なぜ「ネットイナゴ」はネットをめざすのか

pikarrr2007-06-13

アーキテクチャー化によって抑圧した「感情」はどこへむかうのか


ボクは感情労働マクドナルド化によって対処される」と言った。*1ボクたちはアーキテクチャー化」を歓迎している。社会的な関係がドライになること、そして貨幣価値のもとに「平等」であること。しかしこのようなアーキテクチャー化を歓迎しながらも、それだけでは耐えられない。

そしてアーキテクチャー化の反動として抑圧した「感情」が浮上する。アーキテクチャー化が進むから、反動で「感情」が浮上する。また「感情」が浮上するからアーキテクチャー化が歓迎される、という相補的な関係で働いているといえるだろう。

ではこの抑圧した「感情」はどこに向かうのか。たとえばリアリティがます映画、ゲームなどヴァーチャル技術によって、身体的な興奮が与えられストレスが発散される。また「癒し」を求め、「かわいい」への傾倒である。少女たちの「かわいい」好き、オタクの「萌え」の氾濫や、最近の「〜王子」へ熱狂するなど。




「感情」はネットをめざす


しかしもっともこれら「感情」を受け入れたのが、ネットだろう。IT革命などといわれるが、ケータイ、ネットがこれほどの短期間で爆発的に普及し成功へ導いたのは、「感情」の受け入れ先としてではないだろうか。その大量の「物量」がネットを短期間で切り開いた。たとえばWeb2.0のベースになるのはこのような「物量」である。ある枠組みを提供しそこに人々が集まることで、自律的に成長する。

「感情」とは単に抑圧されたストレスの発散ではない。アーキテクチャー化においては、人々は設計にそってふるまう。そこでは個性は必要とされない。家畜のようにマクドナルドで食事をする。そしてその反動としての「感情」とは、他者との繋がりであるとともに、他者との関係によって得られる自己の存在の実感=「自分探し」である。

逆にいえば、「自分探し」こそが生きる上でのもっとも重要なことであり、そのための重要でないことはアーキテクチャに従う。その重要なことが、2ちゃんねる「小さく」レスすること、はてなブックマーク「小さな」コメントを書くような「小さな」自己主張であっても。




ネットイナゴ」という愚衆


池田氏2ちゃんねるに続いて、はてなブックマークにブチぎれたようだ(笑)。まあ、半分ネタ(釣り)ではないかと思うが、ブログなどで多少「(無償)労働」を行っている人は誰でも一度は、ネット上の愚衆について考えたことがあるのではないだろか。

政治的に中立なネットイナゴという言葉のほうがいい。・・・たしかにこれはうまいネーミングで、1匹ずつは取るに足りない虫けらが、付和雷同して巨大な群れをなし、作物を食い散らかす様子によく似ている。・・・ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのははてなブックマークだ。

小倉秀夫氏も当ブログへのコメントで指摘しているように、こういうイナゴの及ぼす社会的コストは大きい。彼らに食いつかれるのを恐れて、専門家はブログで意見を表明しないし、普通のユーザー(特に女性)はSNSに逃げ込んでいる。はてなは、自分で自分の首を絞めているのだ。このままでは、小倉氏もいうように、悪貨が良貨を駆逐するだろう。成熟したWeb2.0のプラットフォームをめざすのなら、はてなはユーザーに一定の品位を求めるべきである。


はてなに集まるネットイナゴ  池田信夫 blog http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/582474956f34136b8a62bf7789f91bac

しかし愚衆をネットイナゴと罵倒しても仕方がない。ネットはイナゴによりこそ支えられているからだ。ほんとうにそれがいやならば「感情」的な説教より、会員制などセキュリティ強化というアーキテクチャ的な解決方法が必要だろう。




「イナゴ」たちは「意味」を求めてネットへ向かう


ストレス社会、高齢化社会、競争社会、年功序列の崩壊・・・今後もネットコミュニケーションは「感情」の受け皿になりつづけ、「感情」がネットに押し寄せるだろう。「イナゴ」たちが「意味」を求めて向かう先は、もはやネットしかないように思う。

年功序列が支えていたのは、賃金制度以上に企業コミュニティであり、そして企業コミュニティへの帰属によって生まれる自己確立なのです。・・・しかしもはや終身雇用的に企業が強いコミュニティとして作動し、帰属し一生懸命働くことで自己確立となりえた幸せな時代、「仕事の時代」は終焉しつつあります。

若い人は仕事以下に趣味のコミュニティをもち、そこで自己確立の一部を支えています。そしてそのような趣味のコミュニティはネット上に集約されつつあります。ある意味で、ネットには開拓すべき荒野(フロンティア)が広がっているのです。・・・ネット上のブログや掲示板などを楽しむ人たちはそこで無償の「労働」によって、コミュニティが形成され、自己確立の一部となっています。企業コミュニティの崩壊後、明らかにネットコミュニティは受け皿になっています。


「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20061209

そこにネオコン化する「国家」でもマクドナルド化する「資本(市場)」でもない、「ネーション」としての社会再生の可能性をみたいと思う。たとえば年金問題北朝鮮でもなく、発展途上国でもなく、現代の日本の行政が行われたことが驚きである。「国家」の限界が露呈したように思う。それを民間へ委託する、「資本(市場)」を導入することである程度の解決が図れるだろう。しかしこのような「小さな国家」、市場主義にも限界がある。マクドナルド化によっては、最後には救われない人々が生まれる。そして人々のネットワークとしての「ネーション」が求められる。それは「イナゴ」たちの「物量」が重要になるのではないだろうか。


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