オタクはネットでおばちゃん化するか

pikarrr2007-03-13

第三の波平
オタクってなにか不気味な人々という感じから動物化と名付けられて、人々が納得し、そしてオタク自身も安心した。しかしネットの普及の中で明らかになったのは、なんだよ、ただの「おばちゃん」じゃん!ということ。なにも違わない人間くさい人々だったということでは?

ギートステイトで動物管理がどうこうといっても、もはやリアリティがないのではないでしょうか。社会が管理社会化、工学化していることは否定しないが、それとともにネットで、オタクはよくしゃべる。ネットによって、オタク幻想は終わったといっても良いのでは。オタクが特に動物化しているという選民性はどこにもないような。

考える名無しさん
面白いんだけどネット上の掲示板やブログにおいて、という文脈だけからオタクのおしゃべりを見て、ネットを介さない対面的状況、という文脈だけからおばちゃんのおしゃべりを見て、両者を比較検討してもあんまり……という気もする。

自分オタクだけども、コミュニケーションからの撤退とか動物化とかの分類のほうが、意思の疎通とかを信じてそうな「おばちゃん」て分類よりも的を射てる気がするお

考える名無しさん
そうだね。みんなが幸せになった。あずまんも人気者になったし、実際不気味なオタクも自分語りで生き生きしていた。おばちゃんの井戸端会議的しゃべりは女子高生の自己目的的に似ていて、オタクの自分語りとはちょっと違うんじゃないかな。

考える名無しさん
自分語りするし、オタはいまもっても動物ってカンジじゃないね。自己目的的なオバチャン・女子高生のほうが、動物化はすすんでるんじゃないの。

考える名無しさん
女子高生的なコミュニケーションは一見すると自己目的的だけど、実は徹底的に関係のコンティンジェンシーを自覚したメタな構えがあって、生のままでは不可能なコミュニケーションをかろうじて可能にする技術だ、とで、これすらも短絡化して自閉するのがオタクだ、っていう話も

考える名無しさん
コミュニケーションの文脈で捉えるとオタクは厳しいな・・・自分語りが前景化する。そのことに対するメタな意識がない。換言すれば、検閲がないっていうか。ひどく弱いっていうか。女子高生の自己目的的やりとりは、相手もそうであるという暗黙の了解がある。だがオタクは相手の自分語りを了解しているわけではないでしょう。していたら、自分の自分語りを認めることになるwその程度の意識はある。

第三の波平
オタクは空気を読みすぎる

ボクも昔はオタクは動物化して、空気を読めないと思っていたけど、最近は、逆にオタクって、空気読みすぎているのでは、と思います。空気って、そもそもそこには正解はないので、読み過ぎると、フリーズしてしまう。どこかで空気を自らつくる決断、場へ作用していかないといけない。

一言で言えばオタクは真面目すぎる。これは人工知能の不可能性に繋がるわけです。人工知能は正確に状況を把握しないと次の動作に移れないという「真面目すぎて」、フリーズしてしまう。なぜ人間がフリーズしないかというと、適当だから。(読んではいないので正確にはわからないけど、)最近、「鈍感力」ISBN:408781372X)って本が売れてるが、空気が読めるとは適当さがなければできないでしょう。

たとえば非モテ系にしても、女性に対して、思い入れがつよいすぎてうまくやろうと、空気を読もうとしすぎて、逆におどおどしてしまう。空気を読むなんて限界があって、失敗しても開きなおって笑う力強さに女性は引かれるのでしょ。この開き直り、空気はみずからに作り出しリードする、すなわち柄谷がいう「命がけの飛躍」が必要なわけです。女性に対して「適当」になれることが必要なのでしょうね。

「わたしは(空気を読まなくて良い)動物になりたい」

東は動物化を物語からデータベースへと表現しましたが、「読み過ぎ」は、データベース化へ向かう。たとえばウルトラマンは最初はひとつひとつ考えられて作られたんだろうけど、シリーズで反復されることで、ウルトラマンたるものはここを抑える、というポイントがでていきて、それの束がデータベースになる。そしてもはや物語よりもベタなデーターベース要素が重要になる。このベタさは、ウルトラマンシリーズへの「読み込みすぎ」なメタ目線があってはじめて可能になる。

これはオタクでなくても、反復されるところではどこでも起こることだけど、オタクがデータベース化しやすいとすれば、オタクは空気を読みすぎてつかれるから、人とつきあうのが面倒になって、コミュニケーションからの退避することで、神経症的にものに執着し、読み込みすぎ、反復する傾向が強いからかも。

ネットにおけるオタクのおばちゃん化

オタクが自ら動物化と呼ぶときは、「わたしは(空気を読まなくて良い)動物になりたい」という願望があるのではないでしょうか。オタクの(特に女子に多い)アニメキャラ的なハイテンションは、神経症的空気読みの回避でしょ。回りを気にしすぎてフリーズするのを、キャラを演じることで回避する。この手の不器用な明るさは、良く言われる小倉優子的なものよりも、宇多田ヒカル菅野美穂に感じる。彼女たちの笑いは病的ですね。だからこそ魅力的であるのかもしれない。(このニュアンスは伝わらないかなあ・・・)

そしてオタクはネットでは、空気読みから解放され、饒舌になり、素がでて「おばちゃん化」する。動物のフリで抑圧していた人間臭さが爆発する。ネットは動物化などといわれて神秘的だったオタクが、普通のおばちゃんであることを暴露しちゃったのではないでしょうか。

現代は、価値多様で誰もが空気を読みすぎてつかれるから、このような傾向を持つでしょう。ものへ執着するように他者回避(動物化)しながら、ネットではおばちゃん化している。

考える名無しさん
君の言ってることは大澤-北田的な弁証法だよね。80年代的な神経症が反転することで、00年代的な2chが生まれる、みたいな。そういった考えは、あずまんによって批判されてる。あずまんの考えは。80年代的なメタゲーム(神経症)と00年代的な動物化は切断されてるという考えだからね。80年代と00年代の接続を強調する論者とは違うわけ。個人的には、この論争は決着がついてないと思うので、どこかで決着をつけて欲しいと思うけど。

1995年以降の日本において、その直前まで優勢だったメタゲーム(アイロニー)が急に失効してしまった、という点では、おそらく、笠井氏も大澤氏も北田氏も僕も意見が一致している。しかし、彼ら3人はすべて、メタゲームのその端的な欠如状態に、メタゲームを存在させない、という高度なメタゲームを読み込んでしまう。その所作は、僕にはとても否定神学的なものに見える。

東浩紀 http://www.hirokiazuma.com/archives/000127.html
第三の波平
いまのネットの影響の話しているのですよ。「オタクは動物化だ!」と騒いでたオタクがおばちゃんだった?。いま実感としてっどう?ってこと。

第三の波平
「オタクは動物化している」というのは、どうしても「韓国人は汚い」に近いものを感じるのですね。カテゴライズによって、差別化する。オタクの場合は自らがいうので自虐的に働いていわけですが。オタク、嫌韓という仲間づくりというか。

ボクが、東の動物化で一番納得がいくのが、工学化との繋がりで語られるときですね。昔は商店街のおばちゃんのたこ焼き屋で集っていたのが、最近はファーストフード、コンビニで、販売の工学化=マニュアル化された店員に機械的に対応され、人々は動物のように扱われることを望む、と言う意味での動物化

このような傾向は確実にあります。店の人に干渉されるのは避けたいという他者回避を望む。でもこれは、人間がなにか変容しているというよりも、工学化に対応しているということです。それとともに、この裏側で人はどこかの部分で、熱く、人間くさい面(おばちゃん化)を見せている。それがネット上であったり、コミケ?であったりする。逆に自ら好む部分で人間くさくなるから、他では抜け殻のように干渉されたくない。動物のように扱われるのが楽だと思う。

この二重構造は、東のいうポストモダンの二層構造」*1 にそのまま対応すると思うのです。これにもつっこみたいところはいくつかありますが、大枠としては同意します。*2 *3この流れではオタクが特別、動物化しているという選民性は見いだせないと思うのですね。

再度言えば、ボクが言いたいのは、神経症的なフリーズは現代人は誰もがもつものだから、他者回避のために工学化を受け入れ、動物のように扱われることを望む、という意味での動物化は起こっている。そしてネットは逆に反動で他者をむさぼり、おばちゃん化する。動物化している、していないのがあっても、地域的な背景など、それぞれ個人的なもので、オタクだからというのは、見いだしにくい、ということ。

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*1:ポストモダンの二層構造 http://ised.glocom.jp/keyword/%e6%83%85%e5%a0%b1%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8c%e5%b1%a4%e6%a7%8b%e9%80%a0

*2:東浩紀ポストモダンの二重構造」とその限界 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060117

*3:ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その6 終わりなき「断絶」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060612

*4:本内容は2ちゃんねる哲学板東浩紀スレッド73」http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171980711/からの抜粋です。内容は一部修正しています。

*5:画像元 http://o36.x0.com/blog/index.php