なぜお金がすべてなのか(仮) その5 神々の闘争

pikarrr2007-10-03

なぜグローバリズムで格差が生まれるのか


例外状態をいかに統治し、成員の生存を確保するか、それがその時代の「神」の役目である。

柄谷がいうように、グローバリズムとは、最近のことではなく、国家はそのはじめから世界経済とともに発生した、ということである。そして科学技術−国家(法)−貨幣の秩序体系は、国家の境界(グレイゾーン)で自国のために、権力を発動させる。国家権力のもと、科学技術は自然(労働力も含む)を解体して資源化し、貨幣の非対称性によって市場へ流入することで利潤をえる。ここに国家間の権力闘争があり、先進国は帝国主義的な植民地であり、南北格差問題など、合法的に権力行使を繰り返してきた。

たとえば中国が世界の工場と言われるのは、大量の人々を労働力として均質に科学的に教育し、安価に市場に投入することで、安価で質のよい人材を提供することにある。国家としての中国は、先進国との利害をめぐる駆け引きが行われる。

このような例外状態における闘争は、国内でも格差として現れるだろう。経済学者がいうようにネオリベラリズムが生み出す格差が単に経済学的な合理性、すなわち自由と平等の状態では統計学的に算出されるような格差である、という外で、その例外状態において、このような闘争が行われ、そして決定的に権力(お金)を持つ者が優位に働くだろう。「小さな政府」はまた一つの国家戦略である。




回帰する純粋贈与(略奪)


現代の外部は、「回帰する純粋贈与(略奪)」として現れる。「回帰する純粋贈与(略奪)」とは、人間とは関係がない純粋は自然災害などではなく、環境資源問題、テロリズム、ネットなど、科学技術−国家(法)−貨幣の活動が生み出している例外状態で生まれる。

これを表す象徴的な物語はAIDSである。AIDSは本来、アフリカ奥地の猿に感染するウィルスであったという。これは社会の外部の存在であるが、まだ外部とは言えない。AIDSウィルスが外部であるのは、それが内部に到来し、人々に恐怖を与えることにおいてである。

これはアガンベンの用語で言えば、外部と内部の境界、開拓された外部=グレイゾーンの問題いうことだできるだろう。




なぜビン・ラディンは脅威なのか


先進国の権力への反動ということで、現代のテロリズムも、また開拓された外部、回帰した外部である。このような権力への抵抗運動は耐えず存在するが、ビン・ラディンの脅威は、一人の金持ちが現代の「帝国」とも呼ばれるアメリカと対等に戦えているという事実である。

ここにはビン・ラディンは宗教的な指導者と近い位置にいるが、それとは異なるのは、彼が神格化されることで暴力を手に入れたというよりも、テロリズムという暴力の行使によって、神格化されたということだ。

イラク北朝鮮などの原子爆弾の流出の可能性など、従来は高価で高い位置にいる者のみが手に入れることができた科学技術である兵器、情報(ネット)技術などが安価で手にはいるようになっていることで、「科学技術−独自の信念」によって、アメリカに対抗できるまでになっているということが現代のテロリズムの脅威である。

ここには「科学技術−国家(法)−貨幣」の秩序体系における、科学技術の突出がある。科学技術の発展が、国家、貨幣の秩序を越えた例外状態を作り出し、その秩序を脅かしている。




なぜネットには多くの神がいるのか


ネットもまた科学技術の発展が、国家、貨幣を抑えて、その秩序を脅かす、回帰した外部である。安価で世界へ情報発信し、コミュニケーションすることが可能にすることで、国家(法)の秩序を飛び越え、危険な情報や、法的な公共性において認められないような誹謗中傷などが、無法地帯として氾濫している。国家(法)の秩序が及ばない例外状態=略奪(闘争)の場であり、貨幣交換も安心してできない。

だから贈与関係の強度が浮上し、ネットの社会性を支えている。ネットにおいての「神」は、国家(法)でも、貨幣でもなく、贈与するものである。高価なソフトをアップするもの、一般には知りえない有用な情報を公開するもの、無償の労働で有用な意見を発信するアルファブロガーなどは、まさに「神」と呼ばれ、自らの裸体を晒す女性は「女神」と呼ばれる。ネットでは多くにおいて、匿名であり、それ故に、「小さな」純粋贈与=天からの贈り物と行うものであるために、小さな「神」なのである。

しかしテロリズムやネットはまた「科学技術−国家(法)−貨幣」の秩序体系が世界を開拓する時に生まれる遷移状態であるといえるのかもしれない。中東にも確実に資本主義的な秩序は浸透し続けているし、ネット技術はまさにグローバリズムを押し進めるツールである。ネットへの国家権力の行使の緩さは、「ネット上で人は殺せない」というような直接的な生存と離れているためであるとも言える。テロリズム「神」もネットの「神」も、現代の「神」=科学技術−国家(法)−貨幣にかわり、人々の生存を保証する可能性は低く、新たな時代の神とはなりえないだろう。




なぜ環境問題対策はうまくいかないのか


環境問題もまた、現代の「神」=科学技術−国家(法)−貨幣が生み出した、回帰した外部(自然の脅威)である。環境問題に対する、科学技術−国家(法)−貨幣のシステムの対応方法の一つは省エネなどの科学技術が考えられる。しかし環境対策はメーカーには開発費がかさみ、消費者には価格アップになる。だからこのような技術の導入は、国家(法)主導による強制としての規制、環境税補助金などが必要である。

しかしこれは本質的な対策にはならない。なぜなら科学技術−国家(法)−貨幣は、環境問題という例外状態においても利潤を生み出さなければ、その「神」としての存在意義を問われるからだ。

環境問題は、1国だけで解決できず、国家間の利害が絡んでうまくいっていないのは、それぞれの国家がその存在意義として、環境対策をしながら、利益を確保するという矛盾に陥っているからだ。

このようなことは、世界の貧困が平準化しないのも、グローバリズムでも変わらない。現在のシステムでは国家間の闘争=神々の闘争でしか解決できない。そこには神々を納める神はいない。だから環境問題が深刻化しても、国家はただみずからの存在意義をかけ、神々の闘争、国家間の闘争を激化させる。最近の中国による世界資源の争奪などに、その傾向が見えているのかもしれない。




「世界共和国」の可能性


このような国家の強固さは、自国民(ネーション)の生存にかかわっているからだ。しかしここに循環論があるだろう。自国民(ネンーション)は国家に先行して存在するわけではなく、国家がなければ自国民(ネンーション)は存在しない。すなわちここにまさにラカン的象徴化装置による神の構図がある。

柄谷の「世界共和国」論が単に、国家の上位概念として国際組織を作ることだけを意味せず、アソシエーションとして、科学技術−世界共和国(法)−贈与というシステムそのもののシフト(革命)を提案するは、神々が調停することは不可能で、新たな神が生まれるしか解決策がないためだろう。

しかし「世界共和国」が可能であるとすれば、このような神々の闘争が徹底的に混沌としてた先にしかないだろう。あるいは宇宙人が攻めてきて「地球人」としての生存が危ぶまれるとき、すなわち一気に強力な純粋贈与(略奪)が到来するとき、地球人すべての負債感を回収するような「世界共和国」というような強い神は作動するだろう。
(おしまい)

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