なぜ「ひとり団地の一室で」孤独死するのか

pikarrr2007-01-25

「ひとり団地の一室で」

NHKスペシャル 「ひとり団地の一室で」


千葉県松戸市にある常盤平団地。3年前、その一室で死後3か月経った男性の遺体が見つかった。男性は当時50歳。病気で職を失ったあと家族と別居し、一人で暮らしていた。

いま、全国各地の団地では、誰にも看取られずに亡くなる、いわゆる“孤独死”が相次いでいる。常盤平団地でもこの3年間で21人が孤独死した。その半数が40代、50代そして60代前半までの比較的若い世代の男性だった。社会や家族とのつながりを失った人たちが、老後を迎える前に、亡くなっているのだ。

長年支え合ってきた古くからの住民は、地域の絆を取り戻し、“孤独死”を防ぐために動き始めた。番組では、団地に去年できた孤独死予防センター」にカメラを据えて“孤独死”の実情を追い、団地に凝縮された日本の現実を見つめる。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/070112.html

NHKスペシャ「ひとり団地の一室で」を見た。40代〜60代前半という比較的若い男性の“孤独死”が増えているという。格差問題がいろいろ言われているが、彼らは路上生活者とは違い、ある程度の資産をもっている人々である。またボランティアの方が定期的に訪問してもそれを疎ましく思い、あえて地域コミュニティと断絶し生活している。引きこもりに近く、脱社会化した人々の一例だろう。




地域コミュニティ、そして会社コミュニティの解体


むかしから格差はあるが、地域コミュニティが強く働いていたときには、貨幣交換よりに贈与の関係、知り合い同士の助けないが重要であった。それは、特に封建的、拘束的であっても、「貧しいながらも、逞しく」というような生活の基盤となっていた。

資本主義社会の浸透によって、会社中心にコミュニティが再構成された。会社人間であることは、経済基盤だけでなく、生活基盤も依存することである。会社への帰属の元、転勤などで、人々は地域コミュニティを離れて、各地に移動を始める。隣に住む人が知らない状況が生まれも、阪神大震災のときのように、何かあったときの安否は会社を中心として確認される。しかし終身雇用という会社コミュニティが解体に向かう中で、人々は帰属するコミュニティを失いつつある。

未婚、離婚、死別により、男一人で、会社も退職、リストラによって離れたとき、あるいは最近ならば、団塊の世代の大量退職において、一人であろうが、夫婦であろうが、会社コミュニティから離れたときに、現代人に残された帰属するコミュニティはどこにあるのだろうか。




お金がなければどうしようもない社会


しかし逆に言えば、引きこもりでもそうだが、コミュニティから離れ、一人でやっていくことができる社会ということがすごいのかもしれない。それを可能にするのは、お金である。「お金があればなんとかなる社会」である。

これは格差問題の核心でもある。たとえば各国に比べると、日本の格差はむしろ小さいと言われるが、格差が問題になるのは、「お金があればなんとかなる社会」とは、逆にお金がなければ、どうしようもない社会ということだ。コミュニティが解体され、「幸福」と貨幣の関係が密接になってしまったことで、お金がないことが孤立的な状況を生んでしまう。

生涯賃金格差「日本が最小」


労働者が生涯を通じて得られる賃金の格差は、欧米諸国と比べても日本は小さい部類に属するとのリポートを内閣府がまとめた。同年代の労働者の賃金格差が他国よりも小さいことが影響しているという。日本では年功賃金の崩壊が進み、年収格差が広がるといった声が多いが、内閣府「日本は国際的に見ればまだ平等」とアピールする狙いもありそうだ。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070123AT3S1101B22012007.html




人生の貨幣依存

消費社会において、店頭にあふれる商品、TVから流れる魅惑的な広告は、買ってほしいという、消費者へのラブコールである。そして人々は「恋される位置」に居続けたいと貨幣を望む。資本主義は、貨幣を持っていることで、「恋される位置」に居続けることを可能にしたのだ。現代人は多かれ少なかれ、みな「モテモテ」なのである。これこそが資本主義のマジックではないだろうか。


「なぜ資本主義社会は未婚にむかうのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070123

資本主義のマジックは、人が貨幣をもつことで「恋される」優越な立場におくことだ。そして人々の自意識を肥大させる。コミュニティの再生はそう容易ではないし、彼らはお金が尽きたというよりも、自意識をもったまま、消費社会の中へ埋没し、一人で暮らす方が気楽である、ということだろう。それは、「お金があればなんとかなる」という「人生の貨幣依存」へむかわせる。

このような自意識と孤独は、現代人の誰もがもつものだろう。ならば、これは、現代人の死の一つのあり方なのかもしれない。あるいは、もっと大金があれが、コミュニティもお金で買えたのかもしれない。