なぜお金がすべてなのか 純粋贈与と贈与と交換

「[まとめ]なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換(全体)」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20071004 の要点整理。




・例外状態と権力
生存を保障することで、その時代の「神」は選ばれる。アガンベンはシュミットを引用し、「主権者とは例外状態について決定する者である。」と言ったが、その時代に選ばれた「神」とは、誰が「例外状態」(外部と内部の境界)を調停したのか、が問題となるだろう。

・贈与社会
原始社会では、人はいきるためにたえず、純粋な贈与(略奪)=自然のめぐみ、脅威に晒されてきた。この例外状態を神との贈与交換として解消する、すなわちいつかは、「負債感」の相殺できるだろうと想定することで、解消しようとする。そこに自然宗教が生まれる。

・貨幣交換の神性
異なる対象を等価に交換する商品交換は、「暗闇の飛躍」であり、不確実である。なににおいて等価とするのだろう。絶えず、闘争(略奪)の可能性がある。そこに絶対的な価値観としての貨幣を媒介する。貨幣価値化されたものは絶対的なものであり、従うしかないと考えられる。交換関係が成立しているように振るまうことで、人は貨幣に対して負債をおう。売る立場は負債感をもつ。

・贈与関係の強さ、貨幣交換の弱さ
贈与における負債感の持続が人の繋がりを作る。だから基本的に贈与は身近な共同体の中で行われる。これは共同体内の贈与交換に信用を与え、略奪(闘争)を排除するような繋がりの「強度」があるだろう。それに対して、貨幣交換は、負債感を生じにくく、貸し借りの感情が相殺されるやすく、繋がりの強度を生みにくい、繊細で弱いシステムである。だから科学技術、国家権力を必要とする。

・科学技術−国家(法)−貨幣
科学技術と国家と商品交換は相補的に発展し、「近代世界システムを形成した。科学技術は自然(労働力も含む)を解体して資源化し、貨幣の非対称性によって市場へ流入する。これらの運用を国家権力が補強する。科学技術−国家(法)−貨幣は相補的に利益を生むだけでなく、「例外状態」を制定することで、正当化される。正当化とは、生存を保証することで、神の位置に立ち、人々に負債感を与え続けているのだ。

・回帰する純粋贈与(略奪)
現代の外部(例外状態)は、「回帰する純粋贈与(略奪)」として現れる。「回帰する純粋贈与(略奪)」とは、人間とは関係がない純粋は自然災害などではなく、環境資源問題、テロリズム、ネットなど、科学技術−国家(法)−貨幣の活動が生み出している例外状態で生まれる。テロリズム「神」もネットの「神」も、現代の「神」=科学技術−国家(法)−貨幣にかわり、人々の生存を保証する可能性は低く、新たな時代の神とはなりえないだろう。

・環境問題
科学技術−国家(法)−貨幣は、環境問題という例外状態においても利潤を生み出さなければ、現代のの「神」としての存在意義を問われる。環境問題は、1国だけで解決できず、国家間の利害が絡んでうまくいっていないのは、それぞれの国家がその存在意義として、環境対策をしながら、利益を確保するという矛盾に陥っているからだ。環境問題が深刻化しても、国家はただみずからの存在意義をかけ、神々(国家間)の闘争を激化させしかない。「世界共和国」が可能であるとすれば、このような神々(国家間)の闘争が徹底的に混沌とした先にしかないだろう。