なぜ仕事はおもしろいのか その3

pikarrr2006-11-13

プロフェッショナルへのあこがれと違和感


「なぜ仕事はおもしろいのか その2」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20061112のようにレスをいただき気が付いたのは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見て感じたブレンダーの方への入り交じった複雑な気持ちです。プロフェッショナルとして強い誇りをもてるうらやましさに対して、会社の一部の機能(精密機械)となることへの違和感です。




「空気を読むことに失敗した者」が排除される


一部になることに不快を感じるのは、情報化社会では立ち止まることの怖さがあるからではないでしょうか。情報化によってボクたちはとても俯瞰した視線を手に入れました。いまセカイでなにが起こっているのか、たえず高いところから見ることができます。国民総評論家化です。

アイロニカル(そしてシニカル)であるのは、現代を生き抜くための術です。目の前の情報をただ信じることは危険です。めまぐるしく変化する状況を理解し、「空気を読み」つづける。しかしこのような状況は強迫的になっているとも言えます。たえず空気を読み続けなければならない。

ボクは現代の「いじめ問題」もここに繋がるのではと考えています。現代の集団の中には「空気を読め」というアイロニカル(シニカル)であるように強迫的です。そして「空気を読むことに失敗した者」は排除さ(いじめら)れます。




オタクと会社人間とプロフェッショナル


しかし地に足につけず、俯瞰する客観的な姿勢では、いつまでも自らを見いだすことができません。その反動によって、現代人は誰もがどこかオタク化し、ある局所へ没入しています。

このようなある局所的な一部に対して、深い知識を身につけ、クリエイティブに掘り下げていく傾向において、オタク化とプロフェッショナルは、とても似ています。しかし大きく異なるのは、オタクとは自らの興味のある一部に没入するのに対して、プロフェッショナルは仕事として、あくまで社会の一部としてです。オタク化は、自分の世界に籠もりことで、俯瞰できる世界を小さくし、全能感を保持しているといえます。

このような状況が映画交渉人 真下正義(ASIN:B000B5M7T6)では描かれていました。「真下」はオタク傾向であっても、社会との一部としてあることを維持するプロフェッショナルであったということです。

また今回の交渉人 真下正義の場合も、鉄道マンたちであり、線引き屋であり、木島刑事であり、頑固な「プロフェッショナル」がキーになります。「真下」は、オタク犯人に、名指しされ挑戦されることから、鉄道マンたちから「お前達の遊びに振り回されたく」いわれます。しかし事件が進むうちに、頑固な「プロフェッショナル」たちが、「真下」を仲間として認めていくのは、彼はオタクなどではなく、「プロフェッショナル」であったことを認められるからです。

「プロフェッショナル」とは、警察官僚のような会社人間とは違います。組織への忠誠よりも、自分の仕事にプライドを持ちます。また自分の分野に固執するオタク傾向ですが、犯人達のように自己満足に埋没することなく、社会正義を重視します。またかつての職人との異なるのは、仕事だけでは生きていけないことをしり、社会生活であり、家庭も大切にする「普通の人」です。閉じた組織内のまなざしよりも、より大きい社会的なまなざしに開かれているという、現代的な一つの倫理的な主体像として描かれています


「プロフェッショナル」はなぜカッコいいのか?」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050530

交渉人 真下正義で示されたのは、「踊る大走査線」シリーズ全般に通じる価値観ですが、自分の趣向に没入する「オタク」へ批判とともに、現代においては、会社価値に没入する「会社人間」的なプロフェッショナルへの批判です。「普通の人」であるバランスが持ち続けること、強迫的な過度の没入への警告です。仕事においても、趣味においても強烈な「まなざし」を求めることを抑制する。現代はこのようなとても難しいバランスを求められています。