男性は古い「男子たるもの」を背負っています。そして社会の中で闘うことを求めら、秩序に絡め取られ、不器用に立ち回っています。ひきこもりが男性に多いのはそのようなことからかもしれません。

仕事によって支えられる立場はあやふやなものとなり、別に自分を支えるものが必要とされています。多くにおいてはオタク傾向のように細分化された消費コミュニティへの帰属によって、アイデンティティは支えられていますが、一度彼女ができると、デレデレとパートナーとしての女性に「依存する」ことも増えているのではないでしょうか。




涼宮ハルヒの憂鬱の自虐性


涼宮ハルヒの憂鬱がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンは現代の複雑なコンテクストの前で立ちすくむ(空気を読み考えすぎて行動に移せない)現代男性の象徴ではないでしょうか。ハルヒは(空気を読まずに)コンテクストを突き破り、設定としては世界さえも創造する「女神」の象徴です。そしてまさにその「女神」が指差したのがキョンであることで、セカイ系的にキョンは自己承認されています。

それは、彼女が特別は人(女神)であることで、その特別な人に承認された私は、特別であるという構造によって、自己を維持せざるおえない現代の男性像であるのかもしれません。これは先の、「彼女ができると、パートナーとしての女性に「依存する」こと」に繋がります。

しかしこのような設定は最終兵器彼女しかり、アニメではとくに目新しくはないです。涼宮ハルヒの憂鬱が人気が出たのは、最近のセカイ系の(アイロニカルな)パロディではないでしょうか。様々なキャラ、設定が意図的に組み合わさり、高度なアイロニー(ユーモア)を形成している。

セカイ系そのもののパロティであるとともに、そこには、セカイ系の構造でしか自己承認せざるおえない女々しい自己投影された男性を、自ら冷めた目で見て笑うという自虐的行為であるのかもしれません。

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