なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか

pikarrr2007-01-04

「プロシューマー(生産消費者)」と非金銭経済



「BS特集 未来への提言スペシャル 未来学者 アルビン・トフラー “知の巨人”との対話」を見ました。トフラーの「富の未来」ASIN:4062134527)はまだ読んでいないのですが、番組の中で「プロシューマー(生産消費者)」というのはおもしろと思いました。「プロシューマー(生産消費者)」とは、ボランティア、趣味で畑仕事、日曜大工をする人、最近では、ネットの群衆知など、DIY(Do It Yourself)型で自分で自分のために労働する人々です。

最近のWeb2.0や、グーグル化の議論はネットに生まれた群衆知をいかにお金にかえるシステムをつくるのか、ということですが、「プロシューマー(生産消費者)」という概念の射程の大きさは、このような従来の金銭経済と並行して非金銭経済という新たな潮流が生まれている。「金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満たしている。この二つの経済、金銭経済と非金銭経済を組み合わせたものが、「富の体制」である。」ということです。

なにかマルクス的ですが、トフラーはこれによって資本主義から社会主義へ移行するということではなく、このようなパラダイムシフトは現在の資本主義によって到来した情報社会によって可能になり、「非金銭経済での活動が金銭経済に与える影響は、ますます大きくなっていく。」ということです。




貨幣交換/贈与互酬


現代は「貨幣等価交換」を基本にした資本主義社会です。貨幣交換とは、100円のハンバーガーは消費者が大人だろうか、子供だろうが、知り合いだろうが、貧乏人だろうが、100円と交換するという等価交換が成立する経済です。

それとは別の交換様式に「贈与互酬」があります。たとえば家族内でのやり取りには貨幣がともないません。親は子に経済的に贈与し続けますが、それは必ずしも将来に返礼を求めているわけではありません。いわば、子はさらにその子に贈与することが望まれます。

たとえば先輩が後輩に食事代をおごる場合も贈与互酬です。贈与の特徴はそこに負債感がうまれることです。後輩はおごられることで負債感をもちます。だからといって、先輩に返礼してはいけません。負債を持ち続けることが礼儀です。後輩はそのまた後輩におごることで、負債を受け渡していきます。それによって秩序としての文化が伝わっていきます。

贈与互酬は、非金銭経済であり、卑近で密接な人間関係(コミュニティ)を構築します。それ故に贈与的な関係の規模は小さなものになります。それに対して、貨幣交換は相手を選ばない故に、産業革命以降からも短い間に、金銭経済という地球規模のフラットな世界を作ることが可能になりました。

突然、地球の裏側にいって他者との親密な関係を結ぶことはむずかしくても、現代のグローバリズムではお金さえあれば、親切なサービスを受けることができます。そして金銭経済の発展の過程の中で、非金銭経済による小さなコミュニティは解体されてきました。




純粋交換は存在しない

たとえば市場(いちば)などへ行くとその場で値引き交渉が行われる。それは買い手と売り手が単に等価交換だけでなく、想像的な関係を構築する。それが進めば、常連さんとして安い値段で取り引きできたりする。

あるいは商品のブランド力は、生産側と消費者の信頼関係であるとともに、想像関係で成り立っている。「あのブランドがお気に入り」というのはブランドへの思い入れである。なぜ同じようなバックで高価なブランド品を買うのかは、ブランド品を持つことで、ブランドとの想像関係を結んだ人となることが出来るからだ。そしてブランドがイメージチェンジし気にくわなかれば、せっかくいままで買ってきたのにと、恩にきせる(負債感を盾にする)。


なぜ贈与は暴力なのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060711#p1

しかしまた「純粋な貨幣交換」は存在しないでしょう。たとえば市場(いちば)での値段にはディスカウント(値引き)などの交渉の余地があります。ディスカウントは購買者に小さな贈与を行うことで小さな負債を与えます。そして小さな贈与によって、「常連さん」のような長期的な関係性を構築します。

また消費者はただ安いだけでなく、思い入れがある、信頼したメーカーの商品を買います。最近ではブランド戦略などと言われますが、メーカー側の長期的な消費関係を考慮し、製品品質や販売価格は構築されています。このように貨幣交換においても、他者との信頼関係は作動しています。

ライブドアは株を分割することで企業価値をあげるというビジネスモデルで成長した虚業と言われます。しかし株を分割することそのものは、一株の値段を下げ、より多くの人に株を提供するということで、悪いことではありません。そして本来、株分割だけで株価が上がることは無いはずですが、ライブドアの場合株が競って買われ、大幅に企業価値が上昇しました。

だからライブドアショック後に、損をした人々の不平は損をしたと言うことはもちろんですが、ホリエモンに裏切られたという言葉が多く聞かれました。分割による株価上昇という不思議な現象は将来性などの分析以上に、ホリエモンへの思い入れ信頼の面が大きかった。ホリエモンの様々なパフォーマンスは、小さな負債の発生による貨幣交換を越えた信頼関係を演出し、この不思議なビジネスモデルはなりたっていたということではないでしょうか。

だから交通様式は、次のように「他者」との関係性としても考えることができます。

贈与互酬(非金銭経済)・・・身近な他者との現前的な関係性。強い信頼関係

貨幣交換(金銭経済)・・・メーカーと消費者の弱い贈与関係、信頼関係。(企業ブランド)

純粋貨幣交換・・・そのときの等価交換だけの関係。他者との信頼関係消失。




歴史の終わりと他者の消失


金銭経済における消費社会は、消費者とメーカー(他者)との関係というだけではありません。消費者社会における重要な作動原理は、「いまの流行り(他者が求めているもの)は、これだ!」です。消費者は大きなメディアを介してその向こうにいるだろう他の消費者を見ます。

大きなメディアは情報発信の中心にいて消費者に分け与えるという特権的な立場に立ち、商品を中心にした中央集権的コミュニティを形成します。そして貨幣はこのコミュニティへ参加するためのチケットとしての商品を買うために使われます。このように貨幣交換においても他者は作動しますが、その関係を希薄化します。

戦後のアメリカ型消費社会を見たコジェーブは、物質的豊かさに人々が埋没し充足するという動物化によって、「歴史は終わる」といいました。このような議論の先に資本主義を支えたリベラリズムの勝利宣言であるフランシス・フクヤマ「歴史の終わり」(ASIN:4837956564)があります。

さらに動物化するポストモダンASIN:4061495755)で東浩紀は、このコジェーブの議論をつなぎ、オタクはアニメや、ゲームなどの刺激によって充足し動物化していると、「歴史の終わり」を継承しています。これら動物化論は他者が消失し、商品に満たされる中で自己充足するということです。




貨幣交換から情報贈与へ


ネットの大きな特徴の一つは、擬似的にあっても大きなメディアを通すことなく、他者を再現前化させたことです。いまも大きなメディアは特権的な立場にいますが、「いまの流行り(他者が求めているもの)は、これだ!」といったときに、ボクたちはすぐにネットにアクセスし、他者にその真意を確かめることができます。

直接、他者とコミュニケーションが可能になることで、もはや大きなメディアによる中央集権に依存する必要はなくなります。直接他者とコミュニティを形成する場では、アクセスすること(情報)が参加のためのチケットとなり、大きなメディアは今後も人々を結びつける有用な手段であり続けるでしょうが、商品そして貨幣は繋がるための補助的なものでしかなくなります。そしてこのような中央集権的消費コミュニティは解体されます。

このような傾向は、現在、ネット内が貨幣交換でなく、贈与互酬によって作動しいることの理由の一つではないでしょうか。ネットでは情報を提供することで、「無数」の人々に贈与されます。無数とは未来の他者への可能性へも開かれています。そして発信者は大きな優越を得ることができます。それに対して、受信者の負債感は無数の人の一人であるとして軽減されます。

たとえばブロガーは懸命に無償の労働を行いますが、これは「無数」の人々への贈与という動機によりますが、またどこかで無償の労働に対する懐疑、「ブロガーのジレンマ」が起こります。これはブロガーという提供者がまた受信者でもあり、一人一人への負債感が小さく、繋がりが希薄であるという、重さと軽さのギャップによります。

このための提供者は贈与者を小さく調整することもできます。贈与互酬の強度の調整によって、小さな密なコミュニティから大きな希薄なコミュニティまで重複し、自由度の高いコミュニティが形成されています。またそこには重さと軽さというギャップがあり、ネット上の他者への欲望を想起し続け、ネットワーク的に贈与の連鎖を可能にしています。




Web2.0はカネにならない」 


たとえばWeb2.0は解体されつつある大きなメディアの次なる手であるといえます。もはや大きく構えて大本営発信しているだけではダメで、ネット上の贈与関係に参加し、活用していこうという金銭経済の新たな試みです。

非金銭経済では、2ちゃんねるであり、mixiであり、Web2.0は成功しているところからスタートしています。しかしWeb2.0の本当の目的は、そこから金銭を回収することですから、金銭経済として成功するか。それに対する2ちゃんねるの管理人ひろゆきWeb2.0はカネにならない」は興味深い発言です。

ひろゆきWeb2.0はカネにならない」


Web2.0という言葉で投資を集め、他人から金を預かってビジネスをするならいいが、お金払わないユーザーをいくら集めても金にならない。(Web2.0的と呼ばれるSNSなどの)サービスは商売に向いてないと思う」――Web2.0に関する見解を聞かれたひろゆきさんはこう断じる。

ひろゆきさん 特に、広告モデルで成り立っている、mixiMySpaceなどPC向けSNSが厳しいと見る。・・・「広告モデルは、売り上げのあるサイトにユーザーを誘導し、そのサイトの売り上げの一部が広告に来るという仕組み。売り上げのあるサイトが広告を出してくれないとつぶれる。今後、無料の広告メディアが増えていけば広告単価が下がり、出稿側は『安いところからちょっとずつ出そう』などという形になり、メディアはじり貧になっていくと思う」。携帯でも、無料サイトの広告モデルより、公式サイトなどの課金モデルのほうが商機があると見ている。

ひろゆきさんは「暇で可処分所得も低くて若い人は集めるのが簡単だから、そういうサイトがユーザー数を出すとすごそうな感じがするが、そういうサービスはすでに過当競争。ぼくは、実生活に役に立つこととか、知識が得られるとか、便利であるとかそういうところで、ニッチに細々と、可処分所得の高い人を狙ってやっていきたい」とした。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/01/news015.html

金銭経済がいかにお金を儲けるかということが否定されることはありませんが、非金銭経済というものが育ちつつあるということを認めることが重要だと思います。そうするといまネットで問題になっている知的財産権の問題は、犯罪から、文化的な対立であるという視点がみえてきます。

winnyの問題は、金銭経済においては、貨幣交換される商品が、ネット上で無料で交換されてしまうことで、これは金銭経済が解体されるという「革命的」な大問題です。しかし非金銭経済では、winnyはファイルの交換そのものが目的化する贈与装置です。ネットにアップされる「デジタル商品」はコミュニティへ繋がるためのチケットの一つでしかなく、金銭経済を解体するという「革命」の気持ちなど全くないでしょう。




オタクは金銭経済と非金銭経済にまたがり生きる


産業革命以降の合理化社会は、分業化し、人を均質化することで、大量生産、大量消費という豊かさを達成してきました。その反動として人はそれぞれの個性を取り戻そうとしているということではないでしょうか。正確には産業革命以前に個性があったわけでなく、資本主義自体が個性を産みだし、それがより個体としての充実を求めているということでしょう。ネット社会はそれを可能にしているとともに産みだす一つの動力となり、「プロシューマー(生産消費者)」として実社会へも展開されているだろうということでしょう。

たとえば机がほしいとして、家具屋で既製品を買うと安く買えます。特注品を頼むと、高く尽きます。自ら作ることで、自分にあった、自分だけのものが手に入ります。しかし従来は、自分で作ることには労力や、ノウハウ、コストの問題があったものが、情報化社会において、ネットコミュニティを活用することで容易になったということです。

これが「自然に帰ろう」というようなロマン主義と異なるのは、オタクという「プロシューマー(生産消費者)」先行者に特徴的であると思います。全てを内製するのではなく、自らの興味があり部分を内製し、その他は安価な大量生産に頼るということでしょう。すなわち金銭経済と非金銭経済にまたがり、有効に活用し、生きているということです。




金銭経済のゲーム化


しかし「生産消費者」の本質は、非金銭経済とということだけでなく、金銭経済と非金銭経済の解体、融合にあるのではないでしょうか。たとえばGoogleアドセンスは、「生産消費者」的な行為が金銭への「弱い意図」によって金銭経済へと参入しています。

さらにはネットが商品そして貨幣は繋がるための補助的なものでしかなるということは、逆説的にこの貨幣の軽さ故に、ネット上の金銭経済を加速する可能性があります。金銭経済のゲーム化です。たとえばいままでもオンラインゲームではアイテムなどの貨幣交換が行われているが、さらに進んだ形態として、Second Lifeは金銭経済をネット上に出現させています。

始めてみよう!仮想世界Second Life--それって何?編


Second Lifeとは、ユーザーがアバターと呼ばれる自分の分身を、ネットワーク上に構成された3D CGの中に参加させることのできる、インターネット上の仮想世界のこと。オンラインゲームと表現されることも多いが、・・・Second Lifeでは仮想世界および社会が提供されているだけで、・・・・友達を作ったり、洋服や建築物を作成したり、それぞれ自分に合った目的を見つけて活動することができる。文字通りユーザーがもう1つの人生を歩むための場となっていることから、ある種のコミュニティーサービスであるとも言える。

Secone Lifeにおける最大の特徴は住民に与えられる「創造性」「所有権」にあるだろう。・・・住民はSecond Lifeで建物でも洋服でもゲームでも自分の欲しいものを作り出すことができる。さらに自分の創造したものの所有権は住民自身に与えられるため、さまざまな製品を作成し、販売することが可能となっている。この世界ではリンデンドルと呼ばれる通貨が用意され、米ドルへの換金も可能だ。・・・こうしてSecond Lifeでは経済活動も営まれているコミュニティーが運営されている。そのため、Second Lifeで起業する人もたくさんいる。

例えば11月には、Second LifeでAnshe Chungと名乗る住民が同仮想世界初の百万長者となったと宣言している。・・・同氏は不動産業を営んでおり、Second Life内の土地を購入して整備し、貸し出したり販売したりしている。

現実世界でなじみの深い企業の間でも、Second Lifeに拠点を設けることがトレンドになりつつある。・・・IT企業だけでなく、トヨタ自動車やホテルチェーンのStarwood Hotels、Adidas Reebokなども進出し、それぞれの仮想製品やサービスを住民に使ってもらうことで、自社のブランディングマーケティングに役立てようとしている。

http://japan.cnet.com/sp/halfyear/story/0,2000072660,20340136,00.htm

実社会の金銭経済の知的所有権が無視され、ネット上では知的所有権による金銭経済が作られるという不思議なことが起こっています。このようなリアリティとヴァーチャルの転倒では、ネットの仮想空間で豊かになるために実社会で稼いだお金が使われる可能性が高いでしょう。

ここに「生産消費者」の本質があるのではないでしょうか。実社会で均質化した人々が、ネットという可能性の空間で、それぞれの個性を取り戻そうとしているとすれば、ネットによる関係性の方がリアリティがあります。すなわち金銭経済か、非金銭経済でなく、情報も金銭も一つのアイテムでしかなく、他者との関係性によって支えられた「生産消費者」的な行為の方が自分らしいということです。


関連:米議会、仮想世界の資産に課税 知的保護も検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070104-00000003-fsi-bus_all

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