なぜ仕事はおもしろいのか

pikarrr2006-11-10

「プロフェッショナル 仕事の流儀」


NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」http://www.nhk.or.jp/professional/index3.html)で、サントリーウイスキーブレンダーの話を見ましたが、すごかったですね。0.1%のブレンドの味を見分けて、商品を作り込んでいく。

ウイスキーは、大麦などの穀物に水を加えて発酵させ、蒸留させることで生まれる。できたてのウイスキーは、実は無色透明な液体だ。その原酒を長いものでは30年以上、木の樽(たる)で寝かせると、琥珀(こはく)色のウイスキー原酒に変化する。長い年月の間に、樽材や気温などの違いによって、ウイスキーは味や香りを変えるのだが、このままではクセが強すぎるため、ほとんどはそのままでは飲めるモノではない。そのウイスキー原酒を、時には40種類近く組み合わせ、味わい深い極上の逸品に仕上げるのがウイスキーブレンダーだ。

輿水は、常に一定な男だ。昼食はいつも天ぷらうどん。うがいも欠かさず、風邪も最近、いつひいたか、記憶がないほどだ。さらに、輿水の部下によれば、「怒ったところを見たことがない」というほど穏やかな性格。ウイスキーの香味は数字では計りきれないため、ブレンダー自らが常に一定の「ものさし」になって、判断を下さねばならないからなのだ。


「プロフェッショナル 仕事の流儀」  ウイスキーブレンダー 輿水精一
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/061109/index.html

プロとはあのようなものなのでしょう。毎日、細心の注意で体調を一定に保つ。先鋭化された精密機械であるとともに、強い自信、信念を感じました。サントリーの中でただひとりのブレンダーマスターで、単なる機械でなく、売れる商品を作り出すために最後の商品評価者であり、組織の大切な役目、責任を背負っている。そこに強いアイデンティティを見いだしているのでしょう。ある意味でひとつの最高のエクスタシーの在り方ではないでしょうか。




代替容易な労働機械と代替不可能な精密機械


産業革命以降、労働がギルド的職人から合理化、標準化されることで、誰でもよい代替容易なものになりました。

最近は中国でも、工場ライン仕事で技術熟練が評価され、賃金がかわりますが、いまの日本の下流層の代表的な仕事であるコンビニのバイトなどは、さらに合理化、標準化が徹底されています。このための工場ライン仕事よりさらに代替可能性があがっています。

このような代替容易なマニュアル化さる労働機械化と、社内でも唯一、世界的にも限られた代替不可能な精密機械化としてのプロフェッショナル。同じ機械でもこの対比はおもしろいですね。




「無垢」を求めて漂流する現代人


このような代替不可能性において、仕事は楽しいのでしょう。特に高度成長期において、まだ社会に未開拓領域が溢れ、多く労働者に「無垢」が分配されていました。誰もがその分野では開拓者として代替困難な存在でありえました。労働者の多くはこのような「快楽」によって仕事に生き甲斐を見いだすことができたのでしょう。

このような仕事の楽しさは現在でも変わっていないと思います。しかし高度成長期を経過し、成熟した社会では、未開拓領域が減少し、多くの労働者に先駆者の反復を強いられています。また情報化社会では、新たな開拓もすぐに反復され、陳腐化し、さらに代替不可能性を見いだすことが難しくなっています。

そして仕事に「無垢」を見いだせない現代人は、仕事は生活の糧をえるために割り切り、あえて代替容易なフリーター化し、オタクなど趣味の部分などに「無垢」を求めて漂流しています。




労働する動物


しかし仕事以外にあれほどの強烈な「まなざし」を感じることが他にあるでしょうか。マルクスにおいても労働が特別であったように、人は社会的な動物であるとともに、労働する動物であると言えます。その意味は動物のように自然に対して労働しなければ、日々の糧もえられず生存できないという意味とともに、もっとも社会的な快楽(「まなざしの快楽」)という人間的充実をえる方法が仕事だからではないでしょうか。