[議論]ネットは「経済」とはなにかを問う

pikarrr2007-03-11

考える名無しさんA
東スレで戯れるあなたがたは動物だ。東思想を否定するあなたは動物で、「動物園型理想都市」を肯定する。ポストモダン社会のモデル=東スレで戯れられるメリットは、東思想を否認することで得られる。否定はつねにメタだから。これって私!が易々と手に入る。東スレ=動物的ユートピアにいる人が典型だけども2chねらとか楽しそうじゃない。中にいて楽しんでるのはほとんど動物だもの。

考える名無しさんB
ぴかーがなんかネット上のコミュニティについて論じてるが、要は「解放区」だと思ってるのかな、2chを。「現実」では出来ないことをネット上では出来る、「解放区」として捉え、だから「動物達のユートピアだと。

この、現実/ネットの二項対立は間違いじゃないのか?僕にとっては、2chは「解放区」じゃないし、「現実において疎外された者達のユートピアじゃない。ただの、奇妙な掲示板に過ぎないと思ってたから。弱者達が身を寄せるアジールだとか、思ってたわけ。

第三の波平
2ちゃんは匿名だから、実社会よりも、社会的な拘束から解放されやすいのは確かですね。社会的な関係(象徴的関係)の抑圧が弱まる。その結果として重要なことは、好き勝手できるというよりも、想像関係(愛憎)が表出しやすいということでしょう。これは、動物化ではなく、ネットでは人はより人間臭くなる、ということです。より簡単にいえば、誰かのためになにかをしたいということが加速されてしまう。

たとえば、ネットの匿名性は、強迫や他者への誹謗中傷などの犯罪行為を助長するでしょうが、これは明らかな反社会的な行為です。やる者もこれらが間違った行為(犯罪行為)であるという自覚があるでしょう。この程度はたいしたことではない、匿名だからつかまらない、というような安易さはあるでしょうが。

しかし「誰かのためになにかをしたいということの加速」は、反社会的というよりも、非(資本主義)社会的です。資本主義社会が貨幣交換を基本にするとすれば、非(資本主義)社会の基本は贈与互酬でしょう。貨幣のように等価交換するのでなく、見返りなく親しい人に贈与するようなことは、いまでも一般的に行われています。たとえば聞いてよかったCDを友達に貸してあげるというようなことがありますが、誰かのためになにかをしたいことが加速するネットでは、同じような些細な贈与としてネットにCDをアップすることで、多くの人がダウンロードしてしまう。

Winnyなどでコピーが出回るのは、だれも資本主義的な秩序としての著作権システムを解体させる反(資本主義)社会的だと思っていない。ただ誰かのためになにかをしたい、それが楽しいだけということで行われる。それが、資本主義そのものを解体するような(非資本主義的な)力をもってしまう。

2ちゃんねるを代表するようなネットの現象が、無法地帯、ユートピアということ以上にラディカルであるところです。そしてこの変化は資本主義2.0?のような、新たな秩序の設立が必要となるでしょう。これは、トフラーが「富の未来」(ISBN-10:4062134527)で言及した、「非金銭経済」や、「プロシューマー(生産消費者)」に繋がるでしょうが、トフラーがいうように金銭経済と非金銭経済は同じ次元では語られず、「経済」とはなにかのということが問われるでしょう。

アルビン・トフラーの)「プロシューマー(生産消費者)」というのはおもしろと思いました。「プロシューマー(生産消費者)」とは、ボランティア、趣味で畑仕事、日曜大工をする人、最近では、ネットの群衆知など、DIY(Do It Yourself)型で自分で自分のために労働する人々です。最近のWeb2.0や、グーグル化の議論はネットに生まれた群衆知をいかにお金にかえるシステムをつくるのか、ということですが、「プロシューマー(生産消費者)」という概念の射程の大きさは、このような従来の金銭経済と並行して非金銭経済という新たな潮流が生まれている。「金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満たしている。この二つの経済、金銭経済と非金銭経済を組み合わせたものが、「富の体制」である。」ということです。
なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070104

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*1:本内容は2ちゃんねる哲学板東浩紀スレッド73」http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171980711/l50からの抜粋です。内容は一部修正しています。

*2:画像元 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/13/news061.html