日本はなぜ技術立国として生き残るしかないのか

消費社会から環境資源の時代


NHKの番組で、マグロを確保する商社マンのドキュメンタリーがあった。国際的に飛び回り、各国でマグロを確保するのであるが、中国経済の発展とともに、中国人のあいだでもマグロのおいしさが認知され、マグロが中国市場に流れ込み、日本分の確保が難しくなっているということだった。ここでは環境に考慮した漁獲量の制限などの環境問題も絡んでくるのだろう。「将来日本人はマグロを食べられなくなるのか」ということである。

また最近、ニュースで良くでるのが、下水のフタ、ケーブルなど様々な金属製品の盗難である。これは、ここ最近の金属材料の価格高騰からきていると言われる。これもまさに先進国中心の「消費社会」からグローバルな「環境資源の時代」への以降を象徴している。




世界的な資源パニック


本来、石油を代表とする資源は、保守的な国家間の枠組みと資源供給メーカーによって動かされ、市場においても「固定相場」のように調整された。需要と共有の緩やかなバランスによって調整されていた。この動きに、波風を立てたのは、BRICsの経済発展、特に将来的な資源供給を不安をいだく中国が国策として世界の資源の確保への動だした。

本来、資源に関係するメーカーは保守的な体質であり、このような急激な動きには対応できない。地球資源がなくなるということではなく、提供できる資源には限界があると言うことだ。ここでは各国の将来的に資源戦略を優位に運ぼうという「資源ナショナリズムの動きが活発になった。

これによって、国際的な資源争奪戦がはじまった。将来的に開拓されれば、安定するような過渡期にあるのかもしれない。とにかくこの動きはここ1、2年に急激におこり、世界的なパニックを起こしているといえるだろう。さらにこれに、商品としての資源が注目され、投機の対象とされることで、「市場化」が起こった。需要と供給というバランスではなく、噂、雰囲気によって価格が変動してしまう。




国際人としての真打ち、中国人の登場


これもNHKのドキュメンタリーだったが、南アフリカかどこかに移住した中国人コミュニティのドキュメンタリーがあった。彼らは中国から商品をとりよせ現地で売ることで生計をたてている。そこでは中国製品の商品の流入は画期的なことなのだ。現地の商品はほんと使い物にならない。日本製品はあるが世界に誇れる技術、品質であるが、超高級品であり、かえるものではない。

中国製品は日本製品に近いとともにやすい。貧しい国では画期的な商品として流通している。これはもはや世界的な傾向だろう。中国製品が先進国の技術を買えるものとして流通して世界をかえている。

彼らの商売がうまくいっているからか、たびたび現地の武装集団の襲撃をうける。しかし政府はなんの対応もしてくれない。彼らは傭兵を雇い武装、自衛するという西部劇のような世界が展開されている。なにゆえそこまでしてと思ってまうが、彼らは中国に逃げ帰っても生活はできないのだ。中国の貧しい人びとが成功を夢見て世界中にちらばっている。

ここに底知れない中国の力を感じる。中国人にはむかしから、華僑といわれる世界的なネットワークがあるが、彼らには島国日本人にははかりしれない世界を渡り歩くパワーがある。奇しくもグローバリズムの自体に、中国人という真打ちの登場とでもいうのだろうか。




複雑なグローバルな関係


さらに資源というエネルギー問題を考えるときには、環境問題が重要になる。これは国際的機関であり、国家間の政治的な問題であるとともに、現実に環境被害が起こり始めていることから、市民レベルの問題でもある。環境問題への考慮なければ、社会的な認知をいられない状況になりつつある。それが中国でも同じであることは最近の様々な中国関連の問題、そして環境重視に走る中国政府の方針で明かである。

国家間の駆け引き−「資源ナショナリズム、旧来の保守的な資源供給メーカー、商品としての資源の「市場化」代替エネルギー資源への新興メーカー、技術開発、環境問題を考える国際機関、そして市民という複雑なグローバルな関係が資源をめぐって動いている。




日本は自閉し技術立国として生きのこる


そして日本は、資本確保のための国家間の駆け引き、「市場化」、さらには環境問題に対する市民運動の面など、グローバリズムの面で遅れをとっていることは一目瞭然だ。たとえば日本人の下層にどれだけ、豊かさを夢見てこのようなことができるだろうか。これは愚問だろう。

日本が強いのは、他国との関係ではなく、「自閉的に」?コツコツと積み上げることできる技術開発である。日本の環境関連、省エネルギーの技術はトップクラスである。日本が技術国であるのは、外交が不得意な島国根性としての「自閉性」にあるのだろう。そしてそれが日本がこの新たなグローバルな戦いである「環境資源の時代」を生き残る道なのだろう。