なぜ「モンスターハンター」はおもしろいのか

pikarrr2007-03-23

モンスターハンターポータブル 2nd」累計出荷本数100万本達成

ITmedia 「モンスターハンター ポータブル 2nd」レビュー http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0703/20/news063_2.html


カプコンの狩猟アクションモンスターハンターシリーズの最新作がPSPで登場した。新しいモンスター、武器、防具システム、クエスト――確実なボリュームアップとともに徹底してユーザーフレンドリーに作り直された本作は、狩人たちの心を熱くする快作に仕上がっている。さあ、貴方もポッケ村で、ハンター生活を始めませんか?

未プレイの人からすれば「いったい何がそんなに面白いの?」と思うところもあるかもしれない。しかしやってみた人間、ハマってしまった人間が達するシリーズ独特の面白さがそこには確実にあるのだ。

プレーヤーの主な目的は、片手剣、ランス、ライトボウガンなどのさまざまな武器を使って己の何倍もの大きさを有するモンスターを狩猟すること。依頼人からのクエストを受注して目的を達成する、という流れの繰り返しになる。ひたすらいろんなクエストを受注することになるのだが、クエストをクリアしていくことで新たなクエストが増えたり、倒したモンスターからはぎ取った素材を元に新しい武器、防具を生産、強化できるので、少しずつプレーヤーの選択肢が増えていく楽しみがある。

2月22日に発売したPSP向けゲームソフトモンスターハンターポータブル 2nd(ASIN:B000GWKY9Y)が、わずか2週間で累計出荷本数100万本を達成したという大人気である。この記事にはモンスターハンターヘビーユーザーによるモンスターハンターのおもしろさが書かれている。その魅力は以下のようになるだろう。これらはそれぞれ納得できる。

  • モンスターの生態や特徴の多彩さ
  • プレーヤー側のプレイスタイルの自由度(武器の多彩さとプレーヤースキルにより生まれる自由度)
  • RPGのようなレベルが存在せず、プレイヤー自身が体で覚えて強くなる
  • オンラインモードでの協力プレイ
  • 携帯型ゲーム機でのグラフィックの美しさ




恐竜と戦うという「少年の夢」の実現


映画ジュラシックパークを始めて見たとき、恐竜のリアリティに感動した。恐竜は誰もが持つ「少年の夢」である。それがあれほどみごとに映像化されたことに感動した。モンスターハンターのおもしろさは、今度はあの「恐竜」と戦いという「少年の夢」を実現している。それほどに美しく、リアリティある映像を実現している。

それとともに、戦うことのリアリティを支えるのが、武器のスキルを「プレイヤー自身が体で覚えて強くなる」ことにある。RPGが長時間つづけることでゲーム上の経験値が蓄積し、強くなっていくのに対して、アクションゲームであるモンスターハンターでは、モンスターと対峙し、その場その場で判断し、攻撃をさけ、しかけるという運動神経によって、プレイヤーが体で覚えて、自ら強くなることが求められる。

はじめはどうやって倒すんだと思うような、とてもかなわないような強いモンスターに対して、繰り返し戦ううちに、ゲーム上はなにもかわっていないのに、いとも簡単に倒せるようになってしまっている。ただプレイヤー自身の体が慣れ、操作性を身につけているのだ。




コンピューターゲーム「他者」の捏造に成功しているか


(広い意味での)「ゲーム」のおもしろさとは、「他者」である。ゲームとは実生活のモデルであると言われる。そこに「他者」がいて、戦うことにゲームのおもしろさがある。そしてコンピューターゲームが一人で没入し楽しむことを可能にしたのは、コンピューターが「他者」の捏造に成功したことを意味する。

人工知能には、対象に知能があるか、どうか、すなわち「他者」であるか、どうかを判定する方法として、チューリング・テスト」という考え方がある。人に機械を人間だと勘違いさせることができれば、その機械は十分知的な存在であると判定される。

しかしモンスターハンターも含めて、コンピューターゲームチューリング・テスト」に成功しているという意味で「他者」の捏造に成功しているということではない。敵は明らかにパターンをもったプログラムであるが、プレイヤーは敵が「他者」であるようにふるまうことで没入し、ゲームを楽しんでいる。すなわちプレイヤー自身が積極的に「他者」を捏造しているのだ。

特に、戦いとは運動的、身体的な行為だから、アクションゲームにおける「他者」=敵とは、いつもモンスター(動物)なのであり、命令に従う機械なのであり、コンピュータープログラムで再現されやすく、「他者」を捏造することは容易である。

しかしこのような「他者」の積極的な捏造は、基本的にはプレイヤーに閉じており、限界があるために退屈してしまう。だからどんどん強い敵という刺激を求めるというインフレーションに陥りやすく、また強くなることが目的化し、作業ゲー化してしまう。




モンスターハンターは大人版ポケモン


モンスターハンターには、このような単純化に陥らないおもしろさがある。それが「生活」である。モンスターハンターとは仕事である。モンスターハンターのクエストという50分のミッションを遂行することにより報酬をもらう。そしてクエストの中で狩猟、採取(魚釣り、採掘など)により生活の糧を得て、素材を元に新しい武器、防具を生産、強化するなど、次のクエストへ備えて、育てるという生活を行う必要がある。このような「生活」面によって、アクションゲームにありがちな一次元的な目的の退屈さ以上の「豊かさ」をえることが多彩なゲームなのである。

しかしゲーム上の蓄えを豊かにすることだけが目的であれば、多様ではあるが、パターン化した退屈さに陥るだろう。古くはたまごっちなど生活型ゲームはたくさんあるが、これらが成功するためには、「他者」を現実の他者との繋がりに求める必要がある。「私のたまごっちこんなに育ったんだよ」という現実の他者との比べあい、自慢しあいのようなコミュニケーションが活性化することが必要である。

現実の「他者」に勝る多様で、おもしろいものはないのであり、いかに人々を巻き込んでいくことができるか、が問題であり、そのための「生活面」の多彩さが求められるのだ。まさにその成功例がポケモンであり、生活に密着し継続して愛され続ける理由である。そしてモンスターハンターの生活型ゲームとしてのおもしろさは、ポケモンに通じるものがあるのだ。




モンスターハンター的世界」の中で生活していく


このような現実の他者との繋がりによるおもしろさは、オンライン機能によってゲームの中に現実の他者を導入することで達成されるのだろう。しかし実際に大人がPSPを持ち寄ってゲームをすることは難しい面があり、最近、モニターが始まった大規模オンラインゲーム化させたモンスターハンターフロンティアに期待したいところである。

いまは2ちゃねるなどのネットコミュニケーションがこれらの共同性を補完しているように思う。モンスターハンター関連のスレッドが2ちゃんねるで活発に立つのはそのためだろう。その意味で2ちゃんねるはすでにゲームの一部なのである。

(ボクもそうだが)PSPモンスターハンター専用機と化している。あるいは1000時間近くプレイしたというヘビーユーザーがでるように、モンスターハンターとしての身体的な興奮とともに、ネットコミュニケーションを巻き込んて構築されていくモンスターハンター的世界」の中で「生活」しているのである。